鳴子温泉郷といえば
芭蕉と 尿前の関(宮城県玉造郡鳴子町)
『奥の細道』に「なるごの湯」と記載されている。
なるごの湯より、尿前の関にかかりて、出羽の国に、越えむとする。
この道、旅人稀(まれ)なる処なれば、関守(せきもり)にあやしめられて、
漸(ようよう)にして関をこす。『奥の細道』
厳重警備の「尿前番所」は遊佐氏の屋敷内にあって元禄2年(1689年)岩出山で
一宿した芭蕉は、「道遠ク、難所有之」(曽良随行日記)というわけで、尾花沢まで
の旅を、急遽、小野田経由から鳴子経由に変更した。このため、通行手形のない
まま尿前から中山峠越えを目指すこととなった。
手形不携帯の芭蕉と曽良は、取り調べで足止めを食らうこととなる。
曽良の随行日記に『奥の細道』
「断六ヶ敷也。出手形ノ用意可有之也。」
一リ半、尿前。シトマヘヽ取付左ノ方、川向ニ鳴子ノ湯有。沢子ノ御湯成ト云。
仙台ノ説也。関所有、断六ヶ敷也。出手形ノ用意可有之也。 (曽良随行日記)
尿前の地名に芭蕉は
蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと
(山形山寺の芭蕉像)
山形山寺の曽良像
私も原文で恩師である大学教授のもと「多賀城」のところまで読んだが中断、古典への道を付
けていただいた教授が癌でお亡くなりになった。今はまだ喪失感のまっただ中にいる。