あふさきるさの日常

旅の画像やらいろいろ

鳴子温泉に行く③

2015年10月03日 | 日記

温泉神社の御神湯『滝の湯』

 鳴子温泉には「滝の湯」という共同浴場がある。

 文政10年(1827年)に書かれた水戸藩士小宮山楓軒の旅日記
 「浴陸奥温泉記」には、当時の「滝の湯」について書いている。温泉神社の
 御神湯を引く「滝の湯」は。現在、共同浴場として地元の人々や観光客が
 朝から人々が待っていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴子温泉に行く②

2015年10月02日 | 日記

よく行く秋保、作並に比べ遠い。仙台から車で葯2時間、

 旅館の朝食

旅館の周りの町並み

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴子温泉へ行く ①

2015年10月01日 | 日記

鳴子温泉へ久しぶりに一泊で行く

 鳴子温泉は古典や歴史的にも登場し興味ある温泉郷だ。
 

 古代から利用され、古事記や日本書記などでも触れられている。
 千年以上前にさかのぼる。「続日本後記」に、平安時代837年に当地で
 爆発が発生したことが書かれ、その時の様子が「仁明天皇承知四年癸
 巳朔申。陸奥国玉造郡の温泉石神。雷響き振動昼夜止まず。温泉河に
 流れてその色漿の如し。加うるに以って山焼け、谷塞がり石崩れる。更
 に新沼を作る。沸く声雷の如し。」と記されている。

 古事記や日本書記などでも触れられているが、湯治人用の宿泊施設が築かれ
 たのは江戸期になったからと見られ、当地では、寛永9年(1632年)遊佐氏は
 湯治人宿「遊佐屋(ゆざや)」を創建し、寛政年間(1789~1801年)に鳴子で
 はじめて元湯「滝の湯」の湯守に任ぜられた。藩政中期の享保年間(1716~
 1736年)になると、遊佐氏の他に「大沼屋(のち源蔵湯)」を営む大沼三郎次と
 「横屋」の大沼善十郎が湯守に任命され、この三氏による「滝の湯」の管理は幕
 
末まで続けられた。
 「源蔵湯」は「鳴子観光ホテル」、老舗旅館・ホテルとして今にある。

 ここに泊まる。

夕食

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする