あふさきるさの日常

旅の画像やらいろいろ

市原市 押沼神社へ

2017年04月09日 | 日記

押沼神社へ行く

本当に押沼は興味ある土地である。

祭神  日本武尊

資料によると、古くは鴛沼と書いたという。江戸期は押沼村。
志藤(市東郡の意味)と称していた時期もあり志藤七ヶ郷のひとつ。
市東村(しとうむら)とは、千葉県市原郡にかつて存在した村である。
 
(明治22年 町村制施行に伴い、瀬又村・番場村・押沼村・中野村・東国吉村・
  金剛寺村・板倉村・永吉村・高田村・高倉村・奈良村・古都辺村が合併し市原郡市東村が発足。)

神社の前で農作業をしていた土地の人がいろいろ話をしてくれた。
押沼は水田の大部分がかつては沼であり、またおしどりが遊泳していたという。
「おし(決壊)・ぬま(湿地)」で地辷りまたは洪水のあった湿地という意味。
そしてここは、9世紀前後の頃の製鉄遺跡であった。

資料によると、構造は竪形炉で、送風施設もあり、付近には砂鉄や
炭などの置き場や粘土採掘の跡なども発見され、鉄製作者集団の存在と
製作プロセスを知ることができる重要な資料となりました。とある

市原市編「時空を超えて」による

何年か前に「ここに一番高いので城があったのではないかと」と大学教授が、調査に来た
とおっしゃっていたが、土地はこの場所が一番高いが、それも疑問?しかし
調べてみるとネットに下記の田中教授の資料がありそこに

 押沼城城郭は村田川の左岸段丘を中心に押沼集落内
 に郭や土器などが認められている。

と記されていた。

気持ちが落ち着いたようでうれしくこの教授の論文に感謝して
ますます押沼に想いがいった。

目を見張るくらいきれいに整地された畑 「何も植えない野菜植えてもと…」とのこと。

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おゆみの有吉日枝神社と有吉貝塚公園

2017年04月06日 | 日記

街中にあり広くて地域の人々の生活に密着している神社。
有吉南貝塚の台地に鎮座している。

有吉南貝塚は旧石器時代(4,500~4,000年前)から、縄文・古墳・奈良・平安・
中世と人々が住んで、生活した跡が発掘されていて、特徴的なものは、縄文時
代の人やイヌ、イノシシなどの墓穴が発掘された。下を見ると貝殻の化石が多い。

公園は高台で又眺めがよくすぐ下は民家。晴れた日は空が大きく見えて
ベンチに座ってのんびりと一人でも、ひと時を過ごせそうだ。  

 

                         

 

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ちはら台 押沼付近

2017年04月01日 | 日記
  • 散歩して興味ある長閑な田舎町
    押沼、番場、瀬又、永吉 自分にとっては落ち着けるいい所だ。

資料によると、

  •  1889年(明治22年)- 町村制施行に伴い、瀬又村・番場村・押沼村・
      中野村・東国吉村・金剛寺村・板倉村・永吉村・高田村・高倉村・
      奈良村・古都辺村が合併し市原郡市東村が発足。
  •  1955年(昭和30年)- 湿津村と合併し市津村となり消滅。
  • 1961年(昭和36年)- 市津村が町制施行し市津町になる。
  • 1963年(昭和38年)- 市津町・市原町・五井町・三和町・
      姉崎町が合併し、市原市が発足。市津町は消滅

 

是非行きたいと思うのですが。

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