まちどうしい
秋が来るのが楽しみ
千代田区大手町将門塚にある将門の首を祀る塚
崇徳天皇、菅原道真、平将門という非業の死を遂げた歴史上の3人を日本三大怨霊
と言われているようだ。
平将門は平安中期の関東の豪族で、関東で敗れて討たれた。将門の首が京で晒され3日
たって自ら大笑いをし光を放ち飛び去り、そして現在千代田区大手門今はすぐ横にオフィス
ビルのあるこの場所に降り立ったとのことです。
付属
千葉市原市 奈良の大仏
は1,7mの石像釈迦如来立像は元は平将門が931年に
建立されたとの伝えがある。
源頼政は朝廷で活躍する貴族的武士として有名
京都宇治平等院で平家に打倒の旗を上げた源三位(げんざんみ)の墓所をみる。
時の朝廷で平家が権威を極める中、源氏としては突出して従三位に叙せられ程清盛に認められ、そして歌人として有名な武将だったのに平家の横暴に不満を持ち、以仁王と結んで挙兵を計画し、諸国の源氏に平家打倒を伝えたが計画が露見して準備不足のまま挙兵。平家の追討を受けて宇治平等院の戦いで敗れて自害。
歌人としても有名で辞世の句は
埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりける
そして此処にも妖怪鵺(ぬえ)の話がある
平家物語には源頼政は弓を用いて鵺を退治したという説話がある。
日本では昔から、立場のえらい人が非業の死をとげると、“怨霊”になる、という信仰があり・長屋王・早良親王・菅原道真・平将門・崇徳上皇等だそうだ。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ 思ふ
何故か崇徳天皇に関心があり墓所に何回も行っている。
場所は四国香川の連山五色台の西側、白峰の北側中腹に位置し、四国八十八箇所
第八十一番札所白峯寺に隣接している。
白峰寺には参詣客が多いのに 陵墓への上り道には行く人はいない。誰もいない。
鳥羽天皇、保元の乱、後白河天皇 により排除された悲劇の天皇そして怨霊と
言われる
悔しかったであろう。生前に心寄せていた西行は死後3年後に詣でている。
又昭和天皇は崇徳天皇八百年祭に当たる昭和39年、崇徳天皇陵に勅使を遣わして
式年祭を執り行わせている。
江戸時代から面白、おかしく「怨霊」として扱われている。
上田秋声の『雨月物語』には西行法師が御陵で怨霊と言葉を交わす。
で資料1
資料2
「パラリンピック」自分は本来オリンピックに反対だったが
感動し人間努力せねばと教えられ、その他学ぶことが多かった。
考え方が変わった。ありがとう 感謝。
浄泉寺は号は法龍山
境内に淡島文禄年間に生実領主森川家から淡島尊天を寄贈された尊天を祀れる佛堂がある。
婦女の御守神として知られる淡島信仰は婦女の御守神として知られている少彦名命を祀る神社。
横の道をたどると崖が壊れていますがここから上に行く石段がある。上は墓所でありそして横の道をたどると自分がよく行く蔵王神社がある。
今は寂しい感じがするが、安康天皇が祀られている。第20代天皇で「天皇日本書紀」での名は穴穂天皇。暗殺された と明確に記された最初の天皇でだそうで、娶った妻の先の夫の子に復讐の為、床の下から大太刀で突かれ殺されたとかなんか胡散臭い話がある。
この浄泉寺で
淡島尊天は注釈によると、説として淡島様は住吉神社の妻神でしたが、帯下の病にかかり、熊野の淡島に流され婦女の御守神になったと伝えられ、遠方からも参詣し賑わっていたとのこと これも胡散臭いお話。
しかし自分は解らなかった浄泉寺と蔵王神社の立ち位置が理解できた。