「核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです」
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳(てるみ)代表委員は10日、ノーベル平和賞授賞式(ノルウェー・オスロ)の講演でこう強調しました。
13歳のとき長崎で被爆した田中さんは、その筆舌に尽くし難い体験を語りました。淡々とした口調のなかに込められた、核兵器は人類と共存できないし、させてはならないという強い信念が、聞く者の胸を打ちました。
核威嚇を繰り返し、核戦力の増強をはかる核保有国、その「核抑止力」に依存する同盟国は、この訴えに応え、核兵器廃絶を決断し、足を踏み出すべきです。
■世界を動かす証言
ノーベル委員会のヨルゲン・バトネ・フリードネス委員長はスピーチで、被爆者は「核兵器によって引き起こされる想像を絶する痛みや苦しみを、自分のものとして実感する手助けをしてくれています」と述べました。この「実感」が世界を動かしてきました。
核兵器禁止条約は国連加盟国の半数近くが署名するなど、核兵器廃絶の世界的な流れを支えています。この条約を実現する原動力の一つが、核兵器を道徳的、人道的観点から議論する新たなアプローチでした。
田中さんは講演で、被爆の実相に関する国際シンポジウムや国連軍縮特別総会など、1970年代からの国際的な活動も紹介しました。この長年の努力が、世界の人々と為政者たちの認識を深め、禁止条約の実現へと向かわせたのです。
ヒロシマ・ナガサキの実相を広げることは、核使用を抑える「核のタブー」を強化し、核兵器廃絶への道を照らす「光」となっています。
■国家補償の実現を
石破茂首相は同じ10日、衆院予算委員会で、日本被団協に祝意を述べる一方、「核の傘」を含む拡大抑止を肯定し、禁止条約の署名・批准を拒む態度を示しました。オスロとは対照的な光景でした。このような被爆国にあるまじき政治を続けさせるわけにはいきません。日本は「核の傘」から脱却し、すみやかに禁止条約に参加すべきです。
原爆被害に対する国の償い(国家補償)を求める被爆者の声にどう応えるのかも、日本政府に厳しく問われています。
田中さんは講演で、援護施策の拡充をかち取ってきた運動の歴史を語りました。しかし、「何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています」と力をこめ、しかもこの言葉を2度繰り返し、強い憤りを表しました。
日本政府の姿勢に、世界の厳しい目が向けられています。石破政権は、国家補償の実現と援護施策の抜本的拡充をただちにはかるべきです。
田中さんは最後に、被爆者の証言が「自国の政府の核政策を変えさせる力」になることを願うと述べました。日本共産党は、被爆者と固く連帯し、非核の日本と世界の実現に力を尽くしていきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます