10月にはリバプール、グラスゴーの諸銀行が苦境に陥り、リバプール・バラ・バンクが支払いを停止した。他にも綿製造関連業者が倒産し、イングランド銀行からスコットランド、アイルランドへ金貨の大規模な引き出しがあった(フイーヴィヤー)。銀行部の準備(金属、紙幣)は金属57万ポンド、紙幣225万ポンドの水準になった。(10月末、1858年銀行委員会報告Appendix)同行は政府債を売るか、担保にして借入をしようとした。11月9日にバンクレートは10%に引き上げられ、ロンドンからグラスゴーへの大量の金流出が起きた。11月11日には準備は金属50万ポンド 紙幣95万ポンドになった。(同上)しかし同行は他の全てのものが縮小していた割引を継続していた(アンドレアス)
高金利政策は割引に対する需要を抑えきってはいなかったが、大陸への金流出を食い止めていた(フイーヴィヤー)
12日には同行は1844年法には従えない事を認め、“恐慌が続く間、もしも法定保証準備発行を超過するような事があれば免責法を約束し、他方10%という公定歩合は継続されるべきである“とした書簡が政府から同行へ送られた。12日夕方の同行準備は58万ポンドになり、最高限度を超えて200万ポンドの銀行券が銀行部に発行されその内92万ポンドが同行から出て行ったとされる。11月末には事態は改善された。
同行に対する“免責法“は12月12日には殆ど反対も無く議会を通過した。1847年恐慌でも既に述べましたように同様な事が起きましたが、前回は実際に超過発行はされませんでしたが、今回は超過発行がされたと言う事です。
上記経過から総合的に勘案するとするならイングランド銀行は“危急“の際、国内の信用の不安に対しては一定の援助を与え、又、他方上記、フイーヴヤーの金利政策に対する表現からするなら非優良手形等には制限を加え、又他方で、国際的金利裁定が起きるような状態に対し、同行の金利を引き上げる事を、国際決済手段としての金属を自国に保有する手段として使っていたと言う事になるでしょうか。
その事から、対外的に高金利政策を使う事は決済手段保持の為には有効でありますが、自国の内部の信用拡張とは一致しない事になり、又そこに同行の私益性を斟酌する事になり金融政策上の大きな問題点に為らざるを得ないと言う事でしょうか。