一昨日、町を歩いていたら、脇を配達用風のオートバイに乗った若者が通り過ぎ、下りて別の若者と歩き始めた。その若者がテイーシャツを着ていたのだが、背中に大きく何か書いてあった。それが実に白地で”低所得者”と書いてあったのである。
これには流石に私もびっくりした。幾らなんでも自分の背中にその様な事を書いている若者の”大胆さ”又有る意味、社会批評と取らざるを得ないその”度胸”と言うよりやはり、いまさらでも無いが、世の中は完全に変わったと思わざるを得ない。
最近、熊谷次郎氏の”イギリス綿業自由貿易史”を読んだが、その中で目に付いたのは、経営者が、何らか政策を主張する時に、それにより、”労働者の生活が・・”と言うように、産業企業の発展のほかに労働者の生活面の意見を多く述べていることが多いと思われる事である(これがある種の”帝国主義政策”の主張の一環かは即時に判断出来ませんがせんが-19世紀末少なくない諸国で一般勤労者が対外膨張路線に巻き込まれた事は世界史の教えるところです)それにしても最近の我が国の経営者団体は”成長戦略”の”要望”をする事は多いが、”それによって勤労者はどうなるのか? つまりそれによってどの様な経路で勤労者の生活改善に繋がるのかが全く明らかにされない、あるいは述べない と思われると言う事です。結果論的に非正規労働者が増えるだけであるなら、これをよく考えると、果たして”産業企業”の存在の”目的”とは一体なんであるのか??考えるのは私だけでありましょうか?
これには流石に私もびっくりした。幾らなんでも自分の背中にその様な事を書いている若者の”大胆さ”又有る意味、社会批評と取らざるを得ないその”度胸”と言うよりやはり、いまさらでも無いが、世の中は完全に変わったと思わざるを得ない。
最近、熊谷次郎氏の”イギリス綿業自由貿易史”を読んだが、その中で目に付いたのは、経営者が、何らか政策を主張する時に、それにより、”労働者の生活が・・”と言うように、産業企業の発展のほかに労働者の生活面の意見を多く述べていることが多いと思われる事である(これがある種の”帝国主義政策”の主張の一環かは即時に判断出来ませんがせんが-19世紀末少なくない諸国で一般勤労者が対外膨張路線に巻き込まれた事は世界史の教えるところです)それにしても最近の我が国の経営者団体は”成長戦略”の”要望”をする事は多いが、”それによって勤労者はどうなるのか? つまりそれによってどの様な経路で勤労者の生活改善に繋がるのかが全く明らかにされない、あるいは述べない と思われると言う事です。結果論的に非正規労働者が増えるだけであるなら、これをよく考えると、果たして”産業企業”の存在の”目的”とは一体なんであるのか??考えるのは私だけでありましょうか?