よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

第8章 消費性向(1)―客観的要因(続)第4節 (公的債務は資金余剰の裏返し)

2022年05月20日 | 一般理論を読む 改訂版
内部留保や国債償還が消費に及ぼす影響 

 非常に重要な節である。ケインズは消費性向の客観的要因として6点を挙げていたが、この節ではマクロ経済が消費に及ぼす要因を取り上げている。

 企業は減価償却を行う。減価償却をしなければ資産は減りやがては価値を産み出せなくなる。これが個人の住居なら住むに耐えない廃屋となってしまうだろう。この減価償却は内部留保と言う形で積み上がっていく。これが経済全体で見て期中に支出されてしまえば何の問題もないが、内部留保として積み上げられていくと大変な問題となりうることをこの節で指摘している。新たな資本装備は経済成長が進むほど巨額になっていく。巨額な設備投資は巨額な減価償却(=内部留保)を産み出し市場からの資金の引き上げを招く。資金の引上げは消費を冷やすだろうというわけだ。減価償却は内部留保を産む。それが金融機関を通して貸し出されて新しい投資を産んでいるうちはそのようなことは起きないが、どこかで期待に陰りが見えると借り手のない内部留保が積み上がることになる。消費が弱含みになったからといって企業に減価償却を止めさせるわけにはいかない。

 巨大な生産設備を抱えた先進国経済共通の問題である。金融準備は金融資産として現れる。問題はその金融資産の対応物、誰が借りるのかということなのだ。巨大な生産設備・巨額の金融資産が経済成長の桎梏になるとは誰が考えただろうか。巨額の公的債務の問題ばかりが強調されるが、借り手のない巨額の金融資産のほうがもっと問題ではないのだろうか?
 ケインズは次のように指摘している。当期の負の資本投資(*減価償却)を上回る新規資本投資が起こり得るのは、ただ将来の消費支出が増加すると期待されるときだけである。(その時ですら)明日の均衡を得る困難はますます増大する、と。なぜなら負の資本投資が巨大なものとなり、それを埋め合わせるだけ消費が増大することは、バブルでも起こさない限り、望み薄だからだ。ここで公共投資に触れて次のように展開する。

道路建設や住宅建設など公共投資の話になると、この究極の問題がにわかに世人の意識にのぼり始めるから不思議である。公共当局主導の投資によって雇用拡大を図ろうとすることへの反論として、よく、それは問題を先送りするだけだと言われる。「将来、人口もすっかり落ち着いて、そのとき必要になると思われる住宅も道路も市庁舎も、送電網や給水施設やその他諸々の施設も、全部建設してしまつた――そんな日にゃ、あんた方はいったい何をしようというのかね」というわけである。だが、そのような困難だったら民間投資や産業拡大についても同じだということは、なかなかすぐにはわかってもらえない。とりわけ産業拡大の場合はそうである。

 古典派・現代正統派は、「借り手のないカネは存在しない」ということを暗黙の前提にしている。現在民間投資が進まず内部留保が積み上がっているのは規制緩和が足りないからだ、という主張になる。まさにだが、そのような困難だったら民間投資や産業拡大についても同じだということは、なかなかすぐにはわかってもらえない。」
 次の章は、「利子率の上昇は貯蓄を減少させる」というケインズの指摘だ。それは当然だという方は読まなくても結構だし、なぜ?と思われた方は是非読んでいただきたい。

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