よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

72:第23章 重商主義、高利禁止法、スタンプ付き貨幣および過少消費理論に関する覚書

2021年01月14日 | 一般理論を読む
自由貿易か保護主義か?トランプの「重商主義」は正しかったのか?

 表題のとおり、この章には4つの論点がある。今回はまず貿易論(重商主義)を取り上げる。
 一般理論は“閉鎖経済体系”を前提にしている。一般理論の展開の上に貿易、為替、国際金融に関する未だ書かれざる一章があった。それを非常に簡略にメモ(覚書)にしたのがこの部分である。
 ケインズの関心は、一般理論の延長であるから、当然雇用問題にある。理論的には十分には展開されていない。でもご安心を。前回ご紹介した「小野善康著 景気と国際金融 岩波新書」がある。是非、必ず読んでいただきたい。
読んでいただくことを前提にして、ケインズの論考を検討していく。ケインズはリカード以来の古典派経済学を批判している。古典派経済学は重商主義批判の上に成り立っている。この章でケインズは、古典派が批判した重商主義の論点にも見るべきところがあった、と主張しているのだ。

まず彼はこう書く。
1923年になってもまだ私は――当時の私は教えられてきたことに疑いをもたない古典派の忠実な生徒であり、この問題についても峻厳な古典派の学徒であった――こう書いていた。
「保護主義にできないものが一つあるとしたらそれは失業の救済である。……保護主義が利益をもたらす可能性は薄いが、可能性だけはもつという言い方で保護主義を擁護する向きもあるが、その当否はなんとも言えない。しかし失業を救済するという主張は保護主義の誤謬の中でも最たるものである」。
初期の重商主義理論についていえば、まともな説明は一つとしてなかった。ナンセンスも同然だとわれわれは教え込まれたものである。古典派の優位は全く圧倒的で完壁であった。

 前回に続き、調子に乗ってんのか、と言われそうだが、最後の文章はモヤッとする。
As for earlier mercantilist theory, no intelligible account was available; and we were brought up to believe that it was little better than nonsense.
「まともな説明は一つとしてなかった」ではなく「その理論的根拠に現在通用するものはなくなっている」であろう。

 ここでケインズは、保護貿易か自由貿易かと言う問題を「失業の救済」にとってどちらがいいのか?という問題に転換している。ここ重要である。理論一般の問題では結論が出ないのがこの種の問題だからである。これに対して現実が間違っているというのが古典派である。彼らは理論を教義に代えているのだ。

 一般理論執筆当時のケインズはこう書く。

いまの私には、重商主義の教義にも科学的真理らしきものが含まれているように思われる。まずそれを私なりの言葉で述べてみよう。そのうえで、それを重商主義者自身の議論と比較することにする。ただ、重商主義者の主張する利益は明らかに一国の利益であって、世界全体を利するとはとても言えそうにないことは、銘記しておかなければならない。

 なぜ失業が発生するのか?消費性向は大きく変動しない。また。大きく上方に変動させようということは国民に奢侈逸楽を奨励することになり、そんなことはバブルの連続発生でもない限りできもしないし、やるべきでもない。

 一般理論の教えるところでは失業の発生は投資不足に原因がある。しかし、
公共当局がみずからの裁量によって直接投資を行うことなど思いもよらない社会では、政府は国内利子率と対外貿易収支という経済目標にもっぱら意を用いればいいことになる。
 これがトランプの政策である。日本の国是?「貿易立国」である。

 ケインズの所論を順を追ってたどってみよう。すべて金本位制が前提となっている。
  1. 一般理論は投資誘因が不足することに景気変動の要因を見ている。
  2. 消費は変動しにくい。一方投資は国内投資と対外投資から成り立つ。国内投資の不足を対外投資で補うことは可能である。
  3. 対外投資の原資(金)は貿易収支によって流入する。
  4. 貿易黒字は金の流入を招き、社会の流動性欲求を満たすための金の増加によって利子率を下げる方向に働くだろう。
  5. その結果国内投資も活発化する。
  6. この時代、貿易黒字の増加は国内投資と対外投資を増大させる唯一の手段であった。
*この時代とは「公共当局がみずからの裁量によって直接投資を行うことなど思いもよらない」時代をさす。

ところが、この貿易収支黒字化政策には二つの制約がある、という。

費用面の制約
行き過ぎた利子率下降の結果、もともと資本の限界効率が低い案件にまで投資され、国内費用水準が上昇し(賃金が上昇し)貿易収支に不利に作用する。

資金面の制約
  • 他国の利子率と比べて下がり過ぎると対外投資量が貿易黒字を超えて拡大し資金が流出する。
  • この制約は大国ほど高い。
  • 大国への資金の集中は、大国にとっては費用上昇と利子率低下をもたらし、他国では資金不足により費用の低下と利子率上昇をもたらす。
  • その結果、輸入国の購買力は減少し貿易収支の黒字化は長続きしないだろう。

 この制約は金本位制での自動調整機能ともなる。現在は為替相場がその代りを果たしているはずなのだが、ユーロ圏は単一通貨となっており、GDP世界第二位の中国は事実上人民元をドルに固定化しており、債務国も自国通貨をドルに固定化する政策を強いられている。

 このような事実上の金(ドル)本位制をケインズは「この誤った理論の影響下でロンドンのシティは、均衡を維持するために、想像しうるかぎりでの最も危険な手法、すなわち銀行割引率を固定的な外国為替相場に連結させるという手法を徐々に編み出していった。つまり、国内利子率を完全雇用と見合う水準に維持するという目標は完全に放擲されたのである。」と概括している。

 このようにケインズは重商主義政策の復活を目指しているわけではない。かといって自由貿易を称揚しているわけでもない。

 ではケインズはどう主張しているのだろうか。ここは次回に譲る。

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 その前に、「本当に調子に乗ってるな」と言われそうだが、今回二度目の訳文の改訂を提案したい。
 問題は第23章第二節最後の原著者注である。下線部分の意味がよく分からない。

間宮訳
  1. 少なくともソロンの時代このかた、もし統計があったとしたらそれ以前の何世紀もそうだったであろうが、経験はいやしくも人間性に関する知識があれば誰にでもわかること、すなわち、賃金単位は長い期間にわたって絶えず上昇していく傾向をもち、それが切り下げられる可能性があるのはわずかに経済社会が衰微し崩壊している最中だけであることを指し示している。こうして、進歩し人口が増大している場合を唯一例外として、貨幣ストックを徐々に増やしていくことは絶対的な至上命題であった。
塩野谷訳
  1. 少なくともソロンの時代以降―もし統計が存在すれば、おそらくさらにその数世紀以前から―の経験が示しているように、人間本性に関する知識からみてもわれわれは次のことを期待してよい。すなわち、長期において賃金単位は着実な上昇傾向をもち、賃金単位を引き下げることができるのは、経済社会の衰退と解体のときだけである。かくして、進歩と人口増加を全く別とすれば、貨幣量の漸次的な増加が不可欠であることが明らかとなっている。
原文 
  1. Experience since the age of Solon at least, and probably, if we had the statistics, for many centuries before that, indicates what a knowledge of human nature would lead us to expect, namely, that there is a steady tendency for the wage-unit to rise over long periods of time and that it can be reduced only amidst the decay and dissolution of economic society. Thus, apart altogether from progress and increasing population, a gradually increasing stock of money has proved imperative.

 2020年の日本を生きる我々には

there is a steady tendency for the wage-unit to rise over long periods of time and that it can be reduced only amidst the decay and dissolution of economic society.
長期において賃金単位は着実な上昇傾向をもち、賃金単位を引き下げることができるのは、経済社会の衰退と解体のときだけである
 
 というのは耳の痛い話である。このことが分からない人を経済学者と呼んではならない。

 両者の訳文をくらべると間宮訳が「読みやすさ」に気を配ったものであることも分かる。例えば「漸次的な増加」が「貨幣ストックを徐々に増やしていくこと」のように。

 それはさておき問題は下線部分。apart altogether from progress and increasing population。
塩野谷訳の方が正しそうだが、間宮訳のほうがいいところもある。いずれにせよ、意味はやはりよく分からない。

 筆者はapart altogether fromは「両者をいったん脇におく」の意に解する。つまり進歩と人口増加と貨幣量の増加が至上命題なのだが、進歩と人口増加は「経世済民術」の対象とはならないし、疑うことのできない社会の至上命題である。だから「両者をいったん脇におく」のである。

新訳
「こうして、進歩と人口増加をいったん脇に置くと、貨幣ストックを徐々に増やしていくことは(社会の)至上命題であったのだ。」

意訳
進歩と人口増加は長い間社会の至上命題であった。(そのためにも賃金単位の上昇に合わせて)貨幣量を増加させていくことも社会の至上命題であった。(古典派が登場するまでは)

 今や「進歩と人口増加」が社会の至上命題と考えている人がどれだけいるのか不安である。
 それは「衰退と人口減少」にたいして何をしていいか分からない。分からないから考えるのを止めてしまう状態になっているからではないか。
 残るのは「金銭的刺激」「お金持ち=勝ち組」だけである。

 

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