に異議あり~
1.――たとえば?
「たばこがいい例です。かつては成人男性なら吸って当たり前という雰囲気でした。それがこの20~30年で、とにかく悪で、できる限り排除すべき対象となりました。そこまで厳しくすることが、本当にいいことなのでしょうか。もちろん受動喫煙を防ぐなど、たばこが嫌な人の権利は尊重されるべきです。ただ、自分の体を傷めても太く短く生きたいという考え方も、同様に尊重されるべきです」
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コメント:「自分の体を傷めても太く短く生きたい」と喫煙者はホントに考えているのだろうか? 喫煙者の多くは、その害を知ることを避けたり逃げていて、ニコチン依存に陥っているだけで、たとえ傷めている、のを気にしても、そこから逃れられないに過ぎないのでは… 現に喫煙者の2/3は出来れば止めたいと思っているし、家族の多くも止めてほしいと願っているのに、その願いを正面から受け止めようとしない自分勝手な面が否定できないような、、 甘えを放任すべきでないのでは、、
2.――でも、たばこの吸い過ぎは社会にとっても悪では。
「確かにがんになるので医療費の無駄遣いだという批判があります。一方で、長生きすれば医療費や介護費が増えるという主張もあります。健康になった方が医療費が抑制されるかどうかは、そこまで自明なことではありません」
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コメント:タバコ病による超過医療費は1.5兆円にのぼるなど、多くのデータが公表されています。禁煙することにより健康年齢や余命が延伸するにより、その医療費や介護費がそれなりにかかるとしても、超過医療費を超えるものでないし(喫煙が起因の重症化による医療資源経費は多額とされていますし)、たとえ超える部分があるとしても、長命は喜ぶべきことではないだろうか? また長生きにより家計支出により経済活動に寄与するので、世のためにもなることです。著者は、医療費や介護費軽減のために、喫煙による早死にや疾病を言外に望ましいかのようにも受け取れ、公序良俗に反するのではないだろうか?
3.
「他方、喫煙の文化は長い歴史があります。それを突如、切り替えろというのは無理がある。いまの規制は人間には習慣や癖というものがある、ということを軽視しすぎていると思います。健康至上主義が是となると、たばこの次は酒、その次は砂糖と、いつまでもベストを目指し続けることになりかねません」
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コメント:タバコは初めから吸わなければどおってことの無いものです。タバコの害が周知される以前に広まってしまい、現状では非合法化できにくく、タバコ会社が害を無視して、巧みな広告宣伝をし続けているために、タバコに囚われている人がなかなか減らないのが現状です。
例えばフィリップモリス自身が、「いまタバコを吸っていない方、絶対に吸い始めないでください。いまタバコを吸っている方は、ぜひ禁煙しましょう」 とまで言っています。「習慣や癖」ではなく、その本体は人為的な”ニコチン依存症”なのです。そのような本質に全く触れずに「軽視しすぎている」など、著者はタバコの現状(拡販状況)に加担しているとしか思えません。
4.――つまり、今のたばこ規制は行き過ぎていると。
「はい。規制が過剰かどうかを判断する目安の一つに、効果の程度があります。健康にいいと勧められていても、効果がはっきりしない迷信のようなものもあります」
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コメント:改正健康増進法の原則屋内禁煙の受動喫煙対策の効果は現れるつつある。しかし抜け道やザル部分も多く、国際的レベルへとなお多くのタバコ規制が必要とされている。そのような現状に全く触れず(知らないのだろうが)、「タバコ規制が行き過ぎている」「迷信のようなものもある」とあいまいにはぐらかすのは、人を健康にするのが責務のはずの医師失格だし、あいまいのままに談を進める朝日(記者)の浅はかさ、底の浅さ、浅慮が見て取れるような…
5.これら以外にも、人間ドックを宝くじになぞらえるとか、綱引きとか、健康主義は新興宗教のようなもの、とか、朝日新聞ともあろう大メディアが、なんでこんなヘンな、説得力の欠如した、人を惑わしかねない、JTの尖兵ともなりかねない人の談をわざわざ掲載したのだろう?
著者のこれらの論の先は、大麻・マリファナなどの薬物を許容せよという論にもつながっていくのではないだろうか?