まだ子どもがお腹にいた頃の話だったような気がします。
主人の叔母に、こう言われました。
「人は、愛情を与えられた分だけ、他の人に優しくできるの。」
叔母は、とっても穏やかなゆったりとした話し方をするので、みんなからマスコットのように愛らしい人と言われています。
しかし、時々ものすごく確信をついたような話をするので、ハッとさせられます。
この言葉は、私が病気で、私が考えるまともな育児ができていない間に呪文のように唱えていた言葉でした。
娘はこんな母のもとで幸せになれるだろうか。
私の愛情は伝わるのだろうか。
どうやったら私の愛情を感じてると確認できるのだろうか。
などと考えていましたが、わーわーと泣く娘とともに泣いたり、わめいたりする自分に、時々この言葉が降臨しました。
泣きながらぎゅーっと。泣く娘をただぼーっとぎゅーっとしている時もあったような。
それでもいいのかなって思えたのは、この言葉を思い出した時でした。
何か伝わるはずだと、願いました。
この愛情が、この子にとって人に優しくできる何かになればいいなとひたすらに願っていました。
幼稚園の頃のエピソードをひとつ。
幼稚園の隣の公園に、木登りするのにちょうど良さそうな木があるんですね。しかも何本も。
元気がいちばん!みたいな幼稚園だったし、我が子も私の小さい時と違わず体を動かすことが大好きでした。
娘が木登りも上手にできるようになって遊んでいたところに
「私も登りたい!」
って、お友達に言われたみたいなんです。
そのお友達もとっても運動神経がいい子だったので、きっとすぐに登れるようになると思ったみたいで、木を譲っていました。
私は遠くのベンチからその様子を何となーく見ていました。(一応危ない遊びなので見守ることはしていました。)
なんか一生懸命足を持ち上げてあげたり、お尻に手を当てたりして、うんしょうんしょしてるんですけど、いまいちうまくいかない。
それで、口で説明したみたいで、お友達がひとりでのぼり始めました。
「がんばれー!がんばれー!」
という娘の声がこだましてきました。
ついに目標の場所までのぼれた時、お姉さんたち何やってるの?とばかりに周りに集まってきた年下のお友達に大真面目に大号令。
「登れた◯◯ちゃんに、みんなー!はくしゅー!」
と言って、娘含めた15人くらいでスタンディングオベーションみたいになってました。
木の周りに集まる小さな子どもたちで、上を見上げて拍手。拍手。公園に拍手の音が鳴り響きます。
遠くから見ていた私はもうおかしくておかしくて、井戸端会議そっちのけで吹き出してしまいました。
これが私が娘に備わってくれと願った「優しさ」なのか、ちょっと違うような気もしましたが、こんな優しさもありなんじゃないかと思って、少なくとも私は幸せでした。
数年経った今はというと。
私が足を痛めて、
「うう、さすってほしい」
と言うと
「パパー!マッサージしてあげてー!」
と、自分でさすることから逃げることがしょっちゅうなので、
「はあ、優しくないなあ」
と親二人はため息をついています。
ただ、マッサージをパパにきちんと依頼しに行ってくれるので、ギリギリ優しいのかもしれません笑
おばさま、今後どうなるかわかりませんけれども、やっぱり大好きだよということは伝え続けていきたいと思います。