昔、久しぶりに再会した友人がいました。
妙な記憶力を時々発揮する私は、会うことになっていた日にその友人の誕生日が近いことを思い出しました。
会った時にお誕生日プレゼント、と渡すと、怪訝そうな顔をされてしまいました。
プレゼントの内容が嫌なものだったのかな、と申し訳なく思いました。
しばらくして、会話の中で、私も誕生日がそう遠くないんだ!と言うくだりがあったところ
「ああ。それでくれたのね。」
と妙に納得されてしまいました。
私の名誉のために言うと、確かにそういう見返りを求めて何かをすることはありますけれども、この時ばかりはそんなことはどうでもよかったので、とっても驚きました。
「プレゼント用意しなきゃね」と余計な負担をかてしまったことに、ひどくがっかりしました。
そんなつもりはなかったのに。何も伝わらない。
もちろん慌てて弁明して、何もいらないよと言いましたが、そうはいかないよと言われたり。
とにかく良かれと思ったことが全く通じないことがある、ということを体験しました。
私は、プレゼントを選んでいる時はその人のことを考えています。
だからプレゼントをいただいた時は、その時間を私はいただいたと思ってきました。
いただけたことだけでとっても嬉しいと感じています。
つまり、プレゼントちょうだいよおとおねだりしてもらったとしても、私はあまり嬉しくないのです。
そんな相手の時間を奪うようなことをして、いったい何が楽しいのかとすら思います。
こういう経験があったからといって、プレゼントは極力あげないほうがいい!というのもおかしな話です。
でも相手に負担をかけたくないなあ、と悩んで。悩んで。
いろいろ失敗を重ねました。
何をやっても、裏目の私です。
どうしたものか。
結局、答えは今も見つかっていません。
時に娘は、毎日のようにプレゼントをくれます。
笑顔のプレゼント、とかではなくてですね。手紙とか、謎の製作によるカレーとか、折り紙とか、絵とか、時々ビーズで作ったブレスレットなんかもあります。現物です。
毎日のプレゼント攻撃は、うれしくもあり、困ったりすることもあります。
紙吹雪みたいなものでできた、「ぬいぐるみのうさぎ餌」をもらった時は、正直その後の処遇にちょっと困りました。
そうかあ、プレゼントはありがたい時もあるし、困る時もあるのかあと子どもから学びました。
でも、総じてやっぱり嬉しいものです。あげたいと思ったらあげていいかな、と最近はシンプルに考えています。
そして「お母さん、だいすきー」って言ってもらえると、プレゼントなんていらないよーと思えます。
なので、私も娘には「だいすきー」って言うのは遠慮せず、何ならバナナの叩き売りくらい安売りして提供しています。
結局、言葉が一番嬉しいし、言葉はいくらもらっても迷惑じゃないかもなあって思う今日この頃です。