トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

反復横跳び

2021-06-14 06:56:37 | 日記

娘が学校から帰ってきて、学校の体育の授業で反復横跳びをやった!と話してくれました。

今は「反復横跳び」と言って教えないみたいで、

「3本、線があってね、こうやるの」

と、私に動きながら教えてくれました。

説明そのものを聞こうとぼんやり見ていたのですが、ぴこぴこと飛ぶような、しかしいちいち動きが止まる動作に、つい笑ってしまいました。

 

「ねえ、それじゃ全然跳べなかったでしょ。」

「うーん?クラスではまあまあ跳べた方だよ。」

「違うんだな、反復横跳びにもコツっていうのがあるのよ。」

「え?」

「ほら、んー、できるかな?」

私は私でどすどすと。うまく跳べないし踏ん張れないんですけど、こんな感じってやってみたんですね。

「ママ、できるの?えー!すごい!」

反復横跳びらしい動作(かなり不恰好)ができるだけでこんなに感激されるなんて、と、さらに大笑いしてしまいました。

「確かにね!ママすごいね!でも昔はわりときちんと跳べたんだけどなあ。」

どすどすひどい!って娘も笑いながら、私が教えたコツを実践しようとまたぴこぴこと跳んでいます。

「おー、これなら次はもっと回数跳べるかな。でもかかとが痛い。」

「ん?痛くなる?そんなに、かかとをついてはいけません。」

「えー?どうするの?」

私もうっかり余計なことを言ったものです 笑 仕方ないので、身体中使えるものは何でも使って、言葉も一生懸命紡いで伝えます。

 

もー、病気ってほんといや!

簡単なはずのことも、こんなにまどろっこしくなるんだから!

でも、ここまで回復したんだから、まだまだこれからだよなって思えたりもします。

いろんなことがある中で、諦めようとしか思わなかった頃に、

「生きていればいいんです。何かいいことがあるかもしれません。」と言われたことがありました。

「頑張りましょう、生きましょう、助けたいんです、あなたを。」と、言ってもらえた時のことを思い出しました。

 

いただいた優しさと、誠実さを、私はきちんと受け取ることができているのかな、と反芻する放課後の時間となりました。


親のしつけ力?子どもの個性?

2021-06-12 18:00:08 | 育児

娘は赤ちゃんの頃たいそう甘えん坊で、だっこが大好きな子でした。

私はひどい腱鞘炎になりましたが、それでも寝てもらうには抱っこするしかありませんでした。

「あらあ、抱き癖がついちゃったのね。」

と言われることがあったので、私が抱っこしすぎたのが原因なのかとちょっと悲しくなりました。

 

そして、人見知りの時期は「ママ以外」全ての人に泣き叫んでいたので、

もちろんパパやおばあちゃんも対象でした。

私の腱鞘炎のひどさは、もう。

娘に愛情を与えたいと思う一方で、さすがにこのままいくと私がかわいそすぎやしないか、と思うほどでした。

ほかの人の助けを借りたくても借りにくいこの状況は私が作ってしまったのかと、悩みました。

 

抱き癖をつけてしまったから。

ほかの人がちゃんと娘に向き合ってくれないから。

 

などと大人側に原因を見つけては、一向に解決しないので諦めようと思うものの、やっぱり悲しくなりました。

 

ですが、今、声を大にして言いたいのですが。

抱き癖というのもあるのかもしれませんが、我が子は少なくとも生まれつきです!

大人に原因なし!

これっぽっちも、なし!

そもそも新生児室にいる時から、人一倍ギャーギャー泣いて、ほかの赤ちゃんを起こしてしまうようだったので

「お母さん、まだ面倒見られないんですか?」

と、何回も気を失うように寝ている私に声をかけてきた助産師さんもいたくらいです。

別のベテラン助産師さんがまだ無理ですよね、まったく、みたいになったりして、産院も対応が一貫していませんでした 笑

 

ただ、あまりに迷惑らしくて、扱いがぞんざいにすら思えてきました。

車椅子から卒業するや否や、無理にでも母子同室を決行したところ、我が子は結局ベビーコットで寝てくれることはなく、私が抱き抱えてベットで寝ました。

私もミルクをあげながら何回も気を失うので、この子を潰し殺すのではないかとヒヤヒヤしたものです。

よく考えなくても、抱き癖もへったくれもあったものではありません。

 

で、幼稚園の頃に、なぜあんなにパパやおばあちゃんで泣いていたのかを聞くと

「ママがよかったんだもん。」

とのこと。

パパやおばあちゃんが嫌だと泣いていたんではないそうです。

 

でも大人から見たら、明らかにパパやおばあちゃんを激烈に嫌がっている感じなので

鉄の心をもった母も少しうんざりする、というかがっかりしていましたが、

ガラスのハートのパパは、かなーり傷ついていました 笑

必要のない傷つきでしたね。

むしろ、「ママがいいのね、ごめんねえ、パパで」くらいの度量があれば、受け入れてもらえたかもしれませんね 笑

 

ということで、もし同じように今悩むお母さんがいらしたら、

「そっか!子どもの個性だから、受け入れるしかないのね。」

と思って、諦めた方がいいと勝手に提唱します!笑

抱き癖説は、我が家では全然当てはまらないです。

 

あきらめる方が楽なこともあると思うんですね。

そして育児だとか躾だとか、大人のせいにするのももちろん仕方ないんですけれども、

責任から逃れるという意味ではなくてですね、

赤ちゃんにも個性があることを忘れちゃいかんと思う今日この頃です。


最悪を想定しやすくなった

2021-06-09 13:10:21 | 日記

病気になってよかったことのひとつに、最悪の事態というのを想定しやすくなったことが挙げられる、と思っています。

 

今、地震がおきました、さてどうしますか?となった時、どんなことを想像しますか。

私ね、多分想像できないんじゃないかと思うんです。

とりあえず逃げるでしょ、みたいな漠然とした発想が思い浮かぶだけみたいな。

 

こんな風に呑気に生きていますけれども、元々そういうことをシュミレーションするのが好きなタイプでした。

でも、産後こんなことになるとは全く予想もつきませんでした。

というよりも、実は予想していたんです。

もし私が病気になっちゃったらどうしようと。

主人に、自己血輸血をしておいた方がいいんじゃないか、なんて相談したこともあったんです。

もちろん健康優良妊婦だった私にそんなことはできなかったんですけど。

 

その後本当に病気になってしまって、私はとまどうだけでした。

そして手助けをしてもらっても、まるで想像していなかった世界が広がり続けました。

良い意味でも悪い意味でも、これを想定しておけという方が無理です。

だって知らない世界なんですもん。

 

だから、もし地震が起きたらどうするか、などは過去の経験者の方のお話とか、どうすべきなどの指南本を読んだりして、知識を仕入れています。そして自分達に置き換えてアウトプットするのです。

今度、職場から自宅まで歩いてみたいと思っています。

実際に歩くと見えてくるものもあると思うし、何より安心しますからね。

何本の水を持って出てくればいいのか、とか。

靴はこれでいいのかな、とか。

 

最悪を想定するって、なんか不吉で後ろ向きでダメな人がすることみたいに思うかもしれませんが。

備えあればうれいなし、です。

毎日の生活に安心を持ち込めるという意味で、めっちゃ前向きなつもりなんですけど。違うのかな。

何か良い情報があったら、教えていただきたいと思っています!!


愛情を与えられた分だけ、人に優しくできる

2021-06-04 14:23:20 | 育児

まだ子どもがお腹にいた頃の話だったような気がします。

主人の叔母に、こう言われました。

「人は、愛情を与えられた分だけ、他の人に優しくできるの。」

 

叔母は、とっても穏やかなゆったりとした話し方をするので、みんなからマスコットのように愛らしい人と言われています。

しかし、時々ものすごく確信をついたような話をするので、ハッとさせられます。

 

この言葉は、私が病気で、私が考えるまともな育児ができていない間に呪文のように唱えていた言葉でした。

 

娘はこんな母のもとで幸せになれるだろうか。

私の愛情は伝わるのだろうか。

どうやったら私の愛情を感じてると確認できるのだろうか。

などと考えていましたが、わーわーと泣く娘とともに泣いたり、わめいたりする自分に、時々この言葉が降臨しました。

泣きながらぎゅーっと。泣く娘をただぼーっとぎゅーっとしている時もあったような。

それでもいいのかなって思えたのは、この言葉を思い出した時でした。

 

何か伝わるはずだと、願いました。

この愛情が、この子にとって人に優しくできる何かになればいいなとひたすらに願っていました。

 

幼稚園の頃のエピソードをひとつ。

幼稚園の隣の公園に、木登りするのにちょうど良さそうな木があるんですね。しかも何本も。

元気がいちばん!みたいな幼稚園だったし、我が子も私の小さい時と違わず体を動かすことが大好きでした。

娘が木登りも上手にできるようになって遊んでいたところに

「私も登りたい!」

って、お友達に言われたみたいなんです。

そのお友達もとっても運動神経がいい子だったので、きっとすぐに登れるようになると思ったみたいで、木を譲っていました。

私は遠くのベンチからその様子を何となーく見ていました。(一応危ない遊びなので見守ることはしていました。)

なんか一生懸命足を持ち上げてあげたり、お尻に手を当てたりして、うんしょうんしょしてるんですけど、いまいちうまくいかない。

それで、口で説明したみたいで、お友達がひとりでのぼり始めました。

「がんばれー!がんばれー!」

という娘の声がこだましてきました。

ついに目標の場所までのぼれた時、お姉さんたち何やってるの?とばかりに周りに集まってきた年下のお友達に大真面目に大号令。

「登れた◯◯ちゃんに、みんなー!はくしゅー!」

と言って、娘含めた15人くらいでスタンディングオベーションみたいになってました。

木の周りに集まる小さな子どもたちで、上を見上げて拍手。拍手。公園に拍手の音が鳴り響きます。

遠くから見ていた私はもうおかしくておかしくて、井戸端会議そっちのけで吹き出してしまいました。

 

これが私が娘に備わってくれと願った「優しさ」なのか、ちょっと違うような気もしましたが、こんな優しさもありなんじゃないかと思って、少なくとも私は幸せでした。

 

数年経った今はというと。

私が足を痛めて、

「うう、さすってほしい」

と言うと

「パパー!マッサージしてあげてー!」

と、自分でさすることから逃げることがしょっちゅうなので、

「はあ、優しくないなあ」

と親二人はため息をついています。

ただ、マッサージをパパにきちんと依頼しに行ってくれるので、ギリギリ優しいのかもしれません笑

 

おばさま、今後どうなるかわかりませんけれども、やっぱり大好きだよということは伝え続けていきたいと思います。


スーパーヘルパーさん(開業編)

2021-06-02 10:20:20 | 開業

勝手なイメージですが、ある人物に出会った時、その人の「今」を見たに過ぎないのに、それが全てだと評価してしまうことってありませんか?

先生をしている人なら「先生」。

ヘルパーさんなら「ヘルパーさん」。

その人たちが実はお父さんだったりお母さんだったり、病気をもっているとかそういうことすら「え?そうなんですか?」みたいに意外に思っちゃったり。だから元々はやんちゃをしていたとかいうような過去のことはすっかり抜け落ちてしまうというか。

 

病気になって、自分が「病気の人間」だけになってしまっていたのは、もしかしたらこういう風に物事を簡単に理解しようとしすぎる自分にあったのかなと思っています。

まあ、それくらい辛い日々だったし、ドラスティックな変化だったんですけど。

 

ところで、スーパーヘルパーさんは、実は元々は社長夫人です。

ヘルパーさんは後から始めた職業なのです。

社長夫人ですが、私以上に必死に旦那さまのお仕事を支えて育児もされていた方なので、エピソードもすっごいためになることばかりでした。

人生いろいろあるんですねえ、なんて言いながら、相談に乗ってもらっていました。

お高いソフトを買ったけれども、結局手で全部計算した方が間違えずに済んだ、とか。

赤ん坊おぶさって階段を駆け上がったとか 笑

人に騙されることがあるから、気をつけないとなんてシビアな話もありました。

 

社長夫人なんて優雅そうに聞こえる肩書きの裏で、どれだけの苦労があったのかは簡単に想像できませんでした。

でも、目の前で頭をフル回転させてるわけでもなさそうなのに、くるくると動いてあれこれ気配りをするスーパーヘルパーさんを見ていると、いろんなご苦労と経験があったのだろうと思うことは簡単でした。

「私ね、体を動かすことでしか稼げませんから!」

なんて本気で発言されるので、うっかり騙されそうになりましたけれども。

そりゃヘルパーさんというお仕事は体を動かせない人は務まらないと思います。

でも体だけでどうにかしている人ではなかったので。私は本当に助けられました。

 

他の利用者さんで、スーパーヘルパーさんの担当だったことがある方がいらして。親御さんなんですけど。話す機会に恵まれました。

スーパーヘルパーさんの日だけは特に安心して親御さんを預けられるとおっしゃっていました。

転ばないようにバスを先に降りて支えてくれるとか、歩くペースを合わせてくれるとか。そういう細かいところがその日の散歩の満足度につながったりするのかなと。あまり話してくれないらしくて、理由ははっきりはわからないけれどもとにかく毎回ニコニコで帰ってくるので、預けてよかったっていつも思っていたそうです。

同じヘルパー業でも、結果は全然違うのに、対価は同じなので(基本は介護保険の中で賄われるので)評価も同じようになってしまう。

それはちょっと寂しいなあって思います。

ちゃんと評価されれば、もっとやる気になる方もいるのかもしれないな、と思うので。

 

スーパーヘルパーさんは私と話すと少し楽になりますーなんて話してくれたこともあります。

私も少しはお役に立てることがあるのかなあ、なんて嬉しくなりました。

一側面だけを見て、それを全てだと思うことの危うさを教えてくれたスーパーヘルパーさん。

そして、ヘルパーというお仕事をしている方がどんな人なのか、ぜひ知ってほしいと思うのです。それほど優しさと知性に溢れた現場でした。