娘から相談がありました。
クラスに、いつも筆箱で遊んで大きな音を立ててしまうので先生に怒られるお友達がいる。
先生は注意するけれども、まず遊ぶのをやめないので、先生は怒って廊下に出す。
と。
あなたはこういう時、何を考えるの?と聞くと、
「人に迷惑なことはしてはいけない。と思う。」
とのことでした。
その考えは正しいし、学級運営ということを考えたら、先生のしていることも間違っていないとも思います。
けれども、忘れてほしくないのは、社会にはこういう珍しい行動をする人は山ほどいるということ。
例えば私がテストの時に鉛筆が持てません、と言ったらクラスのみんなはどうするのか。
先生は、「どうせ0点なのだから、もう帰っていいですよ」と言うのでしょうか。
あなたは、私みたいな訴えのお友達を教室から排除するのか、と聞いたら絶対にしないと言います。
なぜかと問うと、「だって頭の中では答えもわかっているし、鉛筆が持てないのは人に迷惑をかけたくて持てないわけじゃない。」と答えます。
「でも、私が鉛筆が持てないと言ってテストの開始が遅れれば、みんなは迷惑するよね。」
「でも!でも!・・・」
「そう、でも、大事なお友達だということに変わりはないはず。このことだけで教室から排除したら、ちょっと寂しいよね。」
「うん。」
「だから、みんなで、この人にどうやってテストを解かせてあげるか、を考えてもいいと思うんだ。」
話を戻しまして。
「その筆箱のお友達は何がしたいのかな。授業がきっとつまらないんだよね。どうしてつまらないのかな。」
「頭がいいから、もう学校の勉強はつまらないんだと思う。」
「そっか。じゃあ、もっと静かに遊ぶ方法があればいいのかもしれないよね。何でしないのかな。」
「うーん・・・。」
「なんでうるさくしちゃうのかな。静かに遊ぶ方法も知っているはずだよね。」
「おしゃべりは好きだけど。うーん・・・。」
「考えなさい。観察しなさい。それを学びに行っているのです。」
と、ここまで話したところで娘はやたらに感心して
「これだから私はママの娘をやめられないんだ。」
と言いながら、今日学校に行きました。
私も実際の光景をみたわけではないので、何が正解かは実のところわかりません。でも、きっとその子には何か言いたいことがあるんだと思うのです。伝えたいことがうまく伝わらないジレンマを感じずにはいられません。クラスのみんなが許してくれる空気があるのだとも思いますが、どんな形でもみんなで笑える時間が増えるといいなと、保護者として願わずにはいられません。
娘が何か良いことを思いついたらいいのですけれども。さすがにもう少し寄り添って一緒に考えてあげるつもりですが、いずれ何か楽しい方向に動いたらいいですね。
私はマイノリティです。社会に迷惑をかけまくって生きています。
でも、最近はきっと何か恩返しができると思って生きています。
私もテストが受けられなくて困ったことがありました。
その時は、自分の不甲斐なさに打ちひしがれていましたが、今はもう少しやりようがあるかもしれないと、希望に目を向けています。
さて。私も考えることを続けて参ります。