なぜ1人で
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c7/8464a7655180dc6e3d1a4f9f0456ebed.jpg?1739148896)
よくふらふらと珈琲飲みに行くのかと言われるが
それほど頻繁に行くことはない
普段は自分で好きな豆で淹れる珈琲が落ち着く。
お金出して頂く事はあまりしない。
普段使いの珈琲とか主婦料理のお店とかよくあるけど
あれは家で出来るものばかりなので
行く気持ちになりません。
それよりも
お小遣いちょっとずつ貯めて
たまにお出かけした時は
お洒落して
自分が淹れない珈琲とか紅茶とかお料理とかを楽しめたらいいなと想う。
でも出張中にそんな贅沢を楽しむ暇はないので
気分転換はかるために
手近なカフェ等に入り景色見ながらぼーっとするのです
何にも話さず
黙ってぼーっとする時間は
私には時々必要です。
お友達と一緒に何処かに行くとかはほとんどありませんから
朝から晩まで創作のことしか考えてない私は
時々ぼーっとして1人で景色見ながら頂く珈琲でリセットしています。
今朝の小倉は雪が降るほどの寒さではなく
小雨散りそう。
どんよりとした冬の空。
以前小倉城を見て
なぜお城を囲むようにやたらデカい警察署とかタワーマンションとか建てるのか意味不明❢と、ちょっと嫌な感じでした。
考えられん。お城見えない。
しかも目の前にオレンジ色の看板のカフェが。
オレンジ色の看板っていいんか?
なんて想ったけど
最近は慣れてきて
まあ小倉ではお城も建築物のひとつとして、周りのデザインビルや高層ビルと同じ目線で捉えられているのだなと段々理解してきました。
だからこそ
文句も出ないでしょう。
捉え方はその土地により様々。
奈良なら信じられんと憤慨されるし
京都なら看板やビルの色、高さを規制してしまうし。
いやいや、もしかしたら何処か他の地域なら
お城をクリスマスにイルミネーションでキラキラされるかもねえ。と
見ていて想像しながらクスクス笑うのも楽しい。
いろんなシチュエーションで街の姿を考えたとき
その個性が生かせて加えて美しさだけは忘れてほしくない気がしました。
近代的ならそんな感じ
古風さと近代的なのをコラボするならそんな感じ
古風で行くならそれで。
いろんな街の姿を見るにつけ
全体から考えることは案外難しいし、可能ではない事も多いなあと想います。
外から単純に考えればあれこれ言えるけど
もしも自分がお城の横にビルを建てなくてはならないとき
果たしてどのような景色を生み出そうとするかなあとか。
目の前のどんよりした空がキャンバスになり
あれこれ心のなかで描いて行くと大変面白いし
飽きない。
愉快だなあ。
三次元お絵描きです。
私にしか見えないお絵描きなんですけど
目の前の紫川の流れが
私の想いの中の落書きを見透かして笑っているような気分になる。
えへへ。バレてる?
と、1人でクスクスします。
桜の木が目の前にあって
芽を膨らませています
まだまだですがちゃんと春の準備してますね。
ワンコをお腹のバッグにいれて散歩している人と
反対側からお散歩してきたご夫婦は顔見知りなのか
ワンちゃんに両手を添えて奥さんがにこやかにご挨拶しておられる。
微笑ましい生活の中の一コマ。
人の生活の中には絶えずドラマがあるし
絶えず物語は続いているものだなと
ぼーっと考えておりました。
その続きの物語が
私の心のなかでじわじわ広がっていくので
今日も生きていられる事は本当に嬉しいことなのだなと想うんです。
子供の頃から植え付けられてた強迫観念の鎖を切り
手足を自由に動かして
そして
深呼吸して。
人がどうこうじゃなく
自分の目でしっかり見て
自分の手足で生きていく
病も困難も必ずあるし悲しい事も必ずある
けれどもそれも含めて生きているからこそなんだなあと
今更ながらかみしめる
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この桜の木だってきっと
夜になれば歩きたくて仕方ない衝動に駆られているに違いない