母は楽しみといったけど
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私はふるさと京都が大好きですよ。
京都から出たことがない人にはとても心細いだろう
妹も
さみしいと言う
至極当然。
どちらにしても高齢化していれば
本当にこういう事は当たり前になりますね。
夜中から凄い風
母はこちらにいる時この風を怖がった。
京都では台風の時しかこんな風は吹かないからです。
季節風ですが慣れたら当たり前でも
経験したことのない風の音はきっと怖かろうなと想います。
本当は京都にずーっといたいのでしょう。
慣れたふるさとですから。
しかし妹も私も、仕事を持ち
四六時中一緒にいることはできません。
京都では施設に入ることも既に飽和状態。
一人暮らしでなければいろんなサービスは受けられません。
同居した途端に色々打ち切られるのは、姑の時に大変な想いをしましたからよくわかるんです。
離れたら顔を忘れられるんじゃないかと妹が、ぽつんと言いました。
きっととてもさみしいのです。
胸が詰まる。
京都のみんなは
口々に
あなたには国東が合ってると言いました。
もちろんそうなんですね。
けれども母と同居できるような状況は、なかなか作家と言う仕事ではないのです。
私の代わりに2年間母を見ながら仕事していた長男。
文句も言わずずーっと寄り添いました。
しかし彼にもやりたい事はありました。
彼の人生を優先したかった。
妹もまた
状況は簡単ではなく
本当にこの半年しんどい想いをしてくれた。
介護というものは口では簡単。
けれども余程余裕ない限り、何かを失わなければできない事です。
作家を辞めればいいことだ。と、簡単に言う方々も、おられました。
あなたが夢を持つからお母さんを、不幸にするのだとよく言われたものですが
本当にそうでしょうか。
そうは想いません。
私はコツコツ積み上げて
少しずつ歩んで来ました。
それは産んで育ててもらったおかげさま。
感謝を形にするのは
自分の人生を自分で決めて自分で歩むこと。
ちゃんと歩むこと。
親への感謝でもあるのです。
自分のできる事をみんな一生懸命。
きっとこの決断はいい結果を生むよと
そう想いました。
妹も
九州旅行の理由ができるなあと言いました。
二人姉妹。
嫁げば環境も変わるし子供の頃みたいに一緒にはいられないものです。
それでもお互い文句を言い合う事もあっても
やっぱり愛おしい。
私がこちらに来てから
なかなか会うこともできませんけど
外国じゃあないよと、笑いました。
接続うまく行けば新幹線使えば4時間半から5時間程で帰れますし。
近くなりました。
母には遠足だねえと言いました。
もう京都にはしょっちゅう帰れなくなるの?と、母は言いました。
一人暮らしが難しくなると
いくらデイサービスやヘルパーさん増やしても限界があります。
状況は90近くなればなるほど深刻。
母は運動苦手で両膝や股関節の手術もしていますから
軽快に動けません。
甘えん坊将軍と言うくらいの寂しがり。
昨日も5回も電話して来ます。
いつもいつも声を聞かないと落ち着かないようです。
これは昔からの性格。
私が中学生の頃
入退院繰り返した母は
病院で1人がさみしいとよく泣いた。
本当に寂しがり屋さんで。
私は毎日学校帰りに母の病院に行き
洗濯物を持ち帰り
夕食準備等しましたが
もう中学生でしたから何でもできました。
子どもじゃないと想ってました。
いっぱしの大人気分。
誇りもありました。
泣き虫の母を慰めたり励ましたり。
当時の主治医の先生はちょっと渋くてカッコいい50代の先生で
私はなんて素敵な人❢って
中学生なりに憧れたりしたものです。
同級生はみんな子どもに見えた。(笑)
渋くてカッコいいわあと
病院行くのは楽しみでもありましたね。(笑)
そんな思い出もありますね。
きっといいことあるよ
と、言いました。
外出できる施設なら
たまに泊まったり一緒に出かけたり食事もできますね。
そんな楽しみも持てるよと言いました。
自分の長年の荷物がどんどん整理されて行けばそりゃ不安にもなりますね。
泣きたくもなるでしょう。
そんな母の心に寄り添えたらと想います。
私は創作は決してやめません。
この前小倉で
どれほどの皆さんが涙を流してくださったか。
そして
同じ方向を向きチームとして頑張りたいと言ってくださる方々のありがたさ。
創意工夫というものはどこにでもあります。
人は限定した途端に駄目になります。
限定しないで小さな幸せや希望を積み上げて行ったら
小さな花も咲くのです。
そう信じて笑顔で過ごします。
こうして元気に毎日暮らせることだけでもありがたいこと。
贅沢言えばきりがない。
たまに京都に連れて帰り
懐かしい場所や人に会わせてあげよう。
新幹線は早いです。(笑)
車ならばとんでもない。
京都には京都のにおいのようなものがある。
私のように知らない土地に多く行く人間もいますが
母のようにふるさとしか知らない人もいます。
寂しくないように工夫はできます。
きっといいことあるよ。
楽しいよ。
毎日毎日それを繰り返して話します。
しかし電話と言うものはありがたいものですね。
今はスマホあるから旅先でも自由に電話で話せます。
携帯電話のない頃なら
こんな事は無理でしたね。
こういう便利な物はありがたいなあとつくづく想います。
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私はふるさと京都が大好きですよ。
福岡の友がぽつんと言いました。
国東にいたからお母さんの事も見られるねえ。と。
全ては一番いいように進んでいるねえと。
ああ、本当にそうだなあ。
ありがたいなあと想いました。
私は余計に明るく創作に励めるなあって
そう想いました。
創作している私には本当に
ここは素晴らしい第二のふるさとなんです。
心から好きなところ
ああ
この地にいて本当によかった。
全ては一番いいように進んでいるなあ
そう想います。
感謝です。
母もこちらに来るように言いましたが、やっぱり駄目でした。目の前で見てると安心できたのですが・・・
でも、幸いにいい施設へはいれたので、私は年に3~4回の帰省で母を見守ってきました。それしかできなかったですから
お母さまとの時間、これからは密にできこと願っています
年齢経てからの移動や移住はとても辛いことでしょうし、私も京都でいいところがあればと探してもらっていました。こちらが京都に何度か帰省すれば会えますから。しかし今京都市内は空きが無く、空いている所は市内から車で2時間くらいは離れています。京都北部は本当に不便なので、そちらになると冬などは凍結や雪で行けません。色々考えた末にこちらに来てもらうことにしました。年末はちょっとこちらでの生活が大丈夫かお試しでした。
>cosmosさま。そちらから年に3〜4回の帰省は本当に頭が下がります。... への返信
以前お母さまが「また行きたい」そんな話をブログで読んだことがあり、今回のこともきっと大丈夫と思いました。慣れるまでしばらくはお母様のフォローが大変かと思いますが、きっと大丈夫!
おばあ様思いの息子さんもいらっしゃることですから・・・
きっときっと大丈夫❢
それを信じて笑顔で過ごします💕