今日は。
私は東京に生まれ、64年間暮らしていたのに東京郊外の八王子市に所在する高尾山に一度も行った事はありません。妹や友達は遠足などで1,2度訪れていると言うのです。500米位の低い丘とどこか馬鹿にしていた節があります。予備校に行っていた時や会社勤めをしていた際には、中央線高尾行きの電車を見る度、これで行けるんだなと思っていました。
最近、日帰りが出来る観光スポットとして、若人、中高年に人気で、テレビで何度か見ました。ミシュランの観光ガイドで、観光地の山として三ツ星を獲得したのは、高尾山と富士山だけとの事。
学生時代は山男に連れられて、夏休みに大雪山系10日間、剣岳4日間などの山々を登り、大自然の雄大さ、神秘さを教えられました。
定年退職4年目で、また頚椎症なので体力をそれ程鍛えていないので、500米級位なら丁度良いのかもと考え、山男に幹事を依頼し、級友男子8人(1人鬼籍)への連絡をして貰いました。1人はもっと高い山が良いので、また1人はゴルフで脚を捻挫、1人は体力が無いなどで、結局4人の参加。
1週間前にテレビで見た簡単ヨガの立位、座位、臥位のポーズを従来の柔軟体操に加えて実施しました。11月の3連休の中日2日(日)には空前の7万人が押し寄せ、トイレ難、骨折や捻挫をしてしまった観光客が出る騒ぎと新聞に書かれていました。
毎日、テレビ、新聞を見て当日の天気が心配でした。と言うのは7月の予定日がその日だけ大雨で延期になっていたからです。そして紅葉の11月29日(土)に第一予定日としたからです。
運良く暖かい日に恵まれ、四人分の缶ビールとおつまみをリュックに入れると重く、腰を痛めてはと心配になり、缶ビールを除けました。幹事がビール・酒は高尾山口で仕入れるとメールしてきているので。近くでお握りを購入し、日暮里乗り換えで新橋の人身事故で15分の遅れ。京王線新宿では線路内に人が入ったので、運行停止がアナウンスされ、ついていないな、集合時間に間に合うか気になりましたが、10分待ちで発車しホッとしました。10分遅れで終点高尾山口で下車し、改札に降りると、何と前の広場も人で溢れていました。ここでも男性3で女性7位の割合で、中高年女性のパワーを感じました。4人が揃い、ビールを買って、私は峠の向こうには店が殆ど無いと判断し、土産として饅頭を2箱購入しました。皆に「土産は?」と聞くと、「女房は寝てて、勝手に遊んでらっしゃいと言う態度だから、要らんよ」「毎回お土産は大変だから」などと答える。
ここは、頂上までの往復時間と勾配などから初心者、初級、中級と8コースが設定されていて便利です。私達は3.8キロ、3時間コースの1号路を選びました。頂上から引き返さず、先の小仏城山、小仏峠、美女谷温泉、相模湖駅を目指すので、体力温存の為、ケーブルカーで清滝駅から高尾山駅に行きました。ケーブルカーは斜度50度近くあり、下り向き座席から滑り落ちそうです。9日前の鎌倉散策と違って、8割の紅葉が目に飛び込んできました。下車後、展望台から市街地を一望しました。案内板が無いので、新宿副都心の位置が判らず、遠方は霞んでいます。途中、樹齢五百年のたこ杉をバックに記念写真。根元が巨大たこの頭の形をしていて不気味です。言い伝えとして、道の邪魔になる根を切られそうになった杉が、一夜で根をぐにゃりと曲げたと。途中、浄心門を抜けると、仏舎利塔への高い石段があり、避けて、女坂から裏手に出て、手を合わせたのです。高尾山薬王院では巨大な天狗像に会い、目を奪われました。法事のため5,6人のお坊さんが色鮮やかな法衣を纏い、階段を上っていて、千載一遇と山男の柿さんや観光客がシャッターを切りました。ここは始祖が興教大師の真言宗智山派であり、約1260年前に聖武天皇の勅命により高僧行基菩薩が開山。薬師如来、飯縄権現が祀られている。ここでもパチリ。本堂横を通ると、黒い甍に朱の柱、そこに燃えるモミジが添えられ絵になるアングルで、カメラマンの列でシャッター音が続く。
海抜599米の山頂に着き、汗をかいたのでジャンパーを脱いだ。眼下に赤いメグスリノキ、黄金色のブナ、イヌブナ、その先に山々の連なり、富士は恥らいつつ雲で顔を隠す。大山などの丹沢山系はくっきりと青空に浮かんでいるのに・・。
緩やかに登って行くと、明るく開けた一丁平に出て、モミジ、イチョウ、シラカバの色の対比が美しい。更に進み、昼食予定の海抜670米の小仏城山に到着。どこもかしこも輪が出来ていて、余地は無し。先に行って、人気の少ない所をと・・。眼下には紺碧の相模湖が樹林の間から、また雄大な富士の胸辺りが見えた。少し歩くと、休憩所があり、外で5組が昼食中。南面の空き地を探す。「でこぼこで、平らな場所がないな。もう少し先に行ってみようぜ」「そうだな」少し間をおいて、「ここを空けますから、どうぞ」と、ソプラノ声がした。「悪いな、追い出したみたいで・・」「食べ終わって、十分、休憩しましたから、遠慮なく」「そうですか。済みませんね」3人娘は立ち上がり、我らは食事の準備をした。「あら、おでんをコンロで温めるのですか?」「彼は山男で本格派なんですよ」「食事前だったらご相伴に預かれましたのに、残念だわ」「そうでしたね。美人とご一緒なら食もすすめたのに・・」「どうもありがとう。お気を付けて」「ご免下さい」
思いやりの爽やか笑顔が立ち去った。
達成感と共にビールで乾杯し、次いで日本酒。柿の種、イカの燻製。口にしたおでんが身体の芯を火照らせた。アッと叫んだ柿さんの声と同時に汁がジャンパーに飛んだ。窪地に脚を取られ、満タンの食器が傾いたのだ。「悪い、悪い!」「大丈夫だ」運び先の山さんより対面の私に多く掛かってしまった。即座に手拭いが渡され、拭った。「手渡しにすれば良かったに。汁を入れ過ぎだよ。七分目位だな」「大した事無いから、大丈夫だ」自分はひやっとした風が出てきたので、脱いだジャンパーを着ていて被害少なし。「寒い時には温いおでんが最高だわ」「本当だな。美味かったよ、ご馳走さん」 道中半ばなので、酒はほどほどにした。温い鳥の唐揚げ、お稲荷さん、お握りを出し合い、適当に皆で摘んだ。唐揚げが人気だった。
ポツリと何かが顔に落ちた。「何だ、これは?」富士山周囲の白雲が何時の間にか黒雲に変わり、こちらに迫って来る。「あそこの雨が強風でこちらに流れているんだ」雨滴が風に運ばれちらちらと光り輝いている。「そろそろ引き上げよう」「食事が終わって丁度良かったぜ」
階段状の下りは骨が折れる。そして上り、また下りと草臥れた。立ち休憩を取ろうと言い、止まった途端に、右ふくらはぎに痙攣が走り、驚き、マッサージを施した。頚椎症からの筋肉過敏のせいかと思った。「低い山なのでもう少し平坦かと思ったが、結構きついな」「そうだな。俺もそう考えていた」山男が同調した。下りきって小仏峠に出た。右の道は小仏のバス亭との案内あり。数本の柱の1本に白ペンキの上から黒で小仏峠とあり、質素なので峠はもう少し先に休憩所と一緒にあるだろうと皆が思い、先へと脚を向けた。鄙びた売店がある所に出て、山さん持参のカメラに4人が納まった。「私達も撮ってもらおう」「ええいいですよ」「お互い4人ずつだ」「いえ、5人なんです」「そう」「これでお願いします」「僕は老眼で目が悪いから、セミプロの柿さん、代わってくれる」「おお、いいとも」背が同じ位の20代の娘さん5人が横に並んだ。「有難う御座います」「この先はどうなってるの?下り?」柿さんが問うた。「下って、上ります」「え、まだ上りがあるの・・」皆はややガクッときた。別れを告げ、急坂を下り、上りする。「いやに登るなあ・・」「相模湖から離れていく感じだよ」「そうだな。可笑しいぞ」「誰かに聞いてみたら?」
1人で下って来た細面の中年に柿さんが尋ねた。「小仏峠辺りから相模湖の美女谷温泉に行きたいのですが・・」「僕は景信山から下りて来たけれど、途中相模湖に下りる道は無かったな」と言いつつ、リュックから地図を取り出し、調べ始めた。「小仏峠は200米位戻った所ですよ」「え、そうですか!」「さっき、小仏峠と書いて有った所だったんだ」「でもあそこに道や標識がなかったみたいだったな」「途中止めて済みませんでした」「いいえ、どう致しまして」「お気を付けて」彼は地図を仕舞うと、下りを足早に去った。「凄いな。熟練しているな」「本当に」
がっかりしながら少し歩き始める。「すみません」と言いつつ、ヒョイヒョイトと天狗の様に駆け下りる小柄な山男。上には上が居るものだと、皆は脱帽した。駅前で仕入れた観光マップには小仏峠から相模湖への道は記入されていない。ヤフーの地図の抜粋には当然記載されている。
先程の地点に戻ると、草の中に小さな標識があった。相模湖へ、旧甲州街道と。「こんなに目立たないのでは、見落としちゃうな」「良かったよ。早く気が付いて」「全くだ」口々に言い合う。鬱蒼とした樹木のため日が射さない細い道をジグザグに降りて行きます。「昔の人はこんな山道を歩いていたんだ。小さい頃、映画で見た山賊に出会って怖い目に遭ったんだろうな」「籠や馬もここを通ったのかな・・」「子供連れは大変だったろう」などと、江戸時代に思いを馳せる。やっとの事で、木漏れ日を認め、車の音が懐かしい。中央自動車道のコンクリート橋脚を仰ぎ見て、日本の土木建築の凄さに触れる。横の深さんに北京3年弱の駐在中の『老いらくの恋』をとうとうと話した。(丸秘なので、ここには記載出来ませんが、自著小説『北京の月季(イエチエ)』または『愛と死の絡繰(からくり)ー北京の月季(イエチエ)の増補版ー」をご参照下さい)彼は細目を丸くして頷いている。美女谷温泉は午後3時までに行かないと入浴できない由。無常にも針は4時少し前。「あそこで時間を浪費してしまったからな」「折角ここまで来たのに残念」「名前は忘れてしまったが、もう1軒温泉がある」(持参した柿さんからのEメール添付の地図にその名前があったと、このブログの書き込み時点で気付いた)「だったら、地元の人に聞いてみたら」「判った」川を下ると三叉路になり、地元人らしき小母さんに『天下茶屋』で、入浴出来ると聞いて、安堵した。左手を道なりに進み、店の看板に従い、小道坂を下ると、こじんまりした平屋旅館が目に入った。1人1050円を支払い、8畳位の湯船に浸かった。「温泉の成分表示がないので、ここは普通のお風呂なんだ」「ちょっとお湯を舐めてみよう」「汚いからよせよ」「大丈夫」と、指を舌に乗せ、「殆ど味がしないよ」と皆に言った。疲れを癒し、上がった。「日帰りで、お湯に入るのは初めてだな」皆も同じ事を口に。「汗でヒヤッとするぜ、下着が・・」「着替えを持ってこなかったのか?」「テント暮らしは風呂に入らないからな」「僕は汗をかいたり、風呂に入る時には必ず着替え持参が習慣だよ」1人快適気分で着替えた。その時、リュックの底に妹が作ってくれた分割リンゴが早く食べてと騒いでいる。最近、記憶回路が円滑に機能せず、的確、早期に呼び出せない。ソファーに寛ぎ、皆で分けた。結構腹の足しになる。疲れてるし、4人ならバスでもタクシーでも料金はそれ程変わらないからと、柿さんの携帯で車を頼んだ。小坂を登ると、タクシーが丁度到着。「相模湖畔は雪洞が点いて、夜景が綺麗だわ」「折角だから、それを見てから相模湖駅へ」・・・・・・「おや、今日は遣ってないみたいだわ。お客さん、ご免なさいね。ここでメーターを倒しますからね」「でも、白く映った湖はかいま見えたから」「そうだよね。相模湖のタクシーに詐欺にあったと口コミされたんでは、町の名誉に傷がつきますものね。インターネットで日本中に広まってしまうよね」車内に笑いがこぼれた。相模湖駅前で下車し、トイレで膀胱を空にした。買ったビールを口に含む。身体全体が喜ぶ。「今日は愉しかったよ。毎年遣りたいな」「日帰りはきついから、民宿で1泊にしてくれよ」と千葉県野田の山さんが口を挟む。「そうだ。のんびりしたいからな」高尾止まりで降り、始発の中央線快速に乗り換える。跨線橋はラッシュ並みのごった返し。右手の階段では動かず、左手はすいていたので、そちらから下りた。
入線し、後部から2つ目の車両ドアの真ん前から一番で入り、3人が座れた。運が良かった。若い頃には座席を求めなかったのにと、老いを痛感しながら、もう一口を味わう。
八王子駅で横浜方面の柿さん、深さんが乗り換え、次回を約し別れた。山さんは西国分寺駅から武蔵野線へ、自分は三鷹で準特急に乗り、御茶ノ水から秋葉原、日暮里経由で京成線へと乗り継いだ。
このブログを書き込みながら、写真を撮って貰ったグループ位には自著を宣伝して置けば良かったと後悔する。WEB検索で、『高木』と入力し、立ち上げた10社のブログを覗いて頂ければ、無料で小説や詩が閲覧出来ますからと。
何はともあれ、四人組の珍道中は無事終了しました。
また、旅行した際にはブログを書きます。
それでは、お元気で!