自著の小説・詩の紹介(巨人戦)

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高木徳一の小説の執筆状況と43作目の『旅愁散文詩』(巨人戦)

2009-06-15 15:58:42 | 小説

 今日は。

 東京は一日曇り空です。明日、明後日は雨模様との事。19日には大学卒後40年になるクラス会が東京駅近くの高層ビルで開催され、旧交を温めて参ります。

 8日に出掛けた会社OB会の『山梨でのさくらんぼ狩り』は、朝はジャンパーを着たほど寒く曇天でしたが、、中央高速道を走り、新笹子トンネルを抜けると晴れ間が見え、40人が歓声を上げました。勝沼のワイン酒造工場見学ではすきっ腹に何種類ものワインを試飲して頭がふら付きながら赤ワインを購入。その後、さくらんぼ狩りで、佐藤錦と高砂の赤い実を頬張ってから、山中湖、河口湖の脇を抜け、忍野に行き、丘の上のホテルで洋式の昼食を酒と一緒に摂りました。眼前の富士は生憎、恥ずかしそうにして微かに天辺を見せるだけ。心がリフレッシュされた健全な旅は無事に終わりました。

 政局は、鳩山総務相の更迭辞任劇があり、簡保の宿の安価と言われている一括売却の是非と裏工作の有無が問題であります。千葉市長選を入れ、地方首長選の民主3連勝となり、内閣と自民党支持の低下が浮かび上がってきていますね。郵政制度不正事件(障害者団体用の低額送料)で現職の厚労省雇用均等、児童家庭局長が逮捕されたとの事。代議士からの圧力とその見返りが有ったのでしょうか、究明が待たれます。

 スポーツに眼を転じますと、プロレスの三沢光晴さんが試合中にバックドロップを掛けられ、頚髄離断で亡くなったと言う記事に驚きました。哀悼の意を表します。プロレスと言えば、小学生時代(昭和27年頃)はテレビが高価でお大尽しか買えません。駅構内のテレビを外から見たり、駅前の同級生の寿司屋で見せて貰いました。力道山の空手チョップに見入ったものです。柔道からの木村、横綱からの東富士、芳の里、シャープ兄弟、鉄人ルーテーズ、その後吸血鬼ブラッシー、タイガーシン、元巨人の投手馬場、アントニオ猪木らが続き、女子プロレスの隆盛を迎え、最近はスポーツも多様化し、プロレス人気が低下傾向ですね。

 野球では、マリナーズのイチロー選手が最近安打を量産し、200安打を目指しています。巨人はセリーグでかなり走って20の貯金も出来、このままではファンとしても興行的にも興味が半減するので、ブレーキが掛かればと思っていました。交流戦では、投打が下降線を辿り、14日現在34勝18敗6分で貯金16と減り、ヤクルトと3ゲーム差になってしまいました。3連敗を忘れて、明日からの西武戦、ロッテ戦で巻き返して下さい。

 さて、小説については第1回『鶴』シニア自分史大賞の佳作品である自費出版作『炎に死す』をワードに打ち込みました。11年前の初版で編集長に1.婆ちゃまの人物が立ち上がっていて素晴らしい  2.場面転換が不明なところがあるが、後学のため手を加えずそのまま出版する  3.記述が具体的にかつ細か過ぎ、余韻が少ない、 また友人から1.婆ちゃまは作者の母親を反映していると思われ、良く描けている  2.性描写場面は余りに淡白過ぎるので追加したらとコメントを受けました。

そこで、今回上記の点を修正し、改訂版として紹介致しますので、ご購読下さい。

 最後に、43作目の『旅愁散文詩』を贈ります。今回からの3編は国際または世界消化器病学会に参加した時の旅行記です。

  

  四十三. ニューヨーク (自由の女神の大修理)

                    昭和六十年五月

   成田発午後七時、初の海外出張。18人のツアーパックに入ったが、先発隊は私と他の会社のI.H.さんの2人だけであった。添乗員を含めた後発隊とは2日後にニューヨークのホテルで落ち合う事になっていた。機内で、11時まで喜劇映画を観て、終映となり眠りに就いた。ややもして、光で眼を覚ました。誰かが窓のシェルターを開けている。強烈な光が差し込んでいる。(何だ、ありゃぁ!)と思った。腕時計は確か午前3時頃だったか。あれは太陽の光か。日本じゃ、真夜中だと言うのに・・。日付変更線を越えたのか・・。

 普通は朝食から昼食、昼食から夕食までの時間は6時間なのに、飛行中では現地時間に合わせ、3、4時間おきに、こちとらの腹具合などお構いなく出されたのには閉口した。まあ、適当に残したが。

 アンカレッジ経由で、ケネディ空港に無事到着し、心で万歳を叫んだ。ニューヨーク駐在のI.M.君に出迎えられ、タクシーに乗った。最初の内は右側通行にやや奇異さを感じたが、直ぐに慣れた。ハローランハウスまで送って貰い、別れた。黒人の娘さんにチェック インして貰おうと思って、拙い英語で話し掛けたところ、2人の予約は無いとの事。「そんな!馬鹿な!」思わず日本語が飛び出した。ヒアリングが不得手なとは知らぬ娘は何やらまくし立てている。困って、別れたI.M.君を探しに玄関を出ると、正にタクシーに乗り込むところ。間一髪だった。「これこれしかじか・・。通訳頼むよ」と言った。M旅行社の添乗員を含めた後発隊16人は2日後に、このホテルに来る事。旅の疲れもあるし、また現地時間の午後11時を廻っているので、他のホテルを探すのも億劫である。是非、このホテルの空いている所なら女中部屋でも良いから泊めて欲しい事を。

丁度、当ホテルに居たM旅行社の日本人に聞いたが、担当が違うので一切判ら無いとの返事。何やかやで、20分近くの押し問答で宿泊出来る運びとなり、ホッとした。

3泊したが、真夜中の3時近くに眼が覚めたり、パトカーのキーの高い警笛音に飛び起き、寝付かれなくなり、昼間頭がボーとしている。ははーん、これだな、俗に言う時差ぼけか。納得。

次回に続く。


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