文化財保護協会の機関誌が完成したので、投稿して下さった方々へお預かりした写真をお返しすべく整理していると、素晴らしい龍の彫刻の写真がありました。
この龍の彫刻は、まだ見たことがないのですが、どこかで似たものを見たことがあります。
この龍は、当市の十一面観音社(神社)にあるものです。

似ていると思った龍の彫刻は、彌高神社(秋田市)の拝殿の欄間(らんま)に彫られて龍です。拝殿は神前で結婚式をしたりする所です。
二つの龍の彫り物は似ていると思いませんか。私はきっと同じ人が彫ったのではと思いました。
似ていると思ったのは私だけではありませんでした。
先日の郷土史の学習会に行った時に、先輩会員に2枚の写真を見て頂いたら、いきなり「どっちも丹海上人の作品だね」(断定型)と話されました。
師匠の大先生にも見て頂いたら、にこにこ市して「どちらも丹海上人の作かもしれませんね」(疑問型)と話されました。
私は、当市十一面観音社に行ったことはあるのですが、中の龍の彫刻実物はまだ見ていません。写真では、この神社の中は見事です。
中央に見えるのは鏡です
十一面観音社の龍は、正確にいうと左向きではありません。
神社のお堂の中に小さなお堂(内御堂・うちみどう)があり、その扉の上には鳳凰の彫刻が、左には上り龍が、右には下り龍が彫られています。写真の龍は、正しくは下り龍で下向きにおかれているのです。
図書館に行って作者を調べてみました。 彌高神社の龍は丹海という人の作でした。秋田人名大辞典(秋田魁新報社刊)には次のようにあります。

彌高神社概要 彌高神社は明治14年に平田篤胤を祀る為創建しました。又明治42年には佐藤信淵を合祀し、社殿を文政2年(1819)に佐竹義和が建立した八幡神社を購入し、大正5年に現在地に遷座しました。拝殿は入母屋で1間の向拝があり唐破風が付いています。本殿は普段は見ることが出来ません。秋田県重要文化財に指定されています。
八幡神社にあった丹海作の龍の彫刻が、大正5年に現在の彌高神社に移ったのです。
十一面観音社の中に見える鏡の、その奥の内御堂(うちみどう)の扉の中におられる御神体は、何なのでしょうか。

御神体は、十一面観世音菩薩様(総長75cm)でした。
そして、この菩薩様の作者も丹海上人でした。
この神社の棟札に、「寛政十戊午(つちのとうま)年十一月廿六日、大佛師丹海上人」作と記されており、間違いはありません。
彌高神社の龍の彫刻 ・・・・・・・ 丹海上人の作 十一面観音社の仏像 ・・・・・・・ 丹海上人の作
さて、十一面観音社の龍の彫刻は、丹海上人の作なのでしょうか。

改めて「文化財保護協会機関誌」の投稿内容をじっくり読んでみました。
なんと、「奉納年月・・・昭和三十八年本殿造営の際に造られました」と書いてあります。丹海さんは文政元年に亡くなっているのですから、 昭和三十八年に龍の彫刻を造ることは絶対出来ないのです。
しかし、私はやはりこの二つの龍の彫刻は似ていると思います。
何故似ているのか、その訳を私は次のように仮説します。
この当市十一面観音社の龍が秋田市彌高神社の龍に似ているのは、昭和三十八年に十一面観音社の龍を彫った人が、彌高神社の龍とか、他の、例えば金砂神社などの丹海さんの作品を見ていたからだと思います。
そして、この龍を彫った人は、私の家から徒歩6~7分の所におられる宮大工さんだと思います。私が小さい頃、この宮大工さんの家の前を通ると、ガラス窓ごしに、中で何かを一生懸命作っているおじさんがいました。
市内の神社と市内の宮大工さん、私にはどうしても繋がります。
十一面観音社の原稿を出した方々(研究会)は、龍の作者を調べるべきです。
私も調べることにします。
郷土史研究の始まりは先ず足で調べること、次いで古文書等にあたることだと思います。
事ある度に、聞いて歩こうと思います 