震災被災地の初日の会場は松島でした。
大分早く着いたので、円通院や瑞巌寺を見学しました。
円通院は松島の瑞巌寺の左手にあり、初めての見学です。
円通院は伊達政宗の嫡孫の伊達光宗の霊廟があるお寺で
正保4年(1647年)、瑞巌寺の第百世洞水和尚により開山されたお寺でした。
光宗の母振姫は、徳川家康の孫でした。
伊達家と徳川家にはこうした縁戚関係があったのですね。
山門をくぐり苑路を進むと、①の砂紋が丁寧に引かれている「天の庭」があります。
解説は、こちらの②です ↓
我が家の和庭にも砂紋を引いていますが
こちらの庭の砂紋の幅は我が家よりやや狭いようです。
苔の際にも砂紋を引いています。
こうした縁取りは初めて見たもの、我が家でも活用してみたいと思います。
「天の庭」の次に続いて、「地の庭」がありました。
「地の庭には、3種類の敷石が敷かれています。
それがどんなことを意味しているかは
②の解説や、下のHPでお確かめ下さい。
さらに奥に進むと丸窓のある腰掛け待合いがあります。
腰掛け待合いは、普通は茶庭に多く見られるものですが
丸窓をあけてここに置いたのは
この丸窓は、大きな額縁としてのの効果をねらっているようです。
さらにすすみ、 中門をくぐると
本堂の前に心字の池のある歴史を感じさせる庭がありました。
この庭が、江戸初期の著名な作庭家である小堀遠州作の庭なのです。
小堀遠州作庭の御香宮神社庭園 小堀遠州(1579~1647)
本堂の大悲亭は、伊達藩江戸屋敷にあった光宗君(ぎみ)の江戸納涼の亭(てい)で
愛息の早逝を悼んだ忠宗公が解体して、この地(松島)へ移築したものだそうです。
寄棟造萱葺の瀟洒な姿は
禅寺らしい落ち着いたたたずまいを見せています。
約350年前に造られた心字池では蓮の花が
観音菩薩が住むという補陀落山ではモミジやツツジが
季節の移ろいを感じさせてくれます。
さらに奥に進むと、光宗公の御霊屋「三慧殿」がありました。
御霊屋「三慧殿」については
ガーデナーのお知らせにふさわしいものがありましたので
後ほどの我が家のガーデナーのBLOGをご覧下さい。
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