由緒ある渡部家には、文化庁の文化財指定になってからは研修視察、講演以来などで4度ほど、それ以前にはお庭拝見で、何度かお邪魔しました。
今日の午後は、郷土史学習会初の渡部家現地学習会です。
13名のメンバーでお邪魔しました。
今日、郷土史学習会に新たなメンバーが加わりました。
先日、馬見平牧場を案内して下さったS氏です。現在、菅原神社の神主さんで、陶芸教室の先生、郷土史研究家で凄いHPを出しています。元営林署勤務(東京)の方です。
先日盛岡での学習の日、郷土史学習会への参加をお勧めしたら、さっそく今日から参加して下さいました。
私達の学習会は、今年は神社の絵馬調査と菅江真澄についての勉強、その他現地研修を主な内容としています。
我が会に強力なメンバーを得ました。とても良かったと思います。
今日、渡部家を訪れて新たな発見がありました。
見ようと思って見ると、やはり見えるものです。今週末会津から10人位、視察の方々がいらっしゃるので戊辰戦争の事を調べていたのですが、渡部家にも関係の史料がありました。
この鎧兜は、慶応4年8月(9月8日には明治と改元)南部藩と佐竹(秋田)藩が戦った時に、渡部家のご主人が着たものです。
この肩章には「渡部文蔵源繁行(みなもとのしげゆき)」と書いています。南部は平氏ではなく源氏の流れだということが分かります。
首を取っても、取られても名前が分かるように、藩の命令で士分の人はこうした大きな名札を付けました(農兵は付けなかったと思います)。
この鎧の向かって左胸やや下に鉄砲で撃たれた穴が開いているそうです。しかし文蔵さんはその傷では死にませんでした。
現在の渡部家御当主の、曾(ひい)お爺ちゃんが文蔵さんです。 139年前の事です。
今週末、会津の方々はそんな昔のことを訪ねて当市にいらっしゃいます。
今日は渡部家にお邪魔し、良い史料を見つけ、見せて頂き、良かったです。
昨日までは「困った、困った」が続いたのですが、今日は「良かった、良かった」が多かったです。
今春5月5日、天台寺(岩手県二戸市浄法寺)の例大祭で、瀬戸内寂聴さんの講話を聞きましたが、そのお話の中に心に留まるお話がありました。
「困ったことは続くものです。またも、またも、これでもかと困った事は続くきます。そうした時は自棄(やけ)にならず、じっと我慢し耐えることが大切です。そうすると、やがて良いことが、どんどん続く時が来ます。」というお話でした。
「悪いことが続く時はやはり自暴自棄にならず、一つ一つ冷静に解決策を講じていると好転の時期を迎える」ということだと私は思います。
渡部家の御当主(前嶋さん・娘婿さん)に、帰りに戊辰戦争関係の史料がありましたら見せて下さいとお願いしたら、「何かあると思います。調べてみます。」と話して下さいました。
良いことが続くためには、続けるための何らかの働きかけが必要だと思います。
明日も何か良いことがありそうな気がします