今日は史談会で古文書を読む日です。全く予習をしないで行ったのですが、指名があって読んだらある程度読めたので、講師の方からほめて貰いました。まだ十分に読めず残念な思いをしています。
会の終盤で前回のテキスト(地元の古文書)に出てくる藩境の位置が問題になりました。講師の方と私で意見が対立してしまいました。地元の古文書には今は使われていない地名がたくさん出てきます。その場所がどこであるかは、実際にその場所に行ったり、よく知っている先輩に教えて頂く以外に方法はありません。
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右上の二つの神社が南部側の稲荷神社と秋田側の稲荷神社です。60年にわたったお境争いに幕府(江戸)が裁定を下します。その結果、この2つの神社がその目印としてたてられたのです。
講師の方はこの2つの神社の間を流れているのがお境川だと仰います。
しかし、この2つの神社の間は確かに沢になっていますが川は流れていません。私はこの場所に2回行っており、2つの神社の間を歩いています。川はないのです。川は2つの神社の左下の神社(駒形神社)の側を流れています。結構に立派な川(川幅2m位)で、この川がお境の川なのです。
二人の意見がかみ合わずにいたら、史談会の会長さんが黒板にこの図を書いて説明してくれました。
確かにお境の川は(私のいう通り)、駒形神社の左上から流れて来ています。しかし、この川の上流は南部藩の領域を流れている(秋に神主さんと一緒に車でこの川に沿って走り確認しています)ので、上流の方はお境川とは言わないということです。お境川は駒形神社から米代川までの間、という説明でした。とっても納得のゆく説明でした。
ちなみに米代川の真ん中に杭をうってお境にしたそうで、この間は米代川もお境川だったのです(赤い線の部分)。この境は現在も隣の市との境として使われ、今の地図でもこの部分だけ米代川の中に境界の線が引かれています。地方史を調べることの楽しさはこうしたことの発見の楽しさです(いつも今の地図を見ているとこうした発見があります)。
病院に行ったらおかあさんが、食事が美味しくなったとたくさん食べていました。おかあさんは快方に向かい始めています。良かったです。
夜、家に帰ると新たな発見がありました。
アブチロンが隠れたところで密かに咲いていました。
目立つところに出してあげました。
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新しい花芽がたくさんついています。
Xmasの頃には見事に開花するのではないでしょうか。
先日、「アブチロンは全て秋田のたかこちゃんから頂いたものです」とお知らせしましたが、4鉢中の1鉢は相模原のさちこさんから頂いたものだそうです。おかあさんからそう教えて貰ったので、ここでお詫びして訂正致します。さちこさんのアブチロンはたかこちゃんから頂いた3鉢とは違って面白い花形をしているものです。正月頃までには咲くと思います。お待ち下さい。
先にお化粧したビーナスもアブチロンに囲まれて嬉しそうです。
Xmasやお正月にはたくさんの方に見て頂きたいと思います