トム wish

人生経験がすこしだけ豊富なトムの日常生活や おもしろ談話などで構成してます。

8.6

2015年07月23日 17時04分49秒 | 日記
原爆投下の日が近づいてくると 広島は
神妙な雰囲気になりますね

別に、目に見えて 街中にそのような雰囲気が漂うわけでは 、無いのですが

広島に住む人々には 世界初の原爆被災地としての自覚が有りますからね


心の中では
悲しみや悲惨さを超えた 喪失感があるのは事実だな

到底 叶わぬ願いかも知れない 核廃絶 の訴えも 世界の戦略核などの現実を知れば 知るほど 諦めに近くなります

日毎に被爆者は減り続けていくことに
広島の人々は声にならない焦りと共に 主人公不在の映画をみるような
苛立ちを感じてしまうのが現実です

今は、胎内被爆者が被爆者に代わり 被爆後の 悲惨さを語ります その言葉には説得力があります
しかし あにはからんや 、その眼で
原子爆弾の炸裂を見ては居ないと言うことがあります

なのでね
本来の被爆者が語る その時の凄惨さや 驚き、感覚、痛み、叫び、熱さ、恐怖
等々、、、は 伝わりません、

聞いている子供達には 何万人もの人々が一瞬で亡くなった なんて云われても ね
想像がつかないし

語り部のほうも何人死んだかなんて 被爆直後の状況では 本当は知らなかったし、その全てを見たわけでも無い

真実の被災状況は、だいぶ時間が過ぎてから知ったのだろうし、そのほうが正しいと思われる

そして
老齢になり
この一人称単数の被爆者、その人々が居なくなった時が 本当の終戦なんだと思うな
何も語らず 亡くなって行く被爆者も多くいる
真実を語り継ぐことは簡単では無い
それも真実とは程遠い歪曲された話が伝わるのなら それは 怪しい話だろうね

トムは実際に被爆者から沢山の話を聞いている 二十年前 さらに前、四十年前

1968年の広島駅前 (中国新聞)
まわりには 聞けば語る 被爆者はいたからね 、、、だが 最近は 居ないな
皆さん 亡くなった

曖昧な思い込みの記憶とパニック状態にあった時の風聞などが 自分の記憶となるのはよくあること 、だが、、、

一番 鮮明にトムの記憶に残る話が有る
それは、光 が走ったと皆さん語っていたね、

現在

それも 宇品の糧秣支廠にいた 当時二十歳くらいの女性の話は真実味がある

”ピンク色の光が走った!
そしたら吹き飛んだ 、倉庫の中は無茶苦茶!二階から
偉い大佐さんが階段から落ちて来て
腰ぬかした あははは、、、。”

彼女も先般 お隠れになったが、、、

生きていた被爆者の話は ほとんど断片化しています 繋がる部分がありません
それは当たり前ですが

それを記録する作業は少数の人の手に委ねられ 有る意味で歪曲され ドキュメント映画のように成り果てます
まるで
それを記録する権利が有るかのごとく
ある時は隠し、またある時は発見したかの如く 番組制作に勤しみますから
手に負えません。

何処のだれとは言いませんがね。



またね。(*^_^*)














カウンター