気候も良くなり
スクーターで走りたい気分ですよねー、、
三月の終わりはさ、父の命日で経理に熟達した
父らしく、年度末に自分を決算したかなぁって思うことがあります
三月三十日は フランシーヌさんの命日でもあるわけ 知らない方ですがね
このかた
パリで焼身自殺したニュースが小さく新聞に載って 、三カ月後に 新谷のり子さんが歌う
フランシーヌの場合 、がヒットしたんですよねー
アレは昭和44年の春だから、周りは学生運動が盛んに行われていてね、
誰でもいいからおいでよ、の全共闘が
ホントは誰でも良くなかったと
気がついたが 遅かった。
悲惨な結末を迎える、日大や東大事件はド派手に世間を騒がしました、学生というのはココまで
その後は誰でも知ってる あの赤軍や連合赤軍の浅間山荘事件やリンチなんかで世間のヒンシュクを買いますよねー
行く先を失い最後は 学生運動とは無縁なハイジャックやったり、爆弾テロやらかしたり、
世界的に迷惑かける始末で終始したがなあ
今は 当時の学生運動をした連中は祖父祖母つまり
ジジババで生きてるか あの世に行って運動してるかわからんけどね〜、
当時は単位不足で困った奴らが、それでもやっぱり就職してねー
日本を支えて来たとは思う
トムは当時 自衛官だから彼等とは反対側の人間、
警察官職務執行法の勉強や
バリケード撤去のゴボウ抜きの訓練や逮捕術、
木銃による刺突の訓練、有刺鉄線敷設などや
幕舎内での 防毒マスク催涙ガス体験 実吸引など
しなくてもいい無用の準備をしてましたなぁ、
シャバに帰り
静かになった社会で生きて行くのは 体制の
どちら側に居ようが 結構辛かったのは有ったかな
左翼とか右翼ではなくてねー
もう、
反対するだけの元気も性欲も無いのが本音だから
やがて無口になり 無関心を装って別々の方向に
向かうのを良しとするだけでしたなぁ
去る者追わず、来るもの無し! が青春の日々だった気がする
去る者日々に疎し
後は野となれ山となれ、だった、
ベトナム戦争のニュースは毎日、毎日、たまには読売?、、アハ
とにかく
新聞には一面ベトナムの銀鱗弾の銀世界、
ベトコン 対 アメリカ軍
何人死んだかを競ってた
外からの情報とは裏腹な 呑気で平和な日本国内では
今度も同じようなベトナム戦争反対だった気がする 、
それはもう学生ではなくて芸能人や音楽家の連中が売名っぽい感じで 渋々 、だが、
やる気満マン、
笑顔なるだけ見せずに 知ったふりのベトナム戦争
を映像にしてた、
あの戦争は何だった?
答えは無い、
戦後
ベトナムは経済的にも政治的にも成長して
アメリカに逃げた子孫も社会的に成功、本国ベトナムとのパイプ役に貢献 してるからね〜
それに、しても、
戦争遂行者と賛成派の計略それに反対する側の利権絡みの策略は
何方をしても主人公となりうるほどのエグさがあったのは事実
いや、実は 戦争以上にエグかった、、
はやし立てる ペンの持ち方で 人が死んだり生き返ったりした時代でもあった
何度も何度も繰り返し間違いをするのは、
権力者が
その方法があると衝撃的なヒラメキを感じるからかもしれない、
その方法、実はもう何度も繰り返して来たにも
関わらず、またしても主人公となった
権力者は自分だけは間違えない!となるわけです
間違えて終わり。
またね。(^。^)
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