魔の木曜日 そんなことを言うママさんがいた 要は客が来ない時に
そんなことを おっしゃっるわけで 別に魔物が出るわけでもないのだが
客の私にとっては 気分の良いものではない
一人で飲むのも気兼ねしないで 乙なものなのだが 経営者の側からすると
やはり楽しくは無いだろう 自分が心配するほどの事ではないのだが。
中国の故事にある 盛り塩の話には 女性が考える手練手管が
うまく表現されている
昔々中国の皇帝は後宮に何百人もの女性を住まわせていて その中の一軒にだけ
立ち寄る習慣があり 当時の皇帝は牛車に乗って回っていくので 途中で牛が止まった家があれば
そこに入って飲食をしたりするわけ つまり牛任せで公平性を
保ったわけ。
皇帝のお手つきになれば 妾としての権力も得るわけで 吉原遊郭どころの
闘いではなかったと思う あるとき後宮の女性がどうしたらあの牛車を
自分の家の前で止めることが出来るか 真剣に考えた
農家の出の彼女は知っていた 牛は塩が大好物 そこで家の前に塩を
てんこ盛りにして待っていると
牛車が止まり皇帝が入ってくる 万歳!てなわけで
果たしてそんなにうまいこと行ったかどうかは判らないが
今でも料理屋の前に盛り塩を見かけると この話を思い出す
客を牛になぞらえるのも失礼な話だが 何となく納得している
つまりは自分を皇帝と思うか 牛と思うかの差だろう
不思議なことに中国料理店の前には盛り塩は無い もう日本人の
風習になっているのだろう 盛り塩は水分が無いと上手に盛れない
高く盛るのがベターだが 少しコツがいるね。
写真は 私がたまに行くお店 東三国5丁目ASSOの一瞬の空白の時
このあとはお客が一杯になって 隅っこに追いやられましたね
アメリカではBARカウンターの ど真ん中に座るところから
物語は始まるわけだが 今の私は中国女性ほどの知恵も無い。
そんなことを おっしゃっるわけで 別に魔物が出るわけでもないのだが
客の私にとっては 気分の良いものではない
一人で飲むのも気兼ねしないで 乙なものなのだが 経営者の側からすると
やはり楽しくは無いだろう 自分が心配するほどの事ではないのだが。
中国の故事にある 盛り塩の話には 女性が考える手練手管が
うまく表現されている
昔々中国の皇帝は後宮に何百人もの女性を住まわせていて その中の一軒にだけ
立ち寄る習慣があり 当時の皇帝は牛車に乗って回っていくので 途中で牛が止まった家があれば
そこに入って飲食をしたりするわけ つまり牛任せで公平性を
保ったわけ。
皇帝のお手つきになれば 妾としての権力も得るわけで 吉原遊郭どころの
闘いではなかったと思う あるとき後宮の女性がどうしたらあの牛車を
自分の家の前で止めることが出来るか 真剣に考えた
農家の出の彼女は知っていた 牛は塩が大好物 そこで家の前に塩を
てんこ盛りにして待っていると
牛車が止まり皇帝が入ってくる 万歳!てなわけで
果たしてそんなにうまいこと行ったかどうかは判らないが
今でも料理屋の前に盛り塩を見かけると この話を思い出す
客を牛になぞらえるのも失礼な話だが 何となく納得している
つまりは自分を皇帝と思うか 牛と思うかの差だろう
不思議なことに中国料理店の前には盛り塩は無い もう日本人の
風習になっているのだろう 盛り塩は水分が無いと上手に盛れない
高く盛るのがベターだが 少しコツがいるね。
写真は 私がたまに行くお店 東三国5丁目ASSOの一瞬の空白の時
このあとはお客が一杯になって 隅っこに追いやられましたね
アメリカではBARカウンターの ど真ん中に座るところから
物語は始まるわけだが 今の私は中国女性ほどの知恵も無い。