ポンタハウスから 「こんにちは」

写真とれない。外国語はモチロン、
日本語もちょっと変かも。
でも 始めちゃいました・・・

自分の年齢を忘れてたわ。

2014-01-23 13:22:03 | 日記
今の流行の風邪は強力でしたわね。
ここ数日は、外出から帰ると、食事もとらずによく寝てました。

隣家のご夫婦はノロウイルスにやられ、紙の下着を着用なさっていたそう。
反対側のお宅の50代ご主人は、口内炎が化膿し高熱入院中。

「風邪ひいた」アピールのポンタハウス夫は、
昨日は「小田原城へ行こうかな」と。
薦めた「江の島鎌倉フリーパス」で鎌倉に変更し外出するほど元気でした。

ノロやら、入院騒ぎを聞いた私は、
風邪症状続きで、昨日は耳鼻科へ。
ノロもないし、抗生物質が出なかっただけで
安心してしまったわ。

ところで、区の着付け教室に応募し、、、
抽選で当たり、2月から週2回の講座を受けることにしました。

10回の講座ですが、、、
バイトと重なり、キャンセルも考えたけど、本当に忙しいのは、一週間だけと
前向きに取り組むことを決意したのですが、、、小もの準備に箪笥を覗いてみました。
親は当然のこととして準備してくれたのですが、この桐ダンスも、もったいなかったわね。

ああだけど中身はもっと、、、もったいなかったわ。

最後に和服を着たのは、M子の卒園式。
「和服着ましょう!」とお母さんたちで盛り上がり、私が着たのは、ピンクの無地に白の袋帯かな?
着付け師範をしていた義母に着付けをお願いして着ました。
あれから30年、当時の和服を着られる訳ないのに、、、
 わたし、これからは歌舞伎を見に行くとき、ピンクの単衣の紬、袷は大島、鮫小紋、桜の小紋、とか考えてたのに
もうすぐルビー婚ですもの
 特に派手に派手に選んでくれた母、ここまで派手な羽織はないわ。道行も、しっかり[派手」。、、、
ピンクの紬も、最後に来たのは学生時代だったわ。

「負けない、頑張るー」の言葉も出てこないのよ。

母が他界してから、20年以上経つし、私の和服の端切れはみーんな母の棺の中。
端切れで小物作れたから、、残しておけばよかったな。

母の来ていた着物は、和服好きな方に使っていただいたそうです。
和服の値打ちのわからない、いたらない娘で、父や母が可哀想だったかなと思います。
コメント (2)
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