ポンタハウスから 「こんにちは」

写真とれない。外国語はモチロン、
日本語もちょっと変かも。
でも 始めちゃいました・・・

母校

2017-02-11 08:17:22 | 日記
通信制の大学の公開講演会に行ってきました。
元芸大の教授の講演、優しく楽しく、実演もたくさん、
素晴らしくラッキーでした。
私は知らないことが沢山あるので、同じ講演を聞いても人並み以上に吸収できて、得だと思います。

たまたま申し込めたのが、この講演でしたが、
偶然、
M子の幼稚園時のクラスメートも演奏に参加なさってました。
今回は、そのクラスメートである彼女のお父様の講演でした。
 私の記憶の中の30年以上前の、幼稚園の帽子とバッグの小さな彼女と全く結びつかず、
お父様のお顔に、当時の彼女の面影をたっぷり拝見しました。
               
この講演会のあった駅は、私の母校のある駅でもありました。
今年の年賀状には、幹事の方から
「今年は卒業後50年、同期会クラス会を10月○○日に開催」を頂戴しました。
同期全員に送られたのですね。
年賀状で予告とは、あの学校の卒業生らしいアイデアと思いました。

ほぼ50年ぶりに母校の周りを歩きました。
8時でしたか、朝礼の始まる10分前には閉められてしまう駅近くの通用門が、今は正門に変わっていました。
当時、通用門が閉められてしまうと、ぐるっとまわる正門まで重たい鞄を持って走って、、、。

お車寄せのあった、ダストシュートやスチームのあった、今はない、あの古い校舎が大好きでした。

昨年、制服が変更になったと聞き、寂しい思いでいたのですが、
新しい制服はまだ、一年生だけでしたね。
あの頃の私と同じ、寒くてもコートを着ずにソックスで。
おかげで、当時の私と同じ制服を着た女子校生を何人も見ました。
本当にうれしかったです。

当時、あの制服が苦手でしたのに、今見ると本当にかわいらしい。
でも、ブルマーは嫌だった。

帰宅部で、朝寝坊の私は、通学は負担だった。
卒業してほっとしたのですが、、、、

「あの学校には、精神の自由があった。」と、かつて友の一人が言っておりました。
「あの学校は、顔で採るのではないかとお袋が言ってた。」と、かつてのBFが言っておりました。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<script src="http://gogakuru.com/blogparts/js/en.js"></script>