この日は指宿とお別れの日、朝は、入浴し、大急ぎで朝食を(9時の送迎バスに乗るため⇔指宿発知覧行きのバスの時間にあわせて)いただきました。
休暇村のバスと間違えて中国の方のバスに荷物を載せ、理解できない私と、おろす乗せるの動作でのやり取りが3回くらいありましたが、言葉が通じなくても最後までご親切に教えていただきました。
2人の方は朝お風呂でご一緒でしたが、足の洗い方が全く違う。床に石鹸付けたタオルを置き、足をすごい勢いで前後に動かすのです←足の裏は本当にきれいになるでしょうが、、、外国の方だなと思いました。あと、ここの休暇村の内湯の床は畳で足腰にやさしい、、滑りにくいのです。
時間がないので、朝食は私としては実に少なく我慢しました。
指宿駅からから知覧行きのバスに乗り特攻平和会館で下車。
この三角兵舎は復元したものですが、特攻が決まると数日前からここで生活したそうです。国のためにと凛々しい態度をとっていても夜中すすり泣きが。
藤城清治さん作 この横にドイツ製でしたか(めづらしい)グランドピアノがおいてありますが、これは数日後に出撃なさる芸大のピアノ専攻の学生さんが「まだリサイタルをひらいたことがないから」と遠路ピアノを弾きにいらしたエピソードを聞き寄贈されたそうです。
特攻平和会館は、特攻隊の方のお手紙がいっぱい展示されています。天皇陛下あて、父親あて、妻や婚約者あてもありますが、ほとんどが、お母さんあてのものだそうです。特攻の母とかお世話した女学生の方の動画や写真を見、また講演など聞きました。特攻隊は必ず死ぬんですよね。嫌とはいえない。人間魚雷とかもとても恐ろしい。
自宅に戻りましても、ユーチューブなどで特攻隊がでてくるのでしばらくは、毎日見ていました。
特攻平和会館からバスだと4分、歩いて行けると思った知覧まで30分以上かかり迷って(知覧のローソンではトイレもお借りしたし、草むらの向こうの歯医者さんの奥という実に分かりにくいバス停も的確な説明でした)、知覧武家屋敷とか寄る時間なく知覧から鹿児島中央駅(夕方で渋滞は鹿児島でもあるのでした)経由19時半鹿児島空港発ANAで帰京しました。鹿児島空港リムジンは渋滞なく時間通りで助かりました。
特攻平和会館に行ったお話をすると「悲しくなるからそういうのは行かない」という方もいますが、それは知ろうとしないことで残念なことだと思います。
そういう私も無関心な事が多いから、つまり 知ろうとしないことが多いこと、、、どうしましょうね。
特攻の月光ソナタ~フッペルのピアノ物語「南九州、特攻の地から」
「特攻の母」知覧継ぐ曾孫の挑戦「南九州、特攻の地から」