ポンタハウスから 「こんにちは」

写真とれない。外国語はモチロン、
日本語もちょっと変かも。
でも 始めちゃいました・・・

確かに、留袖も一人で着れるように、、

2014-03-06 02:24:49 | 日記
区の着付けの講座も9回まで終わり、
金曜日は最終回、写真も撮り、修了書も頂けるそうです。

「講習の終わりには、留袖も一人で着れるようになります。」と講師の先生がおっしゃいましたが、
そう確かに、私、火曜日、留袖に袋帯を締めました。
中には、見事に綺麗にお召しになってらっしゃる方も、何人もいらした。
 私は、、、比翼が少し出過ぎてしまったけど、、、二重太鼓も、一回目は、たれが短かすぎて抜けちゃうし、
急いで締めた二度目は、帯枕が逆さまで先生に直されたり、、、

でも、素晴らしい進歩ですよね。
結婚前に大急ぎで着付け教室に通ったものの、単衣も着られなかった私が、、、留袖(本当に、これ、着にくいですよね)自分で着れました。
留袖も(実際に着るには、やはり着付けをお願いしようとは思いましたが、、)
何回も練習すれば、クリアできるかもと思いました。
(明治生まれの亡き母は、いつも自分で着つけてましたから。昔はみんな自分で着たのよね。)

先生は、合理的なノウハウを教えてくださいます。
例えば、比翼や、襟等を、最初に荒く、ちくちく縫いとめることで、着やすくするのです。
とろい私に丁寧に教えてくださった講師の先生方には、感謝しています。

まだ学校に通っていた私に、母が縫ってくれた紬の長着や更紗の名古屋帯、
 母も私も大好きだった水色の地の桜の柄の友禅、これは小振袖を袖を切って持たせてくれた。
20代で着るために飛び切り贅沢な物を用意してくれた留袖。

着付けの講座を受けている間は、亡き母との会話も楽しみながら過ごしたように思います。

講座では、日本刺繍を勉強されてて、(独身時)ご自分で豪華に刺繍なさった留袖をお召の方もいらっしゃいました。
「だから派手でも、いつまでも着るのよ。」とおっしゃいましたが、薔薇柄がとてもモダンで感心しました。
お母様の留袖も刺繍なさったそうです。
そういう方もいらっしゃるのに、私はといえば、今思えば、本当にふつつかな娘で、両親が気の毒でした。

留袖は、本当に芸術品だと思いました。

また80年ほど前の昭和初期の和服をお持ちの方もいらして、
もう柄が素晴らしくて、個性的と言うか可愛くて、。
でも残念な事に、生地が弱くなっているから、着つけて出かけるには注意が必要だそうです。
コメント (4)
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