さて、超マニアック!ストリートビューで探訪する、
誰も知らない、My昭和の街 板橋区志村坂下シリーズ。
興がのってるうちに、続きです。
件の都営団地(私の古巣)の近隣を見ていきましょう。
右側が更地になった、都営団地跡。
ビューですすむと・・・・はい!
右側に団地の姿が残ってますね!
左側にはファミマができてますが、手前の駐車場ふくめて、この敷地には、
かなり後まで、木造長屋式、平屋の都営団地が建っていました。
世帯ごとに垣根でしきられ、通路は舗装されてませんでしたね!
さらにまっすぐすすむ。左の建物も、都営団地。新しいタイプで、私の居た建物よりも、広い間取り。
昭和50年代半ば頃に、建てられたものです。その前にはこの敷地、
「橘湯」という、大きな銭湯が建っていたのです。煙突に瓦屋根、番台さんが居る、昔ながらの銭湯。
この周囲がまだ一帯、木造団地だったころも、内風呂を持っている家庭もあったようでしたが、
うちには、なかった。通ってました。楽しかったですよ。^^
当時はまだ(昭和30〜40年初頭)薪を使っていたようで、建物の横に、けっこう大きな材木置き場がありました。
自分の背丈より高く積まれた材木置き場。昼間でも少し薄暗く、これがまた子どもにとっては、ワクワクゾーンなのでした。
今考えると、焼却炉にしろ、電気室にしろ、この材木置き場にしろ、危険な遊び場がいっぱいでしたね。
橘湯自体は、その後、この裏手の商店街に引っ越して、営業されてました。今はどうなってるか? あとで行ってみましょう・・・
さらに、マニアックにすすんでみましょう。
例の電気室の前の小道、ビューで入っていけます!
振り返って見ます。北のデンワ将軍が立ってますが、ムシします。
正面を向くと、
左は11階建ての、同じく都営団地。これも相当古いものです。
右の空き地は、以前ですと、児童公園。当時は子どもたちがたくさん遊んでました。
元児童公園を正面から見る。奥中央のアパートは、当時のもののまま。
ここを左にいって、
この通りは、一応商店街。右の建物は「坂下診療所」となってます。昔は大きな産院でした。
たくさん、子どもが生まれたんでしょう。(私もその一人)
真ん中の建物は薬局ですが、昔は八百屋さんでした。
八百屋さんの隣は小さなアーケード状のマーケット。
左は、お菓子屋さん、中央はお肉屋さん、奥には小島屋さんという、お惣菜屋さんがありましたが、
この小島屋さん、2代目の方が営業して(同級生だったかもです)
現在このアーケード手前に移動(元はお肉屋さん)地元ではけっこう、人気の名店なようです。
https://tabelog.com/tokyo/A1322/A132205/13097292/
先代のおばさんが作っていた、栗金団は、お正月、我が家にかかせないものでした。(とっても美味しかった!)
さて、この商店街を北側から見たところ。この高層都営団地の下にも、お店がいろいろ入ってるんですが、
もちろん、私のいたころとは、お店もだいぶ変わっています。
手前の塾は、昔、お豆腐屋さんでした。
昔は皆このあたりで、日量品も日々の食材も調達していたわけです。
今は周りに、大型スーパーも数多くありますので、まさに、忘れられた、商店街。
さて、回れ右して北進。
右の薬屋さんは、変わりありません。
左のオレンジのビルは、三光堂という、古くからあるパン屋さん。
ここの調理パンも、よく食べました。カレーパンも、板橋のいっぴんに選ばれてます!
https://tabelog.com/tokyo/A1322/A132205/13045617/
この交差点の右奥には、ガソリンスタンドがありました。
さて、橘湯はこの奥。 にあるはず。
右側の白いアパートの下に・・・・
左は教会。さて、橘湯は・・・・・
あ・・・なくなってました・・・・
その名残のように、コインランドリーがあるだけ・・・・・