走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

クールなモノづくり、ニッポン!

2012年08月09日 23時37分37秒 | 考え方

 誕生日に娘夫婦から、ウォークマンをプレゼントしてもらった。

 実は、娘はi-Podとウォークマンの両方を持っていて、使い分けをしている。
 どのように使い分けしているのか説明を聞いたのだが、よくわからない。
 音楽機器関係は、断然、娘のほうが詳しい。

 そんな中、娘の持っていたウォークマンをうらやましく思っていた。
 買おうと思えば、無理をすれば買えないわけではないが、買った後の事を考えるとなかなか手が出なかった。(録音する方法が難しいのではないかと勝手に思っていたからである)

 娘は、私がウォークマンを欲しがっていたことを感じていたようである。
 そして、娘夫婦からのはじめてのプレゼントとして選んでくれたのが、このウォークマンである。

 休日に娘が突然、家電に連れて行けという。
 何事かと思って連れて行くと、音響コーナーへまっすぐ進む。
 そして、ウォークマンのコーナーで、どの色が好きか聞くのである。(本当にカラーバリエーションが豊富で目移りしてしまう)
 そして、黄緑色を指差すと、娘は迷わずその品番のカードを取り、レジへ進んだ。
 レジ担当が該当する商品を持ってきて包装する。

 その一連の様子を目で追いかけながら、なぜ二台目のウォークマンが必要なのか不思議だった。
 
 レジで商品を受け取った娘は、それを私に差し出す。

 「はい、バースディプレゼント。私たちから」

 驚きであった。
 うれしさが一気に噴出した。

 帰路は、ワクワクしながら帰った。
 まるで子どもである。

 帰ると、娘から操作のレクチャを受ける。
 これが想像していたよりも、簡単なのである。

 片っ端から、自宅のCDを取り込んでいく。
 早い早い!あっという間に取り込めるのである。
 そして、聴き始めるとこれが至れり尽くせりなのである。

 アルバムごとなのは当然のことながら、アーチスト別を選択すると複数のアルバムを連続して聴けるのである。
 気分に応じて、例えばリラックスしたい時にそのテーマを選ぶと、それぞれのアルバムから瞬時に該当する楽曲を選択し、次々と流してくれる。

 ものぐさな私などは、朝に「おまかせチャンネル」を選び、次に「朝のおすすめ」がまず表示される。それを選ぶと、朝の雰囲気にあった楽曲がそれぞれのアルバムからセレクトされ流れるといった具合である。

 きっと機器に内蔵されたタイマーが勝手に「朝」と認識し、それを最優先に表示するといった具合か...

 こんなきめ細かな設計をするのは日本人くらいであろう。
 一世を風靡したウォークマンが、アップル社のi-Podに追い越されたことをよく揶揄されることがあった。

 でも、このきめ細かなサービスを外国商品が設計できるのであろうか。
 このやりすぎるくらいのきめ細かさを否定する人もいるが、私は自信を持っていいと思う。

 再生ニッポンのヒントが、この小さなツールにあると私は勝手に思った

京町家とコミュニティ

2012年05月19日 18時56分23秒 | 考え方

 今、京町家に興味があって勉強している。
 別に京町家の建築技術を学んでいるわけではない。

 京町家の「しきたり」に関心があるからだ。
 例えば、京町家のどの家も家訓など先祖の言い伝えを重んじる。

 その内容の多くが世間様に迷惑をかけない、贅沢は厳に慎むべきなどの家庭内のルールをつくり、代々受け継いでいる。
 前に「自立」は、まず「自律」から始まると書いたが、よくよく考えると地域のルールを作る前に各家庭のルールをしっかり作るというのが何よりも大切だと思う。

 核家族化し、それらの家訓がなくなってしまった。
 食卓に家族が集まらなくなってきたため、その家訓も継承する機会が減ってしまった。

 また京町家では、「門掃き」という暗黙のルールがあり、なによりも世間づきあいを大切にする風習がある。
 この根底には、世間づきあいを大切にすべしというしきたりなのである。

 さらに木造建築である京町家は密集して並んでいるために「火の用心」について念入りだという。
 各家庭には「火用心」という版木があり、常に火への恐れといさめを代々継承している。


 ここまで書くと気付かれると思うが、コミュニティの崩壊は地域全体が一気に壊れていき始めたのではなく、各家庭の中から壊れ始め、総合的に地域の崩壊へとつながったと考える方が自然のような気がする。
 相手を思う、人を思う気持ちがあり、その大切さを家族で伝え合う。
 そして、それをできることから少しづつ行動に移して行く。

 そのことが遠回りのようだが、地域コミュニティ再生の早道かもしれない...

観光客が鹿児島に集まっている!

2011年09月19日 23時08分29秒 | 考え方
 今、鹿児島に関西圏を中心に観光客が集まっている。
前年比の6割り増しという。
そのおもな要因は、九州新幹線の全線開通にあるという。

 松山市の観光客とかなりかぶるところがある。
松山市の観光客に関西圏が多かったのは、道後温泉本館が建設されたときに伊佐庭如矢(イサニワ ユキヤ/今の道後温泉本館を建てた人物)が関西航路を引っ張ってきたところまで歴史はさかのぼる。

 しかし、今は橋の開通とともにその航路もなくなり、そして今まさに九州新幹線との厳しい競争の中に置かれている。
観光産業の難しさは、熾烈な都市間競争の中でいかに勝ち残るかにある。
それは、生易しいものではない。

 勝ち残るためには、まず観光産業関連事業者と行政とのよりいっそう強固な連携であろう。
そして、大手旅行代理店などを含めた戦略的シナリオの作成も必要であろう。
当然、短期的な戦略シナリオも必要だが、中長期的な戦略の方が大事である。

 また、観光というキーワードだけでなく、例えば環境や医療、福祉、介護、文化、スポーツ、ファッション、エンターティーメントといったキーワードで観光客を集客する手法も考える必要がでてきている。
 さらに、海外の観光客にも積極的に注目することだろう。

 大切なことは、まずどうやって観光客を呼び込むかだけを考えるのではなく、まず国内外の観光客の動きにアンテナをはり、観光客が何を求めているか鋭敏になることである。
間違っても自分自身を満足させるための行動にならないことだ...


屈辱感、飢餓感、孤独感

2011年09月01日 00時03分39秒 | 考え方
 最後の「出すぎた杭になるまでにはつらい日々が続きます。」という質問に対しては、

 エネルギー源となるのは「屈辱感」。
研究を始めたばかりのときは誰でも無名で誰にも相手にしてもらえなかった。
その悔しさを、「いつか見ていろ」という前に進むエネルギーに変換する。
屈辱感を胸にため、人よりも何倍も努力するエネルギーにする。

 次に「飢餓感」。
 シベリアの強制収容所で地獄を見た私の父は、魚を骨以外、目玉も内臓も全部食べる。
目の前の食べ物が食べられるかどうか0.5秒で見極め、次の0.5秒で食らいついている。
研究者にも、目の前の面白い素材やアイデアに即、食らいつく飢餓感が欠かせない。

 最後は「孤独感」。
 真にクリエーティブなことをやると周りに理解してもらえない。
論文も通らず、研究資金も来なくなり、厳しい孤独感を経験する。
それでも、そういう状況に行き着くことを目標とすべきだ。

 石井氏が取り組まれていることが時流の最先端を行っているというよりも、時流をつくっているということが理解できた。
そして、そこまでに行きくつくためには、目に見えないたゆまない努力や自己研鑽、そして強い精神力をもち前進していることがわかる。

 私もがんばらなくっちゃ...

出杭力、道程力、造山力

2011年08月31日 23時17分35秒 | 考え方

 次に、「個人としてはどのような力が求められていますか?」という問いに対しては、

 「出杭力」、「道程力」、「造山力」の3つ。
人と違うことをやるのは勇気がいる。
出る杭を嫌い、釘を打ち続けてしまう組織がある。
ただ、出すぎた杭は打たれない。
中途半端に出ず、徹底的に出る力が「出杭力」。

 「道程力」とは、誰もいない原野に一人分け入って新しい道を造り、その道を孤独に耐えて全力疾走する力。
すでに存在する100メートルトラックを誰がより早く走るのかを競うのは真の競争ではない。

 3つ目が「造山力」。
1995年に私がMIT(マサチューセッツ工科大学)を選んだのは、頂が雲に隠れて見えない高い山だったから。
でもそれは幻想だったと後で思い知った。
山など初めから存在しなかった。
海抜はゼロメートルから新しい山を造り上げ、世界初登頂をすること。
新分野をゼロから作る「造山力」こそが、MITで生き残る条件だった。


 華やかな道を歩んでいるように見える同氏だが、本当に苦労して今の地位を築かれている事がよくわかる。
 


独創、協創、競創

2011年08月30日 19時48分29秒 | 考え方
 東洋経済の8/27号にMITメディアラボ副所長の石井裕さんのインタビュー記事が掲載されていたので3回に分けて紹介しよう。

 彼は、1956年生まれ、北大大学院修士終了。電電公社(NTTの前身)を経てMITに。手でデジタル情報に触って操作できる「タンジブル・ビット」の提唱者である。

 その彼に、「研究者として生き残るための条件とは何ですか」という質問に、
 
 いちばん大事なのは「独創」。

新しい価値を生み出すための飛躍がなければならない。
ただし真空地帯からは何も生まれない。
既存の知識やアイデアを、新しい視点と方法を組み合わせることによって、オリジナルな価値が出てくる。

 二つ目が「協創」。

 会社は組織、学校などでは、人々が力を合わせることで初めて大きなことをなしうる。
ある分野の専門家だけで集まるのではなく、アート、デザイン、サイエンス、エンジニアリング、ビジネスなど違った角度から光を当てると、気づきやひらめきを得られる。

 三つ目は、「競創」。

 周りと仲良くワイワイと研究するのもいいが、それだけではダメ。
進歩を生むのは、健全な競争と、切磋琢磨し合いながら互いを成長させる緊張感だ。


 この内容は同氏が研究者の条件として語っているのだが、どの分野の人にも通じるので掲載させていただいた。

情報とは?

2011年08月25日 22時19分17秒 | 考え方
 仕事のできる人の共通項にたくさんの情報源を持っているといわれるが、現実は果たしてそうなのか?

 一日24時間、通勤時間を含めて働く時間が9時間、平均睡眠時間が6時間程度とすると残りは9時間。
この残り時間で、その差がつくのかというと食事したり、風呂にはいったり、テレビを見たりでせいぜい2~3時間くらいか。

 何がいいたいかというと、現実の情報量というのは個人に大差はないのではないかということである。

 では、どこで差がつくか...

 ほとんど仕事中に得られる情報からではないかと思う。
 それは、おかしい...と思われる方もおられるだろうが、大切なことは同じ情報を得ても受け止め方でかなり差がつく。
 つまり感じ方というか、気づき方である。

 そして、その気づきをどう咀嚼(そしゃく)するかだと思う。

 咀嚼できれば、次にそれをどのように組み立てていくかである。

 私の場合は、いつも最後の完成形をイメージする。

 そして、そこから遡るようにしている。
 遡っていくと、これが必要だ、こういう仕組みが必要だと思いつき、それをノートに記録していく。
 そして、今の自分まで遡ると、その記録を体系化する。
 どのように体系化するかというと、「仕組みの壁」、「モノ(物理的)の壁」、「心の壁」にである。
 次に、障害となる壁の理由が何かを分析し、対処方法を複数書き出す。

 そこまでできたら、自分なりの行動計画(アクションプラン)をつくりあげるのである。

 だから、私の傍らには常にノートと筆記用具がある。

 でも、自分が仕事ができるかというとそうとはいえない...

自律心

2011年08月18日 19時24分04秒 | 考え方
 今朝はペットボトルのゴミの日だった。
 奥様に命じられ(?)出勤途中に出しに行く。
 蓋(フタ)とラベルが取り除かれたペットボトルが透明のゴミ袋に入れられ、山のように積まれていた。

 この春からペットボトルのゴミの出し方が変わった。
 まだ半年も経っていない。

 でも、きちんとそのルールが守られている。
 仮に違反する者があっても、数%ではないのか...

 日本人とは、どうしてこんなにすごい民族なのだろうか。
 社会規範を守るというよりは、自らを律する能力が優れているのではないかと思う。

 言い換えれば、自らの判断能力的には疑問が残る。
 つまり、自分を持っているのかということ。
 誰かが「こうしよう」と言ったとする。
 その中身が有効だと判断すれば、その方向やルールに向かって邁進する適応力のようなものはすごいのかもしれない。
 単一民族主義を貫いてきたからか...

 しかし、それも時と場合である。

 今、この国家がどれだけ危うい局面に立たされているか、そのことを真剣に捉えている国民(正確には政治家)がどれだけいるのか。

 昨夜の番組で、急激な円高に対する回避策はないかと聞かれたコメンテータが以下の2つの提案をした。
  一つ目は、とにかく米国に何が何でも頼み込み円安にしてもらう。
  二つ目は、この円高をいかし海外企業のM&Aを一気に増やすことで、存在価値を示すとともに各国に脅威を与える。

 これは、バラエティー番組ではない。
 きちんとした経済番組である。
 幻滅した。

 今回の急激な為替変動で、米国はドルの価値が下がることで米国債を売られることを懸念したと思う。
 売られれば米国経済は、ますます悪化する。
 そして、米国がとった行動は、副大統領を中国に急遽派遣することであった。
 わが国を飛び越してである。(まさにニクソン政権時代のキッシンジャー外交を思い起こさせる)
 このことについて、わが国の政治家は誰も真剣に怒らない。
 とうの昔に、わが国は金を持っていても脅威になる存在ではないということをどの国も知っているのである。

 これだけ見ても、通貨戦略でも、もはやわが国は中国に敗れ去っている。
 経済が不況になれば、その歴史の中で戦争を仕掛ける米国が、もはや中国だけは敵にできない事情ができたのである。
 つまり、中国は武器を使わずに戦に勝ったということか。

 それは、孫子の兵法の中にある「戦わずして勝つ」である。

 こんな大国に挟まれている日本に自立心がどこまであるのか、疑問である。
 そして、ペットボトルからここまで考えるのは私くらいなものか...
 

都市ビジョンのつくり方について

2011年08月17日 22時05分47秒 | 考え方
 それぞれの都市には10年後のその都市を描く「基本構想」なるものがあり、それを具現化するための基本計画やその下の行動計画がある。

 つくり方はいろいろであるが、民間のシンクタンクなどにコンサルタント委託し、全庁的に調査を行いながらまとめ上げていく手法が多いのではないかと思う。

 この方法だと、何かが足りない。
 それは何かと訊ねたら... ジャンジャン!!

 それは明らかに「市民の声」だろう。

 10年先のこのまち(都市)をどうしていくべきか、これをお役人だけで創る時代はすでに終わったような気がする。
 時代は、「地方分権」と云われ、その都市経営における指針(ベクトル)となる「基本構想」をつくりあげるには、行政が市民と一体となってつくりあげていく、まさにパートナーシップ型まちづくりである。

 でも、何にもないところからは議論などできない。

 まず、トップを中心とする幹部で組織する都市経営戦略本部を設置し、部門毎の「わかりやすい目標」を決めていく。
 そして、例えば、
   保健福祉部門の介護部門なら、「日本一寝たきり老人が少ない都市づくり」を決めたとしよう。
   それを実現するためには、まず水際として「脳卒中にならないため」の地域学習講座を保健福祉部門と社会教育部門が
   タイアップして広めていく。
   そして、脳卒中で倒れたときにはできるだけ短時間で高規格救急車が到着する仕組みづくりと、搬送中に患者の状況を
   医療機関に画像伝送する仕組みづくりをすることを決め、消防局等の関係部署と民間通信事業者、医師会などが話し合う
   機会を儲け現実的な話を詰めていく。
   さらには、高度な脳神経医療や回復リハビリ治療が受けれる環境づくりを行うなど、脳卒中の予防から発生、回復まで
   の対応を時系列的に追いかけていきながら、どうすれば最善の策になるのかを組み立てていく。

 ここまで詰めるのは基本構想ではなく行動計画だといわれる御仁もいるかもしれないが、貴重な税金を使ってつくるのだから「絵に描いた餅」にしてはならないということである。

 このように考えていくと、行政だけでは完結できないことに気づく。
 もはや、まちの未来は行政だけが担えるものではないということに気づくべきだ。

 話を戻すと、トップダウン的に大きな目標を下ろし、関係部署でそのプランを出しながら、庁外の関係者の声を聴いておく。
 できあがった素案を都市経営戦略本部に持ち上がり、場合によっては設定した目標を変更する柔軟性を持ちながら整理していく。
 そして、その案をタウンミーティングなどを利用して、市民の声も幅広く聴いてみる。

 時間はかかるし、手間もかかる。

 だが、ぶれないビジョンが出来上がる。
 そして、このビジョンを具現化したアクションプランを細やかに評価し、軌道修正をしていく。
 予算化も、このアクションプランを優先する。

 木っ端役人が考えるビジョンのつくり方の一提案である。

 でも、市民のお眼鏡には適うのではないか...

近視眼的にならぬこと

2011年07月13日 18時31分20秒 | 考え方
 今日の朝勉(早朝勉強会のこと)は、ある事業に税を投入することの可否についてがテーマだった。

 その事業を実行するとなると総事業費でいくらいくらかかる。
それに対して回収するための利用料金は、いくらいくら入るがこれだけではペイできない(若い職員で構成されているので、このあたりの経営感覚は備わっており、頼もしい)という説明があり、

 次にその不足分を新たな税収でまかなってはどうかというアイデアも出された。(このアイデアもなかなかユニークで面白いし、内心「凄い!」と感心させられる)

 そこで、私のアドバイスは、
「直接的な収入はそうかもしれないが、一つの産業としてみたときにはそれを実行することによる波及効果も配慮した方がいいと思う。
 行政の難しさは、民間のような利益追求という観点も必要であるが、そのことにより近視眼的な発想に陥ってはいけないところがある
 と思う。時間軸で見ていくという発想が必要です。
 (具体的な先例を示して)
 いい先例があるのだから、それを例えに出して説明する方がいいよ。
 大切な税を投入するためには、市民にわかりやすく、それがどれだけ地域経済に貢献するのかをしっかりと説明するべきだと思う。
 そのためには、(事前に)さまざまな角度から説明しないといけないとも思うよ。
 そして、それとは別に政治的なことも考慮しておくことやね。
 最終的には、(市民に説明するのは)トップやから、トップがきちんと説明できる資料を揃えていた方がいいよ。」

 少しは後輩たちの参考になったでしょうか。
 私自身は、この朝勉で出てくるテーマが今の仕事とは関係ない(当事者意識がないという意味ではありません)のですが、ときどき若い人たちの話を聞かせてもらいながら自分自身を切磋琢磨することができるフィールドだと思っています。

ざまあみろの法則

2011年06月30日 02時34分21秒 | 考え方
 西田文郎先生の講和の中で知ったことがある。

 それは、長く組織論の中で語られてきた「2:6:2」の法則である。
この法則は、2割の組織を引っ張る人がいて、それに引っ張られる人が6割、まったく影響を受けない人が2割いると言われている。
そして、その引っ張る2割の人だけを取り出して組織を作ると、やはり「2:6:2」の法則になるというものである。

 これを西田先生は、もう古いと一刀両断にされる。
なぜなら、「ぬるま湯」のような時代は終わったからだとも。
確かに、成長期や成熟期のように社会に余裕があった時代は常識が常識で通用していた時代である。

 しかし、今は常識が通用しなくなった。

 このことは何よりも、社会環境の大きな変化と変化のスピードが著しく早くなったことによるものだと思っている。
例えば、私たちの子どもの頃はブラジルの話など地球の裏側の話と捉えていたが、今は子どもたちが面白半分で撮った動画をネットにアップするだけで地球の裏側の見ず知らずの人からすぐに感想が寄せられる時代になっているということである。

 しかも、「こんな風に技術が進歩したらいいのに」と思っていたら、共通する考えを持った人たちが仮想上でコミュニティを形成でき、それを見ていたメーカーは四半期(3ヶ月)で開発し、世の中に送り出してくる。

 そんな時代なのである。

 「アナログだ、デジタルだ」とのたまっていた時代は今は昔。

 また一方で使わなければ使わないでいい時代にもなった。
情報はさまざまな手段や手法を用いれば簡単に手に入るようになった。
その分、その情報を生かすためには入手側のスキルアップや感性が問われている。

 いわゆる「宝の持ち腐れ」にするかしないかは、受けて側の自己責任というわけである。

 西田先生の話に戻すと、現在の組織の構成は5階層に分かれるという。
 次のような分かれ方である。

  ・環境変革型(全体の 5%)

  ・環境改善型(全体の10%)

  ・環境順応型(全体の35%)

  ・環境逃避型(全体の45%)

  ・環境破壊型(全体の 5%)

 これらのタイプを説明し、西田節が炸裂する。
再現すると以下のとおり。

 世の中の95%の人たちは成功できないんです。
 なぜか?

  甘い!!

 甘いから成功できないんです。成功したければ、

  苦しめ!!

 成功者だけが知っている法則があります。

  裏目の法則

 裏目に最大のヒントがあるのです。
 ひっくり返せば成功になるんです。
 ほとんどの人が裏目が出たら諦めてしまう。(だから成功しないのです)
 しかし、裏目を最大のチャンスだと捉えられる人は成功しますよ。

  人生は裏目の法則

 環境変革型の人は、これができるんです。
 そして、それができる秘訣は

  執念

  ざまあみろの法則 です。

 まだまだ続く西田節。この続きは別の機会に...

しなやかさとは

2011年06月23日 00時22分11秒 | 考え方
 こんな話を聞いた。

 ある中古車販売店に客が来た。
その客は、値切ろうと難癖をつけようと意気込んできている。

 そしてたくさんある車の中から気に入った車を見つけて、営業担当者に難癖をつけ始めた。
「ここにも、ここにも傷がある」と言いながら、その営業担当者を連れて車を一周した。

 そして、いよいよ値段を値切ろうとしたとき、
その営業担当者はニコッと笑みを浮かべ、「傷もお客様の車の目印だと思えば、より愛着がわいてきますよ」と言ったというのである。

 世間には、これによく似た話がいっぱいある。

 この話から学ぶべき点の一つは、自己利益の追求がいかに小さいことであるかだ。


「虻蜂取らず(欲を出しすぎたために、失敗することのたとえ)」というが、まさにそのとおりである。

「しなやかさが大事」ということをよく耳にするが、実は「しなやかさ」を持つためには自己利益を優先してはしなやかさが欠如してしまうことになる。

 まず自分より相手を思う気持ちを持ったとき、そこに「しなやかさ」が生まれるのではないだろうか・・・

 

種を蒔く

2011年06月16日 01時55分39秒 | 考え方
 古い故事に次のようなものがある。

 「世の中に、種蒔かずして
  物の生えし例(ため)し無し
  種蒔きてこそ、
  遂に運や開けん」

 最近、目先にばかりに走っていた自分に気づく。
 そして、この諺を思い出す。
 すると、スーと気が楽になる。

 まず、自分のことは考えない。
 それにかかわっている人たちがどうすれば幸せになるのかを優先する。

 そして、形になるよう支援する。

 これだけに徹しようと今は思っている。

硬い心は...

2011年06月14日 22時21分17秒 | 考え方
 心理学者の榎本博明(えのもと・ひろあき)さんは、「硬い心はポキッと折れる」という。

 その根拠として次のように説明している。

 ちょっとしたことでひどく落ち込む人もいれば、相当の逆境に置かれても淡々と乗り越えていく人もいる。
両者を分けるものは何なのか、職業柄、落ち込みやすい人の話を聞く機会が多いが、気になるのはモノゴトの受け止め方である。
どうも硬直化していて柔軟性にかけるように思われてならない。

 硬さは脆さ(もろさ)につながる。
うまくいっているときはよいが、人生よいことずくめではない。
逆風にさらされたとき、しなやかさが欠けるとポキッと折れてしまう。
鬱(うつ)というのはそのような状態をさす。
ただ硬いだけでなく、圧力がかかってもしなりながら持ち堪(こた)えるやわらかさがないと、本当の強さとはいえない。

 心の強さというとき、柔軟性とともに重要なのは、悩みや思い通りにならない現実から目を背けず、前向きに悩み苦しむことができる力である。
目の前の苦しい現実から目を背けて逃げることはたやすいが、それは心の弱さのあらわれといえる。
悩み苦しみながら、精一杯前向きに生きるところに人間の尊厳がある。
楽しくイキイキした姿も魅力的だが、もがき苦しみながらも何とかがんばって苦境を乗り越えていく姿にも心を打つ美しさがある。

 悩まない人は、悩みとうまく付き合う方法を知っている・・・

                    PHP社「心が折れない人」の習慣より

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榎本博明(えのもとひろあき)

名城大学人間学部教授、心理学博士。
1955年東京生まれ。
東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻中退。
川村短期大学講師、大阪大学助教授などを経て、現在に至る。

<主な著書>
『内向性だからうまくいく』、『あなたの魅力をひきだす心理学』、『<私>の心理学的探求 』など多数。
会社は人間関係のルツボ。そのため、相手の心理や性格をつかんでいれば、仕事もスムーズに運ぶ。
「会議で自分の企画案を通すためのコツは」「部下のやる気を高めるには」——などビジネスに役立つ対処法を紹介。


君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

2011年06月09日 19時39分50秒 | 考え方
 このことわざの意味は、「君子は、争いはできるだけ避けようとするものだが、かといって意見が異なる相手に無制限に同調することはない。一方、凡人は主体性に欠けるところがあり、有力な意見にはすぐに同調するが、全体の調和などに心を配ることは少ない」である。

 つまり、協調性は大切にするが信念はしっかり持ち続けている姿勢は大切で、付和雷同(自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。)する人の姿勢とは異なるということ。

 この似て非なるものの境は微妙なのかもしれない。
ただ、「協調性」というのは相手を慮(おもんばか)る視点からであり、一方、「付和雷同」とはどこまでいっても自分のことしか考えないという自己中心的な視点ではないかと思うのである。

 この視点の違いは大きい。

 世の中を動かすとき、自己が先に立つと動かない。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(全てを投げうつ覚悟で事に臨めば、道が開けることもある。思い切って身体を水中に沈めれば逆に浮かび上がることもあるという)」ということわざもあるが、まさにそのとおりだと思う。

 常に弱者に目をやり、その人たちの立場に立って発想したとき、「自分の成そうとしていることが本当に人のためになるのか」ともう一度自分に問うてみる。

 自己の思いだけでは人は動かない。

 そんな苦い経験を何度も繰り返してきた。

 でも、性懲りもなくまた動いてしまう。

 少しでも人の役に立ちたい...

 そんな思いからである。