走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

転機

2011年06月08日 19時01分17秒 | 考え方
 性格上、いろいろな方から相談を受ける。
でも、相談を受けるときは既に答が出ていて、確認したいだけかもしれないと思うときがある。

 本当に苦しいんだろうなと思うのだが、何もしてあげれない。

 ビジネスをしていると何度かの転機に遭遇する。

 そんな時、踏ん張れるかどうかがその後の分かれ目になる。

 創業してがむしゃらに頑張ってきて、ある程度まで大きくなれた。
でも、どうしても次のステージに進めない。
社長自身が自分のせいだとわかっている。

 わかっているが、変えれない。変われない。

 そんな時は無理をしなくていい。

まず、立ち止まること。
そして、一歩前へ出るのではなく、一歩後ろに下がってみる。

 すると下がった方が視界が不思議と広がる。
横に階段があったら上ってみて、上から見てみる。

 不思議と見えなかったことが見えてくる。

 さらに、遠くの方に目をやってみる。

すごく気が楽になる。
慌てる必要などない。

 自分のペースでゆっくりと、進んでみればよい。


 こんなことしか言えない私で、ごめんなさい。

仕事場は多様性を生かす場所

2011年06月03日 21時47分01秒 | 考え方
 仕事場には、いろいろな人がいる。
いろいろな人とは、さまざまな知識や経験、価値観をもった人たちが集まっているということ。

 そういう違いをわかった上でチームを作るというのは本当に難しいことだと思う。
なによりも「違う」ということを前提にしておかなければ互いを理解しようとはしないからである。

しかし、案外、このことを理解したうえで会議に臨んでいる人は意外と少ない。
過去の例で言うと「ひとつの価値観に従うべきだ」「組織の方針に従え」的な雰囲気が多い。
このことは、きっと組織の「秩序を保つ」という点では効果があるのかもしれない。
そのことは何よりも組織として安泰になるからである。

 しかし一方で、組織のもっとも価値のある多様性が生かされない。

 また、野放し的に皆を好き放題にしてもいいかというと、そういうことを言っているわけではない。
なぜなら、いろいろな歴史や背景をもった人たちが一堂に会して自由闊達に議論したとしよう。
確かに斬新なアイデアが生まれるかもしれない。

 しかしその反面、相手がどう思おうがどう考えようが知ったことではない的雰囲気になるからである。
そしてこの空気がさきざきな問題や軋轢を起こすことになる。
そうなるとチームとしてはまとまりにくくなる。

 だがそれこそが多様性である。

 急激に変化する社会環境に迅速に対応するためには、そのことを受け入れてこそ革新的な組織となる。
大切なのは、そのチームをまとめるリーダーの存在なのである。

 そして今、この国のさまざまな分野でそのリーダーが不在なのだと思う。

「和」の国へ小異を捨てよ

2011年06月02日 22時19分11秒 | 考え方
 5月14日号の週刊東洋経済に慶応義塾大学経済学部教授の土居丈朗(どい・たけろう)さんが次のような寄稿をしている。

 スケープゴート(不満や憎悪、責任を直接的原因となるもの及び人に向けるのではなく、他の対象に転嫁すること)探しはもうやめよう。
「絆」とか「一つになろう」とか、大震災後に国民が一致協力しようという機運が出てきているのに、それではせっかくの機運に水を差してしまう。
 一致協力する姿勢は、義援金等やボランティアの形となって発露しており吉兆だ。
バブル崩壊後に失われつつあったが、「和」の国日本が戻ってきつつあるようにも見える。
 だがねその反面、大震災による甚大な被害、その後の原発事故による立ち入り制限や風評被害に対するやり場のない不満や怒りが渦巻いている。
 「想定外」の地震や津波がもとで起きたことだが、自然に対して怒りや不満をぶつけられない代わりに、政府や電力会社の甘い予測に関与した者をスケープゴートにしたがる雰囲気があり、憂慮すべきことだ。
 不満や怒りのはけ口を求めたい衝動はあろうが、スケープゴートを見つけてそれをぶつけたとしても、大震災でなくなった方が戻ってくるわけでもないし、放射性物質の放出が止まるわけでもない。
被災者や遭難者の心のケアは今後も重要だが、スケープゴートを責めても、それで問題が解決するわけではない。

 今般の大震災における危機管理は、確かに合格点とはいえないものがあつた。
人命が懸かっているだけに失敗は許されないとはいえ、全知全能の人間がいないのもこれまた事実である。
大震災から2ヶ月というこの時期では、今後の復旧・復興に向けた知恵を、一致協力して集め、具体的な行動に移してゆくべき時である。
その時期に、重要な意思決定の場である政治の場で、抗争を繰り広げている場合ではない。

 一方が復興のための財源は消費税がよいと言えば、他方が消費税はダメだと言う。
が、対案は明示されず、はたまた復興の財言論・増税論議ばかりが先行していることを批判し、増税は断固反対だ、と言う。
あるいは、震災復興の財源捻出のためには、子ども手当を廃止せよと一方がいえば、それをやめては公約違反だと拒絶する。
しかも、これらが性質の悪い場合には、政策の内容よりも、現内閣を是とするか否とするかという次元ばかりで主張される。

 あたかも、利害対立の「チキンゲーム(別々の車に乗った2人のプレイヤーが互いの車に向かって一直線に走行するゲーム)」の様相である。
互いに主張の利点を認めず、他方が屈するまで妥協せず、屈したほうがスケープゴートになるかのような姿勢では、消耗戦となる。
大震災で疲弊した中で、消耗戦は最も避けなければならない。

 確かに平時の政策志向の違いはあってもよい。
しかし、大震災直後の時期に、小異を針小棒大(些細な物事を、おおげさに誇張して言うこと)していたずらに対立をあおるべきではない。
今はお互いの顔を立てつつ、いかに利害対立を乗り越えて相和してゆけるかを考えるべきである。

 大震災後の展開を見ると、失敗や「想定外」のための準備不足もあって、その担当者に責任を取らせたい(辞職させたい)と思う人は多かろう。
引責辞任を迫っても、その後、必ず従前の対立が解消され協力が得られると期待できたり、「この人物なら必ず上手くできる」と事前にわかっているならまだいい。
しかし、そうでないならば、小異を捨てて大同について知恵を出し合い、よりよい方策が実施できるように取り組む必要がある。
今、一致協力できない障害があるなら、取り除くべきだが、大震災の引責はもう少し後でも遅くはない。

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 私たちが選んだ国の政治家の先生たちの今日の行動を見ていて、土居先生に共感する自分がいた。

mixiとfacebook

2011年05月28日 08時14分27秒 | 考え方
 最近、私が友人にfacebookを始めた話をしていると「mixiとfacebookはどうちがうんですか」と質問されました。

 「私自身よくわかっていないのですが、多分、情報開示の内容が違うんだと思うんです」と応える。
続けて、「facebookは学歴だけでなく宗教や思想まで公開できることはどんどん公開するんです」と。

 「それって危なくないですか(悪用されないですかの意味)」

 「そうですね、悪用しようと思えばできますよね。でも、コミュニケーションをとる上で前提となる『信頼関係』が必要だと思うのですが、まず人を含めた動物には見えないバリアがあって容易に受け入れようとはしませんよね。そのためには、まずこちらのバリアみたいなものを先に除去していないと深まりませんよね」

 「そうですよね」

 「facebookの面白い使い方の一つとして同じ価値観をもったコミュニティを自らが主宰できるということです」

 「・・・」

 「つまりですね。自分の考え方は常に変わっているんです。そして、その時々で『自分はこう考えるんだけど、どう思う?』と投げかけると、まずさまざまな意見が寄せられて、その中で同質の意見を持つ人だけを集めてコミュニティを形成することができるんです。一方で自分を匿名にすると、相手も匿名になるから、意見が責任あるものでなくなるのです。結果的には建設的な方向には向かわないということになります。」

 
 「mixiとfacebookのちがいは、日本人が形成するコミュニティと外国人が形成するコミュニティの本質的なものを突いているということですか」

 「少しオーバーかもしれないけれど、そうだと思います」

 「つまりfacebookはシェークハンドの文化だと」

 「そうなんです。握手をしてフルネームで名乗るところからコミュニケーションが始まる。相手の体温や握手の力強さみたいなもので相手の情熱や思いを感じる。そして、自分の名前を名乗り、それをきっかけに自分の情報を徐々に相手に伝えることで、相手のバリアを取り除いていくといった感じですかね」

 プライバシーを厳格に主張する米国で生まれたfacebookが世に受け入れられた理由は、その真逆的手法がコミュニティを形成する近道だと気づいたからかもしれない...

いつかわかる

2011年05月22日 10時09分23秒 | 考え方
 あるテレビドラマの中のせりふに「死んだ父の口癖に『いつかわかる』をよく言っていました。そして、『どんな難しい本も、どんな難題も、逃げずに立ち向かっておれば、いつかわかる。』と言っていました。」

 確かにである。

 逃げないこと。
今、自分が置かれている立場を直視し、絶対に逃げないこと。
そして、どのような人にも誠意を持って接すること。
今なぜできないかを相手がわかるように説明し、一回でわかってもらえないなら粘り強くわかってくれるまで何度でも説明する。
説明しているうちに、相手の胸のうちが見えてくる。
相手が真に望んでいることが見えてくる。

 どんな相手も、怯(ひる)まない相手だとだんだん怖くなってくる。
そして、意識して見ないようにする。
 結果は、相手が逃げたことになる。

 へこたれない、打たれ強さには自信がある。
 どのようなときも、自分を楽しませる知恵や思いがある。

 その根底には、「人の役に立ちたい」という思いがあるから
 
  

普段着の気楽さ

2011年05月20日 19時24分43秒 | 考え方
 「私は子どもの頃、ひどいくらい人見知りで引っ込み思案でした」というと、「へぇ~」と言われる。
中には「嘘でしょう」と言われる方までいる。

 とにかく教壇に立って前で説明したり、自己紹介をするときなどは、順番が回ってくるにつれ心臓の動機がだんだん早くなるのがわかった。
そして、自分の番になったとたんに顔が真っ赤になって、次に頭の中が真っ白になって支離滅裂になるのである。

それがいつの間にか、人前で話すのが好きになり、できれば一回でも多く話したいと思うようになった。
この変化のきっかけはなんだったのだろう。

 自信がついたからか。
 では何の「自信?」

 一言で言うなら笑われる自信。
よくよく考えたら、人前に出て笑われないようにと願っていた頃は、おどおどしていた。
社会に出てから、まず自己紹介をする機会が増えた。
あるとき、ふと気づいたのである。
しゃべり方は上手くないのに、笑いの「つかみ」みたいなものを持っている人が。
けっして流暢に話すわけではない。
どちらかと言うと朴訥な感じなのである。
でも、余韻の中で「おもしろかった」のあとに「あじがある」みたいな感じになる。

 真似てみた。
でも上手くいかない。
その内、自分の味とその人の味は違うんだと言うことに気づく。

 そして、落語と「フーテンの寅さん」をよく観た。
話す「所作」が声だけでなく、表情やジェスチャー、そして「つかみ」と「間(ま)」が大事だということも見えてきた。
また、どんな話にも「起承転結」が必要であり、特に「結」の「下げ」という部分がはっきりと言うのではなく、相手側に好きに想像してもらうような「余韻」を残すことの大切さを知る。
 だが理論はわかっても、うまく実践できない。

 そこで考えたのは、自分のような人見知りをする人とたくさんしゃべることだった。

 なぜなら、そういうタイプがどのような人なのか、自分が一番よくわかっていたからである。
こういうタイプは、見えない「心のバリア」で自分自身を覆っている。
その中に入っていくには至難の業である。
ではどうするか。
相手を油断させることである。
緊張しているわけだから、相手のイメージを完璧に壊さなければならない。

 自分をタヌキ化(?)したイラストが入った名刺を渡す。
声には出ないが「エッ」という声が聞こえてくる。
そして、そのイラストと私を比べる。
大体は頭から足の先まで見てくれる。
すかさず「似ているでしょう?」と言うと首を立てにまで振らなくても納得している様子がわかる。
「疲れたときは、この名刺を見て笑ってやってください」という。
相手は、初対面の人から「自分のことを見て笑ってくれ」と頼まれるともっと驚くのだが、そこで簡単にそのバリアが消えてしまう。

 何が言いたいかというと、「普段着の気楽さ(弘兼憲史さんの著作からの引用)」を第一印象で植え付けられるかどうかで、その後の人間関係が決まってくるのである。

 そういうことが本当に自然にできるようになった。
 歳をとったからできる技なのであろうか...

つねにing

2011年05月19日 20時55分23秒 | 考え方
 今週からクールビズになったので、髪も短く切った。
朝礼のときに「ヘアスタイルが夏バージョンになりました」と言ったら笑われた。

 人は服装や髪型、表情や態度といった外見だけでなく、内面から出てくるものまであわせて成り立っているように思う。

 しかし、最近テレビを観ていて若い女性が同じファッション、ヘアスタイル、メイクなので見分けがつかず、つい「双子?」と質問をして顰蹙(ひんしゅく)を買う。
なんだか自分で型にはめ込んでいるような気がしてならない。

一時「個性」なんて言葉が流行ったが、もう死語なのだろうか。
型にはめようとしているのは、そこが終着点で、そこを目指しているためだろうか。
そんなのつまらないと思わないのか。

 人は常に変わっている。

 だから楽しい。

きっと相手も進行形(ing)の人間だから魅かれるのではないか。
進行形だからこそ相手の心をつかむことができるのだと思う。

 常に自分は未熟だと思って生きている。

だから、進化したり、変化したいとも思う。

 心は常に、ing

悩みが似合わない

2011年05月18日 22時39分46秒 | 考え方
 最近、さまざまな分野のさまざまな人たちから相談を受ける機会が多くなった。

 なぜ私なのか不思議に思う。
相談を受けるというのは、先方に悩みがあるからだ。
でも、相談を受ける私にだって悩みくらいはある。

 でも、どうやら悩みがある顔に見えないらしい。
損なのか得なのかわからない。
でも、そのことが得なんだと思うようにしている。
 
 どだい悩んだって仕方ない。
悩むからストレスもたまるし、ストレスがたまれば病気にもなる。

 人とちがって「ねばならない」とか「かくあるべし」なんて考えは、とうの昔に忘れてきた。
自分の人生を振り返ったとき、ほとんど落第点に近い。自慢じゃないが百点満点なんかとったことない。

 こんな私でよかったら、何時でも相談に乗りまっせぇ。

でも完璧な答を私に求めるのは無理ですよ。
なにしろ、悩まない私なんだから。

 ただ、ひたすら聞き役には徹することができます。
人に相談するとき、ほとんどの人がすでに答を出していて、その答えに向くようにアドバイスして欲しいと思っているだけ。
だから、ひたすら話を聞きながら、あなたの本音を探すだけ。

 人は結局自分で決めて自分の思い通りに物事が進まないと気がすまないのだから...

テレビ電話

2011年05月12日 22時53分17秒 | 考え方
 最近、パソコンを使ってテレビ電話を始めている。
大阪の友人と一週間に一回定期的にコミュニケーションを始めた。

 ソフトはskypeを使っている。
PCは旧型なので別にCCDカメラを購入、2千円もしなかった。
初めて相手側の画像が映し出されたときは驚いた。
時間差がなく、いわゆるサクサク動く。
その成果、つい会話が弾む。

 情報交換として相手側が開いているホームページやエクセルなどのファイルをこちらからでも見れることを教えてもらい、驚いた。
文字情報もメール感覚(?)で送れる。

 おもしろい!!

 堅苦しかったパソコンが、楽しいツールに変わった。
最初は取り留めのない話ばかりだったのが、互いにプラスになるような情報交換の内容になる。
しかも、五人まで同時に話せるという。

 実は、テレビ電話システムを他にも2社知っている。
他のシステムはどうか、近々比較してみようと思っている。

 そしてskypeをマイクロソフトが買収したというニュースが飛び込んできた。
さすが...
コミュニケーションツールとしてテレビ電話がブレークする日がそこまできているのか...

 なぜ子どものように楽しんでしまったかというと、コミュニケーションは音声情報や文字情報を伝えるだけでは楽しくなくって、相手の顔の表情やジェスチャー全部ひっくるめて見えるから楽しいことがわかったからである。




新たなコミュニケーション力

2011年05月12日 02時19分49秒 | 考え方
 今、コミュニケーションについての研究をしている。
理由はコミュニティを構成する因子(地域コミュニティでいうと「地域住民」)同士を結びつける「コミュニケーション」が円滑に機能しなくなったために、地域コミュニティの崩壊の一因になったのではないかと仮説を立てたからである。

 そして、最近よく耳にするのが「コミュニケーション力が低下した」といった内容の話であり、カルチャースクールなどでも「コミュニケーション力講座」なるものがもてはやされている。
確かに個々のコミュニケーション・スキルが低下したという理由もあるだろう。
しかし、それには社会背景や環境の変化というものも無視できないと思っている。

 その際たるものが核家族化である。
一番身近なところから会話がなくなり始めた。
大家族のころは、子どもの話の聞き役はババ様、ジジ様であった。
何よりも子どもたちの話を引き出してくれた。
 しかも、食事時に家族が揃わない。
食卓コミュニケーションが成立しないのである。
ここにも家庭教育の歪みを感じる。
つまり、子どもたちは話すことが苦手になったのではなく、その手法を教える人がいなくなり、その手法を知らない子どもたちが増え続けているということ。

 日本人の美徳とされた「あうん」の呼吸も今は昔。
そして、「話せばわかる」ということ自体が難しくなり始めた。
話し方も聴き方も訓練されないままに大人になってしまった。
つまり、「話さなくてもわかって欲しい」から「話してもわからない」という状況になったということである。

 そこで出てきた答えが、「プロとアマチュアのコミュニケーションは基本的に成立しない」という割り切りをすべきだということ。
その割りきりができ始めると、次の一手が見えてきた。
そして、自分なりの理論構築ができるよう頭の中が整理できるようになった。

 これって、行政のさまざまなシーンで出てくる合意形成のための手法として使えるんじゃないか...

 なんて、短絡的に考える私がいる。

風の通り道

2011年05月09日 21時53分21秒 | 考え方
地域の中を自転車で走っていて、涼しい風が吹き抜けたかと思うと少しだけ早い風の音が聞こえてきた。
そして甘い香りがする方に目をやると、写真のような花(「はなみづき」ではないかとメールをいただきました)が飛び込んできた。

そして、目を凝らしてよく見ると風鈴がついている。
(風鈴といえば)普通は家の軒先につるし、風に泳ぐその鈴の音が涼を満たし、暑さをやわらげてくれるものである。
日本人ならではの風流であり、粋である。

しかし、この風鈴は道路横に吊るしてある。
それは、家人のためというよりもあたかも道行く人に風の通り道を感じてもらうような風情である。

今、地域の中をくまなく自転車で回っている。
(不審者ではありません...)

まず感じたことは、行き止まりの道が多いということ。
新興住宅地区の宿命か...
行き止まりの道は風が通り抜けることができない。

別に風水に凝っているわけではないが、まちづくりを行うときには風や水の流れをどうするかが大切なポイントだと思い始めた。
そのためには、鳥瞰的な視野が必要だ。
まちづくりは目先にだけとらわれると失敗する。

今日も先人が、今の幸せと未来の人の幸せを思いながらまちづくりをしたその思いに馳せている。

そして、この風鈴を吊るした家人の粋にも...

もう一度、その花を見上げると青い青い空が白い花と対照的に広がっていた。


椎川流「公務員十戒」

2011年03月02日 04時05分10秒 | 考え方
 椎川さんが自戒をこめて公務員の姿勢をわかりやすく説いていただいているので、これも紹介します。


〇公務員である以前に、まず普通の人として皆から尊敬される人間になること

〇常に、健康をチェックし、身体を鍛え、気力を充実させて、公務能率を
 上げられるよう心がけること

〇自分が権限を持っていることを意識した上で、それを振り回すことなく、
 いつも謙虚に、国民、住民のために真剣に汗を流すこと

〇自分だけの狭い世界に閉じこもらず、平日だけに限らず、自分の時間と
 お金を使ってでも勉強や人との付き合いをし、知識と人脈をひろげること

〇自分の住む地域の自治会活動でも、ふるさとの地域おこしでも、趣味の
 国際交流でもいいから、仕事以外のプラスワンとして、なにか地域活動、
 ボランティア活動、NPO活動、社会貢献活動などをし、机の上の理屈を
 言うだけでなく、実際に身体を動かすこと

〇自分の眼で現場を確認し、国民や地域住民の声に謙虚に耳を傾け、自分の
 担当する仕事に工夫を加えて、常に一歩前進するつもりで改革、改善に努め、
 スモールサクセスを積み重ねること

〇組織や上司のためでなく、直接国民や地域住民のためになっているかという
 公務員の最終ミッションを意識しながら、常に自分の仕事を点検すること

〇仕事から逃げることなく、責任を他人に押しつけることなく、自分のすべき
 ことをきちんと処理すること

〇失敗を部下のせいにすることなく、また、上司にこびることなく、自分の
 正しいと考えることをやり抜くこと

〇理屈だけでものを言わず、自分がそう言われて実際にそれを実行しなければ
 ならない立場になったらどうかということを必ず考えてからものを言うこと


徹底した現場主義のために

2011年03月01日 22時49分58秒 | 考え方
 NPOユニバーサルクリエートの米田さんから椎川忍さん(総務省自治財政局長、前総務省地域力創造審議官(初代)、元内閣官房内閣審議官(総理大臣官邸末吉参与室)、元自治大学校長(第43代))のお話をお聞きしたので紹介します。

 椎川さんは、地域が大好きで地域を元気にするために努力をされ、ライフワークを地域活性化に注がれておられます。そして、地域という現場を大切にするその信条はすさまじいものがあります。
地域活動の現場にいる者としては本当に参考になるお言葉です。

○基本は、「歩く、見る、聞く、食べる、飲む、泊まる、買う(特産品)、
 そして伝える」こと

○初めての土地に行ったら、まず1時間ぐらいまち歩きをする

○朝は早起きをし、まちなかをジョッギングする

○歩いたり、ジョギングをしたりするスピードでまちをみると、
 そこに住んでいる人たちの生活やまちの本当の姿がわかる

○できるだけ朝、昼、夜、それぞれのまちの姿を見る

○地元資本のホテルに泊まり、地元の人が行く居酒屋などで食事をする

○そうすると、そのまちのおもてなしの心やサービス業の水準がわかる

○土地の人たちと知り合いになり、人の輪(和)が広がる

○HP、ブログ、ツィッター、ML、メールで継続的に議論し、関係を深める

○人と人がつながると、思いがけないプロジェクトが生まれたり、育ったりする

「地域力創造訓」
    ~初めて地域力創造グループに来られた方へ

○権力やお金の力だけでは決して人は動かないし、地域も活性化しない

○地域おこしを実際にやっている人たちと一緒に考え、行動し、スモール
 サクセスを実現し、感動を共有する

○人材面での補完、ネットワークづくりに自分の持っている知見を役立て
 られるように努力する

○現場主義を貫き、地域の抱える課題をなんとかできないかと考え、一緒に
 汗をかいて問題解決にあたる

○机上の空論は最悪、実践による前進が尊い

○個人プレーでは限界、組織総力戦で最大限の成果をあげる

○地域にも、組織にも、一人として要らない人間はいない。
 みんなの力が必要である(やねだんの豊重公民館長の言葉より)


 本当にすごい人です。

農商工連携プランニング講習会 in 松山

2011年02月23日 23時49分26秒 | 考え方
 4回シリーズで行われる「農商工連携プランニング講習会 in 松山」に参加してきました。(定員15名のところ16名の参加:満員御礼)

 講師は、NPO法人農商工連携サポートセンターの代表理事 大塚洋一郎さんです。
大塚さんはもともとは国家公務員だった人で、経産省時代に農商工連携に携わった縁で、退職までして農商工連携のプロとして生きる道を選択された方です。

 本当に幅広い人脈を持っておられ、講習会と言っても研修に近いもので、久しぶりに楽しい研修を受けることができました。

二日目は模擬ビジネスモデルを企画していくというもので、私は「ドライフルーツを活用した健康食品の開発と販売」というテーマで企画してみました。
この企画には、参加者の日東物産の東社長や菊地農園の菊地さんが興味を持ってくれ、チームを結成することになりました。

 大塚先生もたいそうおもしろがられ、低温乾燥機メーカーなどを紹介していただけることになりました。
菊地さんは農家のネットワークを活用して材料の供給を、森さんは流通のプロとして販路の開拓や商品開発時の消費者ニーズの反映を担当していただくことになりました。
私はというと、ドライフルーツに向く農産物の調査や開発における理論的裏づけなどの担当です。
また、売るときのデザインが勝負だということになり、このことについても口出しさせていただこうと思っています。

 ただ、私の立場からすると完全ボランティアですが、企画が楽しいので今からワクワクしている次第です。

 これからこの事業の進展内容についても発信していきたいと思っていますので、乞うご期待です。

竹よ

2011年02月16日 23時04分46秒 | 考え方
 この季節になると上司が贈ってくれた詩を思い出し、自分を奮い立たせている。


「竹よ」

 竹が割れた
 こらえに こらえて倒れた
 しかし竹よ そのときお前が
 共に苦しむ仲間達の背の雪を
 払い落としながら倒れていったのを
 私は 見ていたよ

 ほら 倒れている おまえの上に
 あんなに沢山の仲間が
 起き上がっている

            富弘