走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

責任転嫁グセ

2010年02月03日 21時41分07秒 | 考え方
 「責任転嫁」大なり小なり誰にもあると言われており、私にもある。
 そして、これが習慣化したものを「責任転嫁グセ」というそうで、心理学ではこれを「他罰型」というそうだ。

他罰型の人は、フラストレーション(欲求がなんらかの障害によって阻止されている状態。また、その結果生じる不快な緊張や不安。)の大きい人だそうだ。
では、フラストレーションはなぜ大きくなるかといえば、目標を高く設定しすぎるケースが多いとも。
80点に目標をおいて80点をとれば満足できるが、100点満点を目標において80点をとった場合は自分が許せずフラストレーションが増大することになるというのである。
いわゆるまじめな人が陥りやすいと思う。

 高い目標設定は人生を向上させるのに役立つが、到達不能な目標を設定してしまうと、達成できない自分を責める気持ちばかりが強くなり、精神の均衡を保つために責任転嫁が始まるという。

 この「責任転嫁グセ」が厄介なのは、この癖を持つ人は周りから不信感を持たれやすく、そのうち(周りの人たちが)段々遠ざかっていくことになる。
特に、部下たちが遠のいていくと(上司としては)何もできなくなる。

 「部下を信じ、部下に任せる」とは、すべて自分が責任をとるということ。
 そして、その時の目標として(部下に)100点満点を強いるのではなく、その時の部下が最善を尽くして出せる点数をあらかじめゆるく設定することであろう。

 責任転嫁グセを治す特効薬は、これに尽きるような気がする。


※参考文献※

 PRESIDENT 2010.2.15

前例踏襲主義

2010年02月02日 22時38分02秒 | 考え方
 今まで「前例踏襲主義」を諦めることはあっても、真剣に考えることはあまりなかった。
どこかに自分はちがうというイメージがあって、他人事のように考えていたからである。
そして、前例踏襲主義病にかかった人の言動を見聞きした時に嫌悪感を感じていたが、それは鏡で自分を見ていいたのじゃないかと思うようになった。

 このように考えるようになったのは、日本深層心理研究会主幹の山口彰さんの書き物を読んでからである。
山口さんは、前例踏襲主義病にかかる人は大企業のサラリーマンや官僚に多いという。
症状は、伝統や権威に盲従し、それを盾にして下位の者に接する傾向があるとも。
もとからこの病気にかかっている人はいなく、大きな組織にいるうちに権威主義的傾向を深めて、仕事に新しい発想や創造性を発揮できなくなると。

 彼らは一見患者のように見えるのだが、事実は権威に従っていれば失敗を叱責されることがないことを知っており、その方が楽だということを知っている。
権威主義的傾向の強い人は、心の中で周到に損得勘定をしていて、うまく出世する人が多いという。

 権威主義的性格の対極に位置するのが創造的な性格なのだそうだ。
どちらを選択すればいい人生を送れるかは一概に言えないとも。
ただし、権威主義的な傾向を捨てない限り、心躍るような冒険や感動を体験はできないと。

 では、ここから脱出できるのか。
つまり、人は変れるのかという命題である。

 答えは、変れる部分と変れない部分があるという。
わかりやすく言うと、人間を「玉葱」に例えて言うと、人間の心は玉葱のように重層的にできていて、中心にある「気質・体質」はそんなに簡単には変わらない。
中心に近い「感情」も変えにくいけど、外側に近いところの「態度・習慣」は変えられる。
最も外側にある「行動・考え方」も変えられる。
そして外側にある「行動・考え方」は人との出会いや読書、新しい体験で比較的簡単に変えられるという。

 こう分けて考えると、随分と楽になった。
 前例踏襲主義病の重症患者にならないようがんばろう
 

アサーションとは?

2010年01月29日 00時02分59秒 | 考え方
 現場を持っているとさまざまなクレームが入る。
 内容は、さまざまである。

 クレームを言う側の多くは、自分の落ち度について触れない場合がある。
 一方的に、こちらの対応についてクレームを言われることがある。

 こんな場合のクレーム対応をどうするか。
 
 まず両者の見解や言い分に耳を傾ける。
 その時に注意しているのは、絶対にどちらに非があるといったことを言わないようにしている。
 また、クレームを行っている間は熱くなっているので冷静にこちらの話を聴いてもらえない可能性があるので、しっかりといい終わるまで聴くことにしている。

 そして、時間をおいて、まずこちらの落ち度についてしっかりと謝ることだと思っている。
そして、相手の落ち度についても正す勇気を持つということである。

 しかし、ここで最も注意しなければならないのは、相手の自尊心を傷つけないということである。
絶対に敵味方の関係になってはいけないということである。
相手のことを尊重する態度が相手に通じれば、上手な着地点に導くことができる。

 こういう考え方を「アサーション」というのだそうだ。
アサーションとは、「適切に自己表現する」という考え方だそうだ。

 アサーションの理想は、「相手もOK、自分もOK」です。

 そういえばクレーム処理のうまくない人は、敵味方の関係で対応する人が多いなあ...

何のために

2010年01月28日 00時42分45秒 | 考え方
 今読んでいる本の中に「本源的欲求」という言葉を見つけた。

 著者は、おサイフケータイのクレジット発案者であり、株式会社ネットストラテジー代表取締役社長の平野敦士カールさんです。

 彼は、人は何のために仕事をするのか、活動をするのか、使命感を見出すことで自発的に動き出すと説いている。
 そして、その使命感を見出す方法として3回の「For What?(何のために)」を自問する習慣づけを行うことで見出せるという。

 例えば、このような会話である。

 「(公民館)主事さんは、何のために文化祭の仕事をしているの?」
 「社会教育、生涯学習講座の集大成として地域の人たちに紹介するためです。
  そして、新たに学びたいという人を掘り起こすためです。」
 「何のために、文化祭という形式をとるのですか?」
 「地域の人たちの間にコミュニケーションが生まれやすいからです」
 「何のために、そこまでやるのですか」
 「地域の人たちに絆が生まれ、そのことでお互いが助け合う互助の機能が
  地域社会に根付いていくからです。」

 といった具合にやっていくと、どのような些細(ささい)な仕事でも社会的使命があるということを認識するようになり、がんばれるということです。
 大事なことは、答えではありません。
 繰り返し、今、自分が社会にとってどれだけ貢献しているかを常に意識するという姿勢です。
このことこそが、夢を抱き、志を持って突き進むということだと思うのです。

小朝流 ほめる作法

2010年01月27日 00時33分35秒 | 考え方
 NHKの番組を観ていて、今、社会全体が疲弊していて、市場原理主義は各々ノルマ漬けで疲れきっており、メンタルな病気にかかり、ひどい時には死に至るという。
自殺者が年間3万人も超えている現状の中ではうなずける。

 そして、現代の若者が子どもの時から怒られずにほめられて社会に出てきたために、怒られるとダメージが倍増するという。

 落語家の小朝さんは、その解決策を次のように言う。

 「ただ、ほめればいいと思っているがそれじゃあいけない。
  相手を安心させて上げられる言葉じゃなきゃいけないんです。
  あなたが必要なんだという思いが伝わるような言葉じゃなきゃいけないんです。」と

 今、社会全体で、互いをほめあうことが大切な世の中になってきている。
 だからと言って、流行後にもなった「ほめ殺し」ではないが、単にほめるだけではいけない。
 あなたという存在が大切なんです。
 それが伝わるほめ言葉でなければ、相手が安心できないし、次につながらない。

 でも、世の中がそんな言葉であふれ出すととても素敵な世の中になるのに...