走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

自転車で新風を!!

2010年10月15日 19時50分29秒 | 考え方
 NHKのBSチャンネルを観ていてイギリス・ロンドン市の交通政策をやっていた。

ロンドンでは、中心部の車の増加により交通渋滞が慢性化していたという。
行政はこれを憂えて、レンタサイクルを6,000台投入したというのだ。

 ただ、この動きは行政が自主的に行動したわけではなく、その影にNPOハックニーサイクルという団体があったようだ。
この団体の代表は、自転車の有効性と自転車がまちを変える可能性について活動したという。
そして、今も自転車の点検方法や乗り方教室、自転車道の拡張のための調査事業など、積極的に活動しているようである。

 いまでは、救急自転車なる救急車の自転車版が60台も投入され、救急車が来るまでの応急処置を行っているという。

 また、「サイクリスト・カフエ」なるものまで登場し、店の中に自転車を持ち込めるだけでなく、お茶を飲んでいる間に修理などをしてくれるそうである。

 この番組を観ていて本当に役に立つことがたくさんあった。

それは、松山というまちが、コンパクトにできたまちで、自転車で移動するには最適なまちだからだ。
郊外から中心部までは公共交通機関で移動し、その後、自転車などで移動する。
そのためには、交通結節点にはレンタサイクルを投入する。
だが、レンタサイクル事業だけでは採算割れをする可能性があるので、自転車を広告媒体として見立てて広告収入を足すと、トントンまでいくのではないか。
また、駐輪ビジネスまで足していくと十分ランニングコストだけでなく、イニシャルコストの回収まで出来てしまう可能性がある。

 これからのまちづくりは、イニシャルコストの部分についてのみ税を投入し、それが回収でき、結果的にはそのことによりさまざまな経済波及効果が生まれる、そんなやり方が必要だと思う。

そんなまちづくりがあってもいいのではないかと、以前から考えていたからである。

 どちらにしても、交通政策についてさまざまな交通手段を有機的に組み合わせて、環境保全や都市機能の向上を図る努力をもっとしなければならないと思った。



逆境はチャンス、順境はピンチ

2010年10月14日 23時34分19秒 | 考え方
 世の中には、「逆境に強い」といわれる人がいますが、私はそういう人たちが生まれつき心が強かったわけではないと思うのです。
では、なぜそう言われるのか。

 恐らく、逆境に強い人がいるわけではなく、逆境が人を強くするのではないかと。
北風に身を晒(さら)す経験をすれば鍛えられるように。

なかには「なんで俺はこんなにがんばっているのに恵まれないんだ」と悔しい思いをしながら、それでも人や環境のせいにせず、必死で乗り越えようとしいてる人は間違いなく成長すると思うのです。
人は恵まれた環境に置かれれば置かれるほど、高い意識を持っていないと強くなれません。

 だからこそ、「逆境はチャンス、順境はピンチ」なのです。

 逆境に晒されている時は、自分の進むべき方向さえ見失ってしまう可能性もあります。
そこでありとあらゆる知恵や感性、経験値を最大限に駆使します。
そうでないと、立ち往生して一歩も進めなくなってしまうからです。

もちろん、結果的には同じところで足踏み状態のままということも多々あります。
しかし、そこで前に進んでいこうというエネルギーを振り絞ることができなければ、自分自身を鍛えることはできません。

振り返ってみれば十代の後半に肉親の死を経験し、二十代前半で伯父の事業の失敗により人の心の裏腹さや、不条理を経験しました。
どんなにがんばっても、何も変わらないという自暴自棄になった時期もありました。
人生の中で最も挫折感を味わった6年間だったように思います。

 おかげで人の痛みが少しはわかるようになったと思います。
 そして、どんな時にも現実をありのまま受け入れられるようになりました。
 
 そのおかげかどうか、誰かが言った

  「二十代は『アリ』になり、
   三十代前半から四十代前半は『トンボ』になり、
   そして、五十代前半までに『人間』になる」という言葉があるが、

 仕事について十年、アリのようにひたすら働いた思いがあります。
 今振り返るとたいして重要な仕事が与えられたわけではないけれど、徹底してやったことで何かを掴んだような気がします。
 次に、トンボの目(複眼)のようにさまざまなものに関心を持ち、自己研鑽に励んだと思います。
 そして、最近、やっと人間らしくなってきたと思います。
社会には弱い人たちがいて、その人たちの味方になれるようになってきました。
強い人は放っておいても生きていけます。
だからこそ、弱い人たちに平等に機会を与えようと心がけています。
そういう温かい血がやっと流れ始めたかなと思う今日この頃であります。

技術は人の中にあり

2010年09月19日 10時08分25秒 | 考え方
 今朝のテレビで、世界的な競争の中でモノづくり日本の優位性が薄れ、負け始めているという。

世界一だと自負していたモノづくりが、世界一ではなくなったこと。
また、例え技術が世界一だとしてもアフターサービスやその他の条件で比べようもないくらいのものを提示され、負けてしまうということもあるそうだ。

まさに「奢れるもの久しからずや」である。

 その要因はさまざまあるが、新興国との合弁、海外への技術移転、そして何よりもヘッドハンティングなどなど。
ヘッドハンティングで人的資源が流出しやすくなったのは、終身雇用制の企業のときにも起こっていたが、昔ほど高額でなくとも簡単に流出するという。
ヘッドハンティングされる時の契約条件がこと細かに明記され、研究成果で特許をとった場合の保証もされているというのである。

会社に対して帰属意識がなくなった人にとっては、好条件さえ示されればいとも簡単に(他の会社に)移ってしまう。
そんな組織風土をつくりあげてしまったのは、誰かということである。

 「人」という資源を軽視した行動は、いつか「人」という武器でしっぺ返しをくらう。
因果応報である。

 人という資源をさまざまな企業、組織は見直していただきたい。
そうでなければ、結局、災いはわが身に振りかかる。

社会を変える力

2010年08月17日 23時49分36秒 | 考え方
皆さんは「ソーシャル・セクター(社会的事業)」という言葉をご存知だろうか?

その代表の1つテーブル・フォー・ツー(TFT)という団体がある。
この団体の活動は大変ユニークなもので、企業などの社員食堂にヘルシーメニューを導入してもらって、それを注文すると自動的に、20円が子どもの給食分として開発途上国に寄付されるというものである。
利用する側にとっても知らない間にメタボ対策といいこと活動に参加できるし、導入した企業にとってはイメージアップにつながる。
一挙両得どころか一挙数得になるというしくみである。

この団体の理事兼事務局長の小暮真久氏は、次のように語っている。

 まず、ソーシャル・セクターの存在目的とは、単純明快に「世の中に変化を起こすこと」です。
世界中の人々が何の不安も感じず日々の生活を営み、安心して子どもを育てられる環境にいるならば、わざわざ世の中を変える必要などありません。
しかし、残念なことにこの地球上には、貧困、公害、紛争などさまざまな問題が、未解決のまま放置されている。
これらの問題は個人では解決できない。
 ならば、政府や国連に全て任しておけばいいかというと、その動きも限定的でありそれらを補完するものが必要になってきている。

 そもそも社会問題というのは、社会に歪みがあるから発生するのですから、その歪みを正す方向に社会を変えれば、それらの問題は解決するはずです。
 しかし、社会を変えるとなると、誰かがそれを真剣に考え、戦略を立てて人々を導いていかなければなりません。
その役目を引き受けようというのが僕たちのようなソーシャル・セクターなのです。


 私たちは、パートナーシップ型行政によるまちづくりを目指していますが、こういった使命感を持った人たちと出会わなければ現実的には難しいのかもしれないということを感じています。
そして、出てくるのを待つのではなく、そういった人材を育てるという行動を起こす時期にきているとも思います。

通訳の必要性

2010年07月22日 20時55分01秒 | 考え方
 今日の愛媛新聞に「専門的な通訳を必要とする国際学術会議誘致や企画支援に向け、松山市在住の通訳者らが昨年12月、全国学術会議通訳者連盟「FAIS(フェイス)」を設立。来月、通訳者対象の夏期講座など、設立記念イベントを開催する(以下省略)」という記事が載っていた。
このような活動は、今まであったようでなかったのです。
でも、必要な活動なのです。

 皆さんは忘れているかもしれませんが、松山市は「国際温泉文化都市」なのです。
そのための基盤整備として、こういった活動が必要だったのです。
でも、通訳という仕事は本当に大変な仕事なのです。

 随分前に、国の要人同士の通訳は、通訳の世界でも超一流だといわれています。
彼らは超一流を維持するために、隠れたたゆまない努力を行っているそうです。
 例えば、国際会議が行われる場合に、事前にその会議の目的や目標、そしてその会議に参加する国々の事情やその背景にある歴史文化などを含めて洗い出すのだそうです。

だからこそ、会議本番で一番的確な単語を俊司に導き出し、通訳するというのです。
そういう意味では、単に語学ができるというだけでは超一流の通訳にはなれないのです。
マルチな才能としっかりとしたコミュニケーション力が必要なのです。

 一方、最近私は通訳を頼まれることがあります。
でも、語学のできない私は、日本人と日本人、いわゆる立場のちがう人たちの通訳です。
では、なぜ私が呼ばれるかというと私なりの特技があるからかもしれません。

 その特技とは、

  わかりやすく説明する力
  聞き手に対してビジュアルなイメージを描かせることができる力

 この二つの特技は、実は私自身の欠点から来ているものです。
 はっきり言って私は能力は高くありません。
 ですから、相手から聴いた話を目の前でビジュアルに表現しながら咀嚼(そしゃく)していくというベタなやり方をしています。
これが、結構受けるのです。
コミュニケーション力を身につけるのは一見難しそうですが、実はそれほど大したことではないような気がします。
相手の目や表情、ジェスチャなどを観察しながら、話の中でのキーワードを探し、自分の理解が間違っていないかをその都度相手に確認していけば、それほど大きな違いがなくなるということです。

そして、最後に結論と次回までの検討項目を確認しておきます。

世の中がネットワーク社会になったという昨今、それと反対に私たちはコミュニケーション力が退化しているのではないかという出来事が身の回りで頻繁に起こり始めています。

 そういった状況だからこそ、私は頼まれればどこまでも通訳に行こうと思っています。

運がよければ

2010年06月15日 22時51分41秒 | 考え方
 最近、医療関係のTV番組が増えているような気がするのは私だけだろうか。
内容もかなり専門的で、医療の現場の日進月歩を感じる。

 高校二年のときの学年最後の期末試験の最終日、早く帰宅した。
 一本の電話がかかってきて、母が電話をとった。
その電話は、「ご主人が怪我をされましたので○○病院まで至急来ていただけますか」というものだった。
母は、相手の声が落ち着いていたので大したケガではないと判断したのか、「いっしょに行ってみる?」と軽く聞いた。
私は、迎えに来いというのだから骨折くらいはしているかもしれないと思い、男手があった方がいいかもしれないと思い、付いて行くことにした。

 病院の玄関には父の上司がおられ、暗い顔で「奥さん、先生の話を聴いてもらえませんか」というと診察室に私たち親子を案内した。

 他の患者さんを診ておられたので、終わるのを待った。
診察が終わると、その患者さんのカルテを書き、椅子ごとクルと私たちの方に向き直り、「まことに残念ですが、ここに来られた時にはすでに亡くなられておりました。
 運のいい人は助かるんですが、アバラが折れ、内蔵に突き刺さり、内臓破裂でした。
 地下に安置しておりますから、看護婦に案内させますので会いに行ってください」
 何が起こったかわからなかった。


 そして、市役所に入って定員管理を担当していた時に、消防職員も含めて厳しい職員の抑制をしていた。
でも、唯一、例外(増員)がある。

 それは、高規格救急車(従来の救急車から、救命のための機具などを搭載したり、救急救命士を搭乗させることで、救命率を高めることを目的にした救急車)を導入したときである。
すんなりと認めた。
それだけではなく、上の判をもらうためのアドバイスまでした。
消防の担当者は驚いていた。
常に増員を許さないと言い切っていた私がである。

 恐らく、私が後にも先にも仕事に私情をはさんだ出来事である。
職員としては、プロとして、私情を挟むことに厳しかった私が、あの時の医師の「運のいい人は助かるんですが...」の一言のために
 でも後悔はしていない。

 私たちは、どこにいても、まず市民の生命の安全と安心を守ることを優先することが使命だと思っているからである。

二人の校長先生

2010年06月10日 00時05分14秒 | 考え方
林住職の講話第六弾。

 ある中学校の二年生の男子が放課後、野球部の練習中に心臓発作で倒れて救急車で運ばれたが、そのまま帰らぬ人となった。
 葬儀の日、その中学二年生全員が葬儀に参列したいと校長先生に申し出た。
しかし、校長先生は「学生の本分は勉強である」とこれを拒否したという。
それに反発して、二年生全員が体育館に座り込み、最終的には校長先生が代表九人だけが参列することで折り合いをつけた。

 その話を聴いた亡くなられた生徒のご両親は、葬儀を遅らせ、霊柩車が正午にその中学校の校門の前に着くようにされたそうである。
そして、霊柩車が校門前に着くと、二年生全員が食事も取らず、その霊柩車を取り巻き、号泣したというのである。


 もう一つの話は、車椅子の少年が普通の学校にいきたいと希望した。
そして、この少年には素敵な友達がたくさんいた。
小学校、中学校へとその少年は心優しい友達の手を借りて、無事、9年間通学できた。
しかし、卒業式の前の日、少年は風邪を引いてしまった。

 少年は、卒業式の当日、迎えに来た友達に「君たちのおかげで僕は卒業することができた。卒業式には出れないけれど、後悔はないよ」と言ったという。
その話を聴いた友達は、そのまま少年を残して卒業式に行った。

 お昼に少年の自宅のチャイムが鳴った。
 今日はお父さんが早帰りすると言っていたので、お父さんが帰って来たんだと思いながら、お母さんがドアを開けると、少年が通った中学校の校長先生が立っていた。
その傍らには、担任や教科担当の先生方、そして少年の世話をしてきた友達がいた。

校長先生は、「大変失礼とは思ったのですが、どうしても卒業式をあげさせたくて押しかけてきました。部屋で卒業式をさせていただけませんか」と

 林住職は、この二人の校長先生を比較するために、この話をしたわけではないといいます。
なぜなら、見方によっては前者の校長先生も、後者の校長先生も、どちらも正しく、どちらもどうかなという評価ができるからです。
林住職が言いたかったのは、その校長先生の行動や言動を見て、子どもたちの未来がどう変るかということです。
 人の一生は長いようで、短いものです。
大事なのは、いかに素敵な出会いにめぐり合うかで、その後の生き方が豊かになるかどうか決まるというのです。

 私たちは、人から影響を受けるだけでなく、影響を与える側でもあるということです。
このことを肝に銘じなければなりません。
日々の何気ない行動や言動が、気がつかない間に相手に多大な影響を与えてしまうということを。

 自分の過去を振り返ると、後悔の連続です。
 まだまだ未熟です。
 もっともっと精進しなければならないと反省と決意をしました。

ほめるテクニック

2010年05月20日 23時55分43秒 | 考え方
 日本人は「褒める」ことが苦手な民族と言われています。
 そのことをまじめに考えたことがあるのですが、きっと「奥ゆかしさ」みたいなものが邪魔をしているからではないかと思うのです。

 そして、大事なことは、有森裕子さんではありませんが「今日がんばった自分を自分で褒めてあげたい」という名台詞がありますが、何よりも自分で自分を褒めることです。
自惚れたことをいうんじゃないと言われるかもしれませんが、自分で自分を褒めれる人はまず自分が好きだということです。
自分を愛せない人が、他人を愛せるはずがないからです。
 そして、人を愛せない人が人を褒めれるわけがないからです。

 私はよく心の中で、「俺ってすごい!!」とか、「俺っていけてるじゃん!!」とか、「俺みたいな奴は他にいない」なんてことをいつも言っています。
なんという自惚れで、傲慢な人間なのでしょう。
でも、いいんです。
他に私を褒めてくれる人がいないのですから...(ちょっと寂しいですが(笑))

 少し脱線しましたが、自分で自分を褒められるようになると、自然に人を褒める人になります。
でも、2つのことに注意しなければなりません。

 1つ目は、平素から周りの人を含めて人をよく観察しておかねばなりません。
なぜなら、その人のよさを見逃してしまうからです。
つまり、褒めたい人のよさ探しを平素から注意深くしておかないとみつけられないということです。
よく「人のアラを探す」と言いますが、その真逆のことをするのです。
でも、これができだすと素晴らしい人間関係ができ始めます。

 次に2つ目として、褒めるところを観つけたら、口に出して褒めることです。
ここのところが凄く難しい。
そのためには、いきなり大きなことを褒めないというのがコツかもしれません。
例えば、お客様が来た時にお茶を出してくれた部下がいるとします。
そのときに、「気が利くねえ、ありがとう」といった具合でしょうか。
このような小さな褒め言葉を積み上げていくと、どのようなときでも自然に褒め言葉が発せられるようになります。
 この「自然に」というのが大切です。

 わざとらしい褒め言葉は相手にとって不快感を感じても、ちっともうれしいことではないでしょう。

  心を込めて褒める。

 あなたも今からやってみてください。

接遇研修とモチベーション

2010年05月12日 20時53分35秒 | 考え方
 本市では窓口の実務研修のほかに、基礎研修というのをやっている。
 テーマは、次のとおり。

  チーム力で、サービスの輪を創る
  行政サービスの品質を高める考え方を知る
  個(顧)客対応がCS(市民満足)を高める
  ユニバーサルサービスを実践する
  電話対応の印象が行政サービスの潜在的印象を創る

 というもので、民間の人材研修会社が行なうということである。

 こういった研修は、市民課や支所の若い職員がプロジェクトを組んで、自らも講師として実務研修もやれば、基礎研修をどのようにするかも企画するようである。

 これが実に良く考えられていて、内容の濃いものである。
 若い職員が市民目線に立ち、サービスを受ける側からの視点でサービス提供を本当に良く考えているなと、頼もしく思う。

 あとは受講する側の姿勢ということになるが、いかにモチベーションを上げられるかどうかである。
窓口スタッフにおける難しさは、このモチベーションの上げ方だろうと思う。
「こうした場合は、こうしなければならない」といった教え方では、モチベーションを上げるどころか、持つことさえないかもしれない。
 一般に信賞必罰的な「与えられた動機」では、モチベーション向上には限界があるといわれており、「ワクワク感」のような自発的な動機が生まれないとモチベーションは向上しないともいわれている。

 例えば、提案制度のほとんどが信賞必罰的な制度に仕立て上げているために、提案箱からは偉大なアイデアが生まれにくいと言われている。
 このことは、何かに対して何かを引替にする的な発想は、自ら考える機会が減っていくために長い目で見たときには創造性が低下するといわれており、組織としては成長よりも衰退のベクトルになってしまう可能性があるということなのである。

 では、接遇研修において今後付け加えるとするならば、技術的に笑顔の作り方を教えるよりも、市民に感謝し、心から(愛を持って)接することが重要であるということを理解させる、つまり、内発的な使命感を感じることで自然な笑顔ができるようにしていくということがポイントだと思う。

 でも、若い職員の人たちに今更このようなことを言わなくても十分理解しているようなので、あと一工夫すれば完璧だと思う。

 それには、仕事に誇りをもたせるために、遠回りのようだが地域の羅針盤になるという使命感や気概を持たせることだと思う。

人を育てるということ

2010年05月06日 22時20分55秒 | 考え方
 組織の中で、よく「部下を育てる」という言葉を使い続けてきたが、最近、本当にそんなことできるのだろうかと疑問に思うことがある。
確かに技術的な指導はできるが、育てるところまではいかない。

 裏をかえすと、人は勝手に育つもので、伸びる人はほっといても勝手に伸びるのではないかと。
別に排他的になっているわけでなく、上に立つものが育ててやっているなどと自惚れない方がいいということを言いたいだけだ。

 では上に立つものとして何をしないといけないか。
一言で言うなら「邪魔をしない」ということか。
続けて言うなら「伸びるための環境整備ときっかけ作り」だけでいいと思うのである。
 その時に大切なことは、その人のあらゆる面を見て、その時のスキルをしっかりと見極めておくということだろうか。
 そのためには、平素からのコミュニケーションが大切である。
 すると、直面している仕事に対してどのように考えているか、どうしたいと考えているのか、さらにアフターファイブの過ごし方や家族との過ごし方などが垣間見える。
実はここがポイントで、能力的には伸びる要素があるが今は家庭が大変そうだからタイミングを待つなどなど、色々な視野から見ておく必要があるということである。

 そして、課す仕事をスキルの110%から120%くらいのレベルのものを与える。
本人にとっては試練である。
でも、このくらいの過重だと何とかクリアするケースが多く見られる。
例えクリアできても責めてはいけない。
そして、ハードルを下げてやってまた自信が持てる環境をつくり、再チャレンジさせればいいのである。
この再チャレンジさせるというチャンスを上に立つものとして、常に心がけなければならない。
ぜったいに部下を見切ってはいけない。
人は誰も失敗する。
それを一刀両断で切り捨てることをしてはいけない。
人は、チャンスを与え続ければ必ずや伸びる可能性がある。

 ここまで書けばおわかりと思うが、人を育てるのではなく、「愛と忍耐」をもって常に接する努力をするということである。

明日は明日の風が吹く

2010年05月05日 21時50分42秒 | 考え方
 今日ある人と知り合った。
彼は、今大変な状況にある。
小さな会社を地道に経営していたそうだが、数年前に部下が造反し、仕事を持ったまま出て行ってしまったというのである。
それからが試練の日々であったという。
そして、とうとう会社をたたむことになったとも...
かなりご苦労をされた様子が見て取れた。
彼は、「この社会は立ち上がろうとする者に二度とチャンスを与えようとしません」と、力なく話した。

 この国は、「Re・Dream(夢よ、もう一度)」のチャンスが少ないことをベンチャー育成を支援している時に感じた。

 そして、今夜、女優・森光子さんの半生を振り返る番組があった。
 森さんは、女流作家・林芙美子さんの自叙伝「放浪記」の舞台を89歳で2,000回こなした人だ。
一口に2,000回と言っても、半端ではない。
 その秘訣を問うた時、それは大きな目標に進んでいく時に日々の小さな目標を着実にこなすことだという。

 作家・司馬遼太郎さんは「坂の上の雲」を執筆する前に「峠」という本を書いている。
その中で、「志とは塩のように溶けやすい。男子の生涯におけるほとんどの苦渋は、いかに志を保ち続けるかにある。それは、難しいことではない。日々の箸の上げ下ろし、酒の飲み方などの積み重ねによって成し得る」と。

 脳科学的には、日々の成功体験の積み重ねが大きな成功体験につながるという。
 そして、その大きな目標を達成した時点で、モチベーションは下降するとも。
 「夢」を到達点にするのではなく、通過点にする。
 その通過点に突き進むのも日々の積み重ねを大切にする。

 でも、時にくじけそうになったり、後退を余儀なくされることもある。
 そんなとき唱える呪文は、

  「明日は明日の風が吹く」

 とても素敵な人生を送られた森さんらしい言葉である。



 

叱れない上司が増えている

2010年05月04日 22時27分09秒 | 考え方
 最近の若者は、「打たれ弱い」とよく言われる。
 果たしてそうだろうか。
 私の部下たちは、どちらかと言うと先回りして行動を起こしてくれていたので、叱ろうにもその機会が減っただけではないかと思うのである。

 個人的に見ても、私の若かった頃よりはるかに優秀である。
 心の中で何回も「すげぇー!!」と叫んでいた。
 自分が彼らの年齢の時、これほどまでに勉強して、これほどまでにがんばっていたかというと疑問である。

 私は、この「打たれ弱い部下」を単に上司が上手に使い分けているのではないかと思う時がある。

 私は、叱る時、できるかぎり激しく叱るようにしている。
 感情をむき出しにして...
 こんな上司は失格だろう。

 その人に愛情をもち、本当に育って欲しいと願っているのなら、本気で叱れると思う。
 裏をかえせば、上司が部下のことよりも自分のことを優先したならば、当然、叱れないと思う。
自分を嫌われたくない、そう考えると上司は叱れないし、叱ることができない。
こんな上司を「薄情な上司」と言うのである。

 そして、こんな上司がいっぱいいる組織は、未来永劫続くとは思えない。

 自信のない上司、薄情な上司、たしかに叱るだけでは能がないが、せめて部下を精一杯思いやる上司でありたいと、ずっと思っている。

次世代へつなぐ

2010年04月30日 23時43分58秒 | 考え方
 

 今の職場に変ってから帰宅時間が早くなったので、前々から頼まれていた大学生の勉強会の指南役を引き受けた。
2週に1回、月に2回という条件で無理をしない程度に了解した。

 むろんボランティアなので私のわがままを優先してくれる。

 テーマは幅広く、地域活性化から起業の仕方まで。
そのときどきで大学生の興味を抱いているテーマをもとに即興で話をしていくというもの。
ほとんどワンマンショー状態なので2時間で終わらせていただくことにしている。
でも、相手の反応を見ていて話を中断しにくい時は、3時間近く及ぶこともある。

 講義室で話した経験もあるが、小さな会議室で相手の息遣いがわかる空間の中では、味わったことのない緊張感がある。
相手の真剣さが伝わるほど、話に力を抜けない。

 ときどき、私の独断的な話でいいのかと思うときもある。
 しかし、私程度の話でも真剣に聴いてくれる若者たちがいるということだけで、うれしくなる。

 なによりも自分の勉強になる。
 今まで自分がしてきたことを体系化できるし、新たなヒントがいっぱい出てくる。
 前の職場で「学びから実践へ」つなげるには「生徒から先生になること」とよく話をしていた。
まさに自分でやっていて、そのとおりだと思う。

 また、話の中でこちらが思わず「ウッ」と思うような本質的な質問をされることがある。
たじたじになることもある。
 でも、楽しい。
 若い人たちと話せるということは、自分の考え方を次代につなげていけるということ。

 おかげで自分の引き出しをもっと増やせそうな気がしてきている。

目標を持つことの大切さ

2010年04月22日 00時26分10秒 | 考え方
 仕事をする上で自分のモチベーションをあげるには、まず自分で自分のモチベーションを上げなければ誰もやってくれないという自覚を持たなければならない。

 ではどうやってモチベーションを上げるのか。

 学生時代、伯父が事業を失敗し、死んだ父の見舞金をつぎ込んでいたため蓄財がゼロになったことがある。
途方に暮れた。下宿代だけでなく、その日の食べ代にもこと欠く始末。
ここは笑って居直るしかない。(この人生観が今も続いている)
 「人生ケセラセラ」である。

 でも「捨てる神あれば、拾う神あり」である。
 要領のいい後輩がいた。たくましい奴だった。鹿児島出身で、「薩摩隼人」というのはこんな奴かもしれないと思った。
 アルバイト情報誌がない時代、デパートの人事担当と契約し、学生アルバイトの紹介を始める。
これにより、自らも割りのいい(短時間で高収入の)アルバイトを容易に見つけることが出来た。

 そして、それ以外にケーキ屋の店長代理(ケーキを売るだけでなくフランチャイズ店のスタッフ教育までやっていた)やキャバレーの呼び込み、ガードマンの深夜見回りなどなど、並行していくつものアルバイトをこなした。
 でも、不思議なことに学校の講義はまめに出ていた。
 周りからは不思議がられた。
 いつも笑っていたが、いつも後ろがなかったような気がする。
 だから時間使いに苦心する癖がついた。

 その時に、自分に課したことがある。
 一業種1つ何かいいことを学ぼうと。

 そして、いろいろなことを学んだ。
 まず、そのビジネスのスキームを学んだ。
 次に、どのように儲けているのかを学んだ。
 具体的には、ケーキ屋さんはFC展開をしていたので、成長期と成熟期のビジネスの手法の違いといったようなこと。
おかしかったのは、店長が不真面目な人だったので、店長のゴーストライターをよく務め、毎月本社に提出するレポートを書いたら社長賞をもらい、おごってもらったこともある。

 どのような仕事にも困難なことや大変なことはある。
 でもいいところもたくさんある。
 それらの中には絶対に将来の自分の糧になることがある。

 嫌々仕事をすると、せっかくのチャンスも逃げてしまう。
 何事も、そのときどきの現実を受け止め、精一杯頑張る。

  人生なんて「人間、万事塞翁が馬」である。

タクシーの出来事

2010年02月27日 09時34分04秒 | 考え方
 昨夜は雨が降っていたので、味酒公民館での講話が終わった後、自宅までタクシーで帰った。

 運転手さんに、「最近景気はどうですか?」と聴くと、「今日のような雨の日はうれしいですね。こういう天気は、お客さんが向こうから飛び込むように乗ってくれますから」
 

 かなり饒舌な運転手さんだったので、さらに話を振ってみた。

 「最近、規制緩和で車(タクシー)が随分と増えましたけど、大変じゃないですか?」
 「エエ、よく聴かれますが、実は私、(昨年)58歳で突然失業して、一生懸命就職
  活動をしたのですが、本当になくって、やっとこの仕事にありつけたんです。
  先輩(運転手)から言わせると昔はよかったと。でも、私はそのよかった時を
  知らないんです。むしろ、働く場所がなかった者にとっては、とても天国です。
  この仕事を二つに分けると、客待ちタイプと流しタイプの二通りあるんですが、
  私は人があまりやりたがらないときに流すんです。すると、結構乗って
  もらえるんですよね。ですから、そこそこ収入も出てきています。」
 「へぇーそうなんですか」
 「そうなんですよ。先輩たちが車(タクシー)が多すぎるから収入が減るばかりだと
  嘆く。でも、仕事がない者にとって、この業界はたくさんの人たちを雇用して
  くれるから本当にありがたい。私などは本当に肌身に感じてますから、変に規制
  をかけてはそのチャンスがなくなるわけですから、その芽を摘むようなことは
  してほしくないですね。」
 「そういう見方もあるんですね。」
 「ええ、先輩たちは収入が減るばかりだと嘆く。でも、そういう人の多くが待ちの
  タイプなんです。私は他の人がしないことをして、少しづつですが売り上げを上
  げれています。」
 「そりゃすごいですね。」
 「何も難しいことをしているわけじゃないんです。ただ、困っているお客様がどこ
  にいるのか、ただそれだけを考えて走っているだけなんです。すると、不思議と
  お客様が乗ってきてくれる。自分でも不思議だなと思っています。」

 この話ってどこでも通じますよね。