〈2017.12.09 sat〉
09:50 チェックアウト
烏丸御池発東西線乗車
三条着
三条発京阪電車乗車
出町柳着
出町柳発叡山鉄道乗車
茶山着
徒歩で京都造形大学“春秋座”へ
11:00 京都芸術劇場 春秋座 芸術監督プログラム
市川猿之助 監修
藤間勘十郎 春秋座花形舞踊公演
11時の部 観賞
13:40 終演
徒歩で茶山へ
茶山発叡山電鉄乗車
出町柳着
出町ふたばに行ってみるが黒山の人だかり
近くの喫茶店で休憩
出町柳発京阪電車乗車
祇園四条着
いづ重
鍵善 etc.
17:48 五条京阪発
19:33 津駅前着
“ホテルモントレ京都”をチェックアウト後
京都造形大学“春秋座”へ
“京都造形大学”
教えるとは
共に希望を
語ること
学ぶとは
真實を胸に
刻むこと
ルイ・アラゴン
「学ぶ」ことを、嫌う人が多いのは事実です。
「教える」ことを、好む人が多いのは事実です。
もし、
学ばずに教えている(語る)ばかりだと、
その教え(語り)はいつも似たような内容となり、
魅力を感じなくなり、誰もが飽きてしまいます。
(上司などから同じ話しを聞かされたこと、ありませんか^^;)
時に、その教えに膨らみ(誇張)をもたすと、
ただの自慢話(知識の見せつけ)になったり、
虚偽になったりすることも。
人は、徐々に離れていきます。
(本人は嘘とは思っておらず、パラダイムがあるだけかも)
逆に、
常に新しいことを教えてくれる人には、
人は興味を持ち、離れることはありません。
(色々教えてくれる物知りの人、役に立ちませんか)
それでも人は「学びたい」というわけではありません。
上目線での「教え」に対しては、人は拒絶反応を示し、
傍から離れていくこともあります。
(『あいつ、自分が頭が良いと思っているんだよね』)
「学ぶ」とは何なのでしょう?
ただ知識を得ることでしょうか?
自身が知識を得ても、誰の役には立てません。
その知識をどのように活かすのか・・・を学ぶ必要があります。
その知識を分かりやすくどう伝えるのか・・・を学ぶ必要があります。
その知識をどのように理解するのか・・・を学ぶ必要があるのです。
「学ぶ」ことは、
新鮮な生きた血を巡らせること、と考えています。
脳を活かすためです。
心を生かすためです。
その最もよい「学び」の体験が、「教える」ことです。
「教える」ことは、学んだことを骨肉にしていきます。
インプットとアウトプットの法則です。
知識を咀嚼し、編集し、出力することで、
結果が明確に現れます。
相手が理解しているのか、
自身が理解しているのか、です。
「学ぶ」と「教える」には、
相手がいることが前提であり、
そこに「誠実さ」と「希望」があるのであれば、
「学ぶ」と「教える」の循環は、血の巡りを良くし、
人はいつも元気であり続けるのではないか、
と思うのですが、如何でしょうか?
※「継続できるセルフマーケティングと企画家の+系」
より転記
2017年12月9日(土)
京都芸術劇場 春秋座 芸術監督プログラム
市川猿之助 監修
“藤間勘十郎 春秋座花形舞踊公演”
【日程】
2017年12月9日 (土)
開場 10:30 / 開演 11:00
開場 15:00 / 開演 15:30
【演目】
◆11時の部
一、「二人三番叟」
二、「流星」
尾上右近宙乗り相勤め申し候
三、「春興鏡獅子」
◆15時半の部
一、「流星」
尾上右近宙乗り相勤め申し候
二、「日高川」
三、「京鹿子娘道成寺」
11時の部を鑑賞
開演前、市川猿之助がsurpriseでご挨拶に登壇し、
会場は大感激
舞子さんや花街の美人さん達が大勢で会場に華を添えました
衣装を付けずお化粧もしない素踊りの凛とした美しさに感動
凛々しい隼人さん、躍動感漲る右近さん、素晴らしかったワ
澤瀉屋一門の皆さんの押し隈が会場を飾りました
狐忠信 四代猿之助
楼門五三桐 九代中車
澤瀉屋襲名口上
二代猿翁
四代猿之助
五代團子
九代中車
西遊記
猿弥
三代笑三郎
右近
二代春猿
弘太郎
猿弥
三代笑三郎
右近
二代春猿
弘太郎
ヤマトタケル
坂東彌十郎
市川猿弥
坂東彌十郎
市川猿弥
ヤマトタケル
坂東彌十郎
八代門之助
坂東彌十郎
八代門之助
終演後、出町柳でお善哉でお腹を満たし、n子さんとお別れ
祇園南座は耐震工事中
「何か買って来てッ」と云うダンナにお土産買いました
“いづ重”の鯖寿司は翌日の昼食に美味しくいただきました
“鍵善”のおいもさんはダンナのおやつ
次は大阪松竹座
“坂東玉三郎 初春特別舞踊公演”
n子さんとは初めての一泊二日の観劇でしたが
気兼ねの無い旅行でした。
師走の京都をゆっくりと堪能できました
8,496歩
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