12/8の日帰り旅の最後に立ち寄ったのは日本三大武将庭園の一つに数えられる名勝北畠氏館跡庭園です。
今年桜の季節にはりさんとご一緒した際に確か「北畠神社」の話をされていたので記憶に残っていました。
少し調べてみました。
伊勢の戦国大名・北畠氏の築いた霧山(きりやま)城。
ここは、伊勢(現在の三重県)と大和(現在の奈良県)を結ぶ街道近くに位置する難攻不落の山城でした。
ふもとには、北畠氏の館 (北畠氏館跡) がありました。1569年、北畠家は織田信長の侵攻により
現在の松阪市にある大河内城での激戦の末、和睦。
信長は次男の信雄(のぶかつ)を北畠具房(ともふさ)の元へ養子として送り込み
、さらに具房の妹と信雄を政略結婚させました。1576年、信雄は義父である北畠具房や家臣や家族たちを殺し、
北畠家の乗っ取りを計画します。北畠家の残されたものたちは霧山城へ籠りますが、
豊臣秀吉なども含めた15,000の織田軍に囲まれ、城は燃え落ち落城。北畠家の者たちの多くが自害したと言われています。
霧山城を拠点に9代 240年に渡り繁栄した北畠家は、こうして信長・信雄親子に乗っ取られることとなりました。
現在は、山麓にあった館跡に北畠神社が建ち、武将庭園である北畠氏館跡庭園が現存しています。
この美しい庭は、江戸時代の初期、荒れ果てた状態となっていましたが、神社ができ、
地元の人々の手で少しずつ元の美しさを取り戻しました。
戦国時代の庭園が埋もれずに残っているのは大変珍しく、かなり貴重です。
北畠氏7代・北畠晴具(きたばたけ はるとも)は、文武両道の武将でした。弓馬、そして書の達人でもあり、和歌もたしなむ名将で、文化人としての評価も高かった人物と言われています。そんな晴具の義理の父でもあった戦国武将・細川高国(たかくに)が、1528年頃に、北畠氏の居館につくったと言われるのが名勝北畠氏館跡庭園です。
高国は、日本三大武将庭園の一つ、滋賀県にある「旧秀隣寺(きゅうしゅうりんじ)庭園」も作庭している人物です。
1年中、素晴らしい景色を楽しめる北畠氏館跡庭園ですが、一般的にはまだあまり知られていない場所です。
中央には、この庭園のシンボルとも言える美しい池があり、その周りには大小さまざまな石が、
武将庭園らしく、力強く配されています。池には石橋がかかり、その周囲も歩けるようになっています。
樹齢400年以上の木々と苔むした庭は、いかにも日本庭園らしい雰囲気です。北畠神社の白い壁と朱色の柱そして、
庭の緑のコントラストも、とても美しいものです。
なんともこんな歴史があったのかと思うばかりなのでした。
無造作に置いてあるのではないようです。
12/8のお出かけを終わります。