大内は、江戸時代に下野街道の一宿場として栄え、明治以降、交通路の変化により開発を免れ、昔の面影を今にとどめています。
この街道は、すでに鎌倉の時代から会津と関東を結ぶ街道としてかなりの往来がありました。
しかし、街道の整備は行きとどいていなかったようです。各地の街道の整備に力を入れたのは戦国の時代からで、全国統一の一環として行われました。
徳川幕府がこれを継ぎ、五街道の幹線やその付属の諸街道に対して支線の意味で、脇往還、脇道などとも呼ばれていました。
下野街道は、一つの脇街道であって幹線に比べると小規模であり、街道も宿駅も不備であったようです。
また、大内は若松へは約四里半(十六・ 五㎞) 田島へは五里(二十㎞)当時の一日行程は約八~十里であり、
大内宿は中宿にあたり、本街道の間宿にあたり昼 食のための休憩の宿場でありました。
大内宿が形成されたのは、同じ街道筋にある川島宿が承応三年(一六五四 年)にできたことから考え、ほぼこれと同じ頃と考えられています。
江戸時代の街道整備は、徳川幕府の支配体制の確立と関連しており、この頃すでに、五街道 を初め脇街道なども整備されました。
400年前に形成された宿場「大内宿」
大きな茅葺き屋根の家屋が整然と並んでいます。
雪の景色が見たいと思っていまして
次回訪問のためにも宿を観察し色々見聞を広げてみようと思いました。
紅葉が色づくといいでしょうね
江戸の人が見たらびっくりするでしょうね
この後、南会津の観光スポット「塔のへつり」へも立ち寄りました。
南東北紅葉旅は続きます。