呼吸で癒そう

ゆっくり呼吸するだけでカラダは安心して落ち着き
内側からゆるんでいきます
ゆるんで笑ってぷくぷく参りましょうぞ

このブログ復活か!?

2023年06月12日 | 生命力


あまりにも時が経ってしまった
なんと前回書いたのが2017年

ちょっと時が経つのが早すぎないか?
どういうこと?と本当に驚いている

何回かHP作成(古いのもないし未だにできてないけど)をトライして
その新たな場所で新たな文章を書きたい!
と思っていたのにズルズル、、、できないまま

あまりにもわたしはアナログすぎる
時代の便利なものに全く追いついていなさすぎる

本当なら美しく素敵な五感に染み入るホームページが欲しい
コロナ禍、プロの友人がオンラインで腕まくりをして教えてくれた

プロに教えてもらってもわからないしできない
あ〜〜〜どういうことなんじゃ〜!?

そしてまた時間が過ぎていく

このままではあっという間におばあちゃんになってしまう
そこでこの呼吸で癒そうのブログを久しぶりに開けてみた

”呼吸で癒そう” このタイトルでこのブログを始めた2009年1月
20年ぶりの日本での生活が始まったばかり

さあこれからどうやって生きていこう
帰国してすぐに友達の旦那に勧められて始めた

おまえの仕事をただ淡々と知ってもらう為に書くんだよ
そう言われて始めた ”呼吸で癒そう”

だんだん相手がいないのに書いているのがつまらなくなり
エッセイ風に感じたことを書くようになっていったっけ

昔の自分の文章にわたしは勇気づけられる
迷いがあっても迷いなく書いていて潔い

今再び、一周まわって ”呼吸で癒そう” に戻ってきた
ほ〜んと呼吸なのよ

もっと呼吸のことを書いていきたい
もっとシンプルに ユーモラスに

かっこいいホームページはいつできるかわからないから
このあまりかっこいいわけではないブログに再び書いていこうと思う

かっこいいわけではないけど
それでもいい、と思えたのはかっこいいんじゃないかしらん

あまりにも長いこと書いてなかったから
ブログの題の絵まで消えてしまった

まず今夜は絵のテンプレートを甦らせる為に書きました
ちゃんと甦ってくれますように

生命力

2010年09月05日 | 生命力
今日は朝から晩まで生命力を感じた一日だった。
まずは月に一回の座禅会。

私は子供の頃から何故か座禅好きで、夏休みの座禅会が大好きだった。
そのときの住職が今でも一緒に座っている。

90歳をとうに過ぎているのに、肌はつやつや、声はしっかり
頭はもちろん、説法は聞きやすく、とっても元気で若々しい

”命をかけてお座りください”という住職の言葉に
”あいよ!”と思いながら、なんだか今日も笑えた。

叔父の認知症が進んでいるという連絡を受け、
弟である私の父が今日急遽叔父を訪ねて行った。

4日ぶりの畑で、ぐんぐんのびていくアマランサスの強さに驚く。
自然農法一年生の私は、自然が教えてくれるすべてのことに感動する。

ルッコラが始めの頃は虫に食われて穴だらけだったのだけど、
最近は土の状態がよくなったのか、ルッコラらしいルッコラで、味もすごく濃い。

お隣の広い畑にただ一人もくもくと野良仕事をしているおじちゃま発見。
こんな炎天下では普通の人は農作業なんかしないのよね。
(コツは休み休みやるのです!おじちゃまはカルピスソーダを飲んでいた)

そのおじちゃまは殆どの野菜を自分で作って食べている。
買うのはもやしくらいだな。。。と。

もやしは私はつくれるんだけどな、逆だな、と思ってたら
いっぱい持ってけ~、と山のようにトマトをくれた。(自分でもいだ)

いつもいっぱい師匠のお父さんやれ皆さんからたくさん野菜をいただく。
私はお分けするほどのものがまだ収穫できない。

いつか私もやりたいな。
いっぱいできたのよ、持ってってください!と。

以前からできるだけ自給自足を目指すぞ、とは思っていた。
けど今日私は決心しちゃった。私も殆どの野菜や雑穀を自分で作って食べよう!

願わくば果物の木なんかもくっついてきてくれたら嬉しい。
梅、もも、ざくろ、柿、みかん、びわ、レモン、りんご、梨、、、
あ~、夢はふくらむ。くるみの木もあったらいいな。

いただいたトマトを洗ってバジルと一緒にその場でかじった。
美味しい。甘い。香りがたまらない。
おいしい野菜は生命力に溢れている。

気持ちのよいけだるさで車をいつもの梨園に走らせる。
八千代の美味しい梨を東京の友達に送ってあげるのだ。
私はこのおじちゃんからいつも梨を買う。彼の職人魂が好き。

もぎたての梨をいつもその場で食べさせてくれる。
適当に蒔いたら芽がでてきたというブドウも。甘い。
この美味しさは身体が喜ぶ美味しさ。まさにぬちぐすい。

もぎたて、摘みたて、掘りたて、とりたて。
命、生命力、ぷるぷる、みずみずしい、甘い、香り。。。。

ゴーヤも3本もぎに行ってくれた。その一時間後にサラダにして食べた。
これまた感動の美味しさなのだ。

梨屋さんのおじちゃんのおばあちゃんは98歳。
今でも元気で身体も頭も元気だよ~と高らかに笑う。

生命力のある食べ物を食べ、(昔は添加物なんかなかった、欲しくても)
身体をつかって、(おばあちゃんは米一俵をかついで急な坂を平気で上がっていたらしい)
無理をせずに休む時は休み、早く寝る。
家族と孫とよく笑う。家族と一緒にご飯を食べる。
太陽とともに起きて、太陽とともに寝る。

長生きだけがいいわけではないという人もいる。
けど元気に長生きはやっぱりいいと思う。

おじさんと話しながらもぎたての梨を食べ、
このおじさんの優しい職人の溢れる魅力と共に生命力を感じた。

叔父の様子を父に聞いた。父の声はがっくりきている。
声が悲しそうだった。あんなに一生懸命生きてきたのに、、、と
ぽつりと小声で言った。

叔父は弟である父を理解できなかった。
父もとても辛いんだとおもう。自分のことは何も言わなかったけど。
私はただ話を聞くだけしかできなかった。

しばらく会ってない叔父のことを考えながら、ふと思った。
叔父は毎日を忘れたかったのだろうか。

人はどうして認知症になってしまうのだろう。

人の最大の欲求は、愛されること、認められることという。
その為に、私たちの行動は形作られ、それは時として自虐的でもあるという。

これについては賛否両論だと思う。
しかしその説が正しいとするならば、
叔父は愛されたいから、認められたいから認知症になったのだろうか。

とすると私たちにできることはただひとつ
愛すること、大切にすること。

生きていること、それは様々なドラマがあって
私たちはみんなそのドラマの主人公なんだ、と
昔のさだまさしの曲を思い出した。

地球のリズム

2010年08月27日 | 生命力
今朝も朝日を見ることができた。わ~い!
たまたま早くに目が覚めて、日が昇る時間が遅くなったのを実感。

川に散歩に行った。私の大好きな川。
たわわに金色になりかけている稲が美しく整列している。
オレンジの朝日に照らされ、とても美しい光景でちょっと目頭が熱くなる。

地球のリズムの変化を感じる。
そして今朝の風は確実にもう真夏ではない。

朝日ってもの凄いパワー。
同じ太陽でありながら地平線から登ってくる時のエネルギーは尋常でない。

日中のぎんぎんの今の太陽ももちろん凄いけど、
何かが生まれるときのような朝日は浴びていて気持ちがいい。

私はよくスプラウト(豆を発芽させる)を作って食べるのだけど
昔作り方を教えてくれた人がよく言っていた言葉を思い出した。

もやしになる前に、発芽してちょっとの所を食べるのよ!
一番生命力があるのだから。。。

生命力。
私たちの中にあるみなぎる力。無条件でもっているちから。

けど辛いことや、悲しいこと、失望や失敗などが
自信をなくし、自分を信じることが難しくなってしまう。

けど生命力は、私たちの落胆とは関係なく
心臓は鼓動を打ち、呼吸は繰り返される。

爪も髪ものびて、古い皮膚ははがれて新しいものがでてくる。
血液は全身をめぐり、身体のすべてに栄養を与える。

私たちの身体はただ黙々と頑張っている。
ただ黙々と生きている。

失望している時は、ただただその生命力のリズムを信じて
身を任せればいいのではないかと思う。

そしたら必ず、次のステップに進むエネルギーが出て来るから。
力が無い時には何も頑張れないし、頑張る必要は無い気がする。
その頑張りが逆に空回り、また自信を失ってしまうのではないか。
(これは私の経験から言っているだけですが。。。)

そして生命力を高めることはいっぱいあるという。
生活習慣、考え方、心の持ち方、言葉の遣い方。。。

そして自分が喜ぶことをいっぱいする。
心と身体が喜ぶこと。

最近読んだ素敵な文章。
私たちは幸せになる為に生まれてきて、生きているのです。

たわわに実る稲穂の波を見つめながら、
いっぱいのぬちぐすいを毎日感じていきたいと思った。

身体が喜ぶものを食べて、気持ちのいいことをして、
自然とたわむれる。

信頼で結ばれている人間関係を大切にして、いっぱい笑う。
正直に素直に、自分を大切に、人を大切に。

いつも気になっていた丘の上の神社に続く細い階段を上ってみた。
林の中の細い階段だからちょっと怖かったんだけど、
朝の散歩をしているおじいちゃんが一礼して上がって行ったから
時間差でわたしもついて行った。

ちっちゃな、ちっちゃな神社だった。
おじいちゃんは、ただ一人地球のリズムの中で太極拳をやっていた。

私たちも地球の一部、地球のリズムの一部なんだよ。
おじいちゃんの後ろ姿がそう語っているようだった。

やっぱり早起きっていいね。
とっても頭が、自分がクリアになった朝だった。