呼吸で癒そう

ゆっくり呼吸するだけでカラダは安心して落ち着き
内側からゆるんでいきます
ゆるんで笑ってぷくぷく参りましょうぞ

Invitation 誘い (いざない)

2009年08月31日 | 提案
前回に抜粋した私が大好きな詩、
オライア・マウンテン・ドリーマーの
Invitation (誘い)を日本語訳でご紹介します。

よくネイティブアメリカンの長老と紹介されていますが
彼女はとても美しい金髪の北米に住む素敵な女性です。
ネイティブアメリカンの種族とともに暮らした経験から、
酋長につけてもらった名前マウンテン・ドリーマーから
誤解されることが多いそうです。


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誘い(いざない)


あなたの仕事が何か、私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたが何に憧れ
あなたが心からの望みを
恐れずに叶えようとするのかです

あなたの歳にも私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたが愛や夢や冒険のために
自分が馬鹿に見えるかもしれないリスクを
冒すことができるかどうかです

あなたの星座がなにか、私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたが深い悲しみの中心まで行ったことがあるか
人生の裏切りで切り裂かれるような思いをしたことがあるか
また、さらなる痛みを恐れるあまりに
心を閉ざして縮こまってしまった経験があるかです

痛みがあるときには、それが私のであれ、あなた自身のであれ
痛みから隠れたり、無視したり、修正しようともせずに
動かずに痛みと共に座っていられるか、私は知りたいのです

私の喜びであれ、あなた自身のであれ
喜びを心から感じることができるのか
心から夢中になって狂乱のごとく踊り
気をつけろ、現実的になれ、自分の限界を思い出せ
などとつまらないことを警告することなく
指や足の先まで恍惚感でいっぱいに身をゆだねることができるのか
私は知りたいのです

あなたの話しが真実かどうか、私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたがたとえ人を失望させてしまうとしても
自分に正直でいられるか
たとえ裏切り者と責められても、その非難に耐え
自分の魂は裏切らないでいられるか
そして不誠実であることによって
それゆえに信頼に値する人であるのかということです

あなたが、毎日、たとえ見た目に美しく見えない時でも
そこから美を見いだすことができるのか、私は知りたいのです
そしてその本当の美を、あなたの人生の糧としているかどうかを

あなたがあなた自身の失敗、そして私の失敗と共に
生きることができるか
そしてそれでも湖のふちに立ち、銀色の輝く満月に向かって
イエス!と叫ぶことができるか、私は知りたいのです

あなたがどこに住んでいるのか
どれだけお金を持っているのか、私は興味はありません
あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ
骨の髄まで疲れ果てていても
また朝が来れば起き上がり
子供たちを食べさせるために
するべきことをするかどうかを、私は知りたいのです

あなたが誰を知っているか
あなたがどのようにここに来たのか、私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたが決してひるまずに
私と共に炎の中心に立つことができるかどうかです

あなたがどこで、何を、誰と勉強をしたのか私は興味がありません
私が知りたいのは、全てがなくなった時に
あなたの内側から何があなたを支えるのかということです

私はあなたが自分自身としっかり向き合い
一人でいることができるのか
そしてどうしても誰かと一緒にいたいときは
何もない時間と共にただいられるのか知りたいのです

自分を裏切らない

2009年08月30日 | 感じること、いろいろ
前回の続きです。
いよいよ、お姉ちゃんの登場です。

お姉ちゃんは凄い。
凄いなんて言葉は安っぽくて申し訳ない、けど凄い。

2度と会わないかもしれないお父さん、お母さん、兄弟妹、友達に別れを告げて
新婚ホヤホヤの旦那さんと、仲間と小さいボートで祖国ベトナムを後にした。
どんな気持ちだったのだろう。 
見送るお父さんとお母さんも、尋常でない気持ちだったに違いない。

それでも自由を求めて、自分の人生を信じての出発。
可愛いシェフが言った。

その時のことを聞くたびに、怖くて震えますぅ~。
とても怖いです、お姉ちゃんよく頑張りましたぁ~。

太平洋を漂流している時に、日本とアメリカの船が見つけてくれた。
どちらの国を選んでもよかった。お姉ちゃんはどっちでもよかったのだけど
日本を選んだ。理由は全くなかった。ただたまたま日本だったのだ。

旦那さん、仲間と共に難民として日本に受け入れられ、仕事も始め
初めての土地、日本での新しい生活が始まった。

数年後日本政府が呼び寄せたい家族や友達がいたら申請してもよい、
とのことで無理を承知で家族全員と友達の名前を紙に書いた。
その全員が今は日本で暮らしている。

可愛いシェフは家族全員こっちだから、全然寂しくありませ~ん、うふふふ。。。
今は日本が私の祖国ですぅ~、うふふふ。。。
彼女の旦那様は日本人、とても幸せそうだ。

お姉ちゃんの生死をかけてまで貫いた自分の人生を信じた行動が
家族全員に勇気と幸せを与えた。

ベトナムを小さい難破してもおかしくないボートで出発したとき
お姉ちゃんは妊娠していた。 彼女自身は知らなかった。

その子も今や18歳。 
船の中でお腹の中から苦しい時に、負けそうな時に
ママを応援して、勇気とエネルギーを送っていたに違いない。

オライア・マウンテン・ドリーマーの私の大好きな詩の一部を思い出した。

あなたが言っていることが真実かどうかなんて興味はない。
私が知りたいのは、あなたがたとえ人を失望させてしまうとしても、自分に正直でいられるか
たとえ裏切り者と責められても、その非難に耐え、自分の魂は裏切らないでいられるか
そして不誠実であることによって、それゆえに信頼できる人であるのかだ。

おそらくこの詩は賛否両論なんだと思う。
お姉ちゃんはまさにこの詩のままを生きている人。
前に書いたネルソン・マンデラの演説の内容と同じことだと思う。
自分が輝くことによって、人を輝かすこともできる。
自分が自由であることによって、人が自由でいられる。

一人一人の自分を裏切らない、が皆の幸せにつながっていくように感じる。

可愛いシェフにお願いして、お姉ちゃんに是非会いた~い、うふふふふ~!!!



自由の為に

2009年08月24日 | 平和
前回の続きのお姉ちゃんの話に行く前に、何故私がそんなにも
彼女の話に飛びついてむさぼるように聞き入ったのか、
その理由を書いておきたいと思う。

以前私が住んでいた香港にもベトナムからボートで渡ってきた難民が
いっぱいいた。彼らは80年代に香港政府が決めた政策で
すべてのベトナム難民は監獄のような‘閉鎖キャンプ’に入れられ、
外部との接触を禁じられた。

香港政府は他の近隣諸国よりも東南アジアからの難民の負担を
不当に多く分担していると考え、これ以上の負担を排し、
キャンプの滞在者には、ベトナムに帰ってもらい、
新たな流入は阻止しようとした。

そのため、香港での難民の生活環境をかなり劣悪な状態にし、
高いフェンスとコンクリートの壁、四六時中の監視、
食べること寝ること意外、何も許されないプライバシーの全くない生活にした。

この「人道的抑制政策」と呼ばれる悪名高き政策により
香港は居場所の悪い所だと考え、流入はとまり、キャンプ難民は
ベトナムに戻る、というのが政策の意図だったらしい。

そのベトナム難民と呼ばれる人たちをベトナムに送り返す、という仕事に
私は90年代の始めに携わったことがある。

当時はまったくこういう事情がわからず、仕事として
機内でのトイレの使い方、赤ちゃんたちが垂れ流さないようにとの理由で
配るおむつの使い方、など機内での決まり事を
ただただ夢中に一人一人、一列一列教えた。

しかし、その甲斐まったくなく、赤ちゃんはあちこちで
垂れ流していた。 つけてあげても取っていた。

もちろん言葉がお互いにわからないので、
身振り手振りでのやりとりなのだが
はっきり言って紙おむつを知らない人たちに、
おそらくおむつをしない慣習なのかもしれない人たちに、
我々の常識で紙オムツを強要したり、
洋式トイレを正しく使えと言ったり、
(飛行機の中だから郷に入っては郷に従えなのかもしれないが)
それができないからと言って(トイレのふたの上に大便をしてる人もいた
私もかなりたじろいだが、彼らを軽蔑したりする方が違うのではないかと感じた。

食事の時間になって、異臭の漂う機内を歩いて回った。
そこに4歳くらいの女の子が一人で座っていた。
私は横に座って、フォークを出してあげたり、
食べやすいようにアレンジしてあげた。

なんとも言えない可愛い笑顔が私の心をつかんだ。
可愛らしさとあどけなさ、子供がもっている透き通った光、
おそらく全くなぜ自分がここに座っているのかなんて
全く知らないし、知る必要もない、ただこの瞬間を
楽しんでいた。 

私が隣に座ったのが嬉しかったのか
私の手を触ったり、私のおでこに自分のおでこをつけたり、
ニコニコ喜んでいた。 

あまりにも可愛くて私の方が彼女のそばを離れることができなかった。
美味しそうに全部たいらげて、私の指輪を触ったりしながら
楽しそうに笑っていた。 

私はなんとも表現に難しい不思議な感情で胸がいっぱいになり、
涙が出てきた。けどこのあどけない愛くるしく笑う少女を見て
楽しくこの瞬間を一緒に遊ぶことが、きっと二人にとって一番なんだと思った。
一時的な感情だと言われたけど、私はあの少女を連れて帰りたかった。

飛行機がベトナムの地に着地する前に、注意を受けた。
次のベトナム脱出の時に使うために
難民たちが‘救命胴衣’(あの黄色い膨らむベスト)を盗んで行くから、
見つけたら取り上げるように。

ありがたいことに私は見つけなかった。
けどもし見つけても、見なかったふりをしたんだと思う。

自分が死ぬかもしれないけど出て行きたい自分の祖国。

その思いを持って、家の近所のベトナムレストランのオーナーであり
シェフのお姉ちゃんは、ちょうど私がこの仕事を経験したのと同じ頃、
小さい船で家族に別れを告げてベトナムを出発していたのだ。