呼吸で癒そう

ゆっくり呼吸するだけでカラダは安心して落ち着き
内側からゆるんでいきます
ゆるんで笑ってぷくぷく参りましょうぞ

子供の目線 理想論と行動

2009年09月27日 | 日記
今日は朝もはよからゴミ拾い。

私が住む千葉県で月に一回アースデイマーケット千葉
という有機農家さんや自然食の加工食品屋、添加物や化学的なものは
全く使わない食材や生活雑貨などを扱っている仕事をしている
意識の高い楽しい人たちが出店する市が開催される。

ボランティアの私達が朝まずやることはゴミ拾い。

周りはデパートや商店街で昨日捨てられたであろうゴミが路上に残されている。
駅から集合場所まで歩きながら、ゴミに気がつかなかった。

私はゴミを見たら拾うようにしている。
今朝普通に歩いて行ったら気付かなかった道路で
実際に軍手をはめて腰を低くして、いざゴミを拾い始めると、
たばこの吸いがらがいっぱいある。
煙草の箱、煙草の箱をあけるときのビニール、
缶コーヒーの空き缶、などなどいっぱいあった。

子供の目線は低い。
あんなゴミが大きく見えるんだろうな。
子供が見る道路は綺麗にしてあげたいな、などと思いながらも
大勢で拾ったらあっという間にマーケットの会場となる場所がきれいになった。

皆が捨てないようになればいいのに、ってもちろん思う。
前に聞いた話でなるほど~、とうなずいたこと。

ある質問者が‘道端にゴミを捨てる人を腹立たしく思います。
そんな時はどうしたらいいんでしょうか?’

それに対しての答えは
‘高次レベルからみれば、あなたが落としたゴミだろうと
誰かが落としたゴミだろうと、ゴミはゴミです。
だれが拾っても綺麗になればいいのです。‘

その話を聞いてからはゴミを拾う時に気持ちよく拾えるようになった。
以前は拾いながらも、まったく。。。という気持ちがいっぱいあった。

ガムが道路にこびりついていて、落ち葉で削ぎとるように取りながら
まったく~、なんでガムをポイするかね~、と言いながらも
綺麗になった道路が、朝も早いのにみんなの力は凄いな、と嬉しかった。

言うだけは簡単。
理想論も行動に移さなければただの言葉の羅列。

そんなことを思いながら、気持ちよくボランティアしている
アースデイマーケットの関係者のみなさんは、
楽しくて優しくてカッコいい。

月に一回の気持ちのいい人たちの集まり。
農薬を使わずに野菜や果物を育てている、
今でこそ有名になってきた
‘オーガニック’を
無農薬農法なんて変人と言われながらも昔から徹底的に
身体に悪いものは使わないと化学肥料や農薬を拒否し、
美味しい生命力にあふれる野菜を作り続けてきた農家さんたちは
みんな生命力に溢れていて、果てしなくかっこいい。
ここに月一回集まってくる人たちはつくづく気持ちがいい人たちです。

そしてなんと言っても、野菜もお米もお酒もお弁当もパンもクッキーも
すべて今まで食べたものは星がいっぱい並ぶ美味しさ。

命があるものは本当に美味しいのだ。

アースデイマーケット千葉は千葉市中央区銀座通り商店街で
第4日曜日にやってます。ぜひぜひお越しください。


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呼吸統合セラピーの12の癒しのステップでは、
やりたいことを行動に移すのはステップ4.
理想論はこねくり回すが行動に出ないのがステップ3.
前に進んでいない自分に気づく。前に進もうとしていない自分に気づく。
ステップ4のエクササイズの後は、体中がエネルギーで満たされる。
ステップ3を超えた後は、前に進むパワーが自分の中にあるのに気づく。






やめる勇気、頑張らない勇気

2009年09月16日 | 提案

以前友達から素晴らしい話を聞いた。
数年前に聞いて以来、私も何人もの友達にその話を伝えてきた。

頑張らない勇気、やめる勇気。
ある若い登山家のインタビューをテレビで見た私の友達が感動した話。

あともう少しで頂上だ、という時にもし疲れていたら、
自分で大丈夫かな、とふと不安になった時の為に彼が必ず持って行くもの。

それは女性用の練り香水。
あともうちょっとで頂上。。。けど疲れてきた。、いう時に選択は2つある。

頑張って残りの力を振り絞って根性で登り続けるのか。きっと行ける。
それとも大事をとってまた明日登ろう、と今日は休むのか。

そういう迷った時に山の上で甘い香水の香りを嗅ぐ。
すると優しい女性が‘もう、休みなはれ’(勝手に言葉を想像しました)と
優しく、今日頑張ったね、ゆっくり明日登ればいいじゃない、
今日はゆっくり休んだら、、、というように言われているような気がして
頂上を目指すのをやめるという。

彼はそこでやめる勇気も必要だと言っていた。
疲れている身体にムチ打って、頑張ってももし万が一のことがあった場合、
それはそれでおしまい。

男性は特に、えいなにくそ根性で気合で行ってしまうこともできる。
なんだ、お前いくじがないな、ということもある。

けど自分の声に耳を澄ますことの大切さを、忘れてしまう。
鈍感になってしまうこともあるだろう。

私はもう何年も前に聞いたこの話を、よく思い出してはその時に無理に頑張るのをやめてきた。
私は非常に無理がきいて、昔から人から驚かれる至難の技を体力と根性でやってきた。

若い時はそれでいい。けれどそれでも疲れ知らずでやってきた自分が
実はとても疲れていた。

この登山家の話を聞いた時は、心から感銘を受けた。そうなんだ。
自分を大切に自分のペースでやった方がずっと上品で素敵だと思うようになった。

急ぐことはない。何のために? 誰のために?

私の父は自分の限界以上のことをやってきた人。
それを美徳としてきたと思う。そして身体は疲れ果てていた。
けど歳をとり今では身体がやめてくれ~という声を聞くようになった。
自分を大切にすることができると、本当に人をも大切にできる。

この登山家は誰なのかな、と思ったことはよくあった。
3日前にこのことを教えてくれた友達に先週野口健さんの講演が素晴らしかったよ、
と話したら、‘彼のことだよ、前言った練り香水の登山家は’と。

私は感動のあまりしばらく茫然とした。
なんだかここしばらく野口健モードの私である。

いつか会いたいな、同じ千葉県民!

今日から新しい日本が始まる。
自分を大切に、自分たちを大切に、大きな大きな家族として
助け合って、力を前に進むことに持っていけるように、争いからではなく
歩み寄り、高めあい、本来の日本人の素晴らしさを表現していける社会になって
いけばいいな。 

家族でもそう。 仲のいい家族は成功する。あらゆることに。
けど争い、いさかいの多い家族は、エネルギーが分散して前に進んで行けない。
誰がどうだ、なんだと無駄なエネルギーを消費しまくり。

今までの日本の政治は変わっていく時代。
楽しい家族を目指しませんか~?


コツコツ、コツコツ、コツコツと

2009年09月11日 | 感じること、いろいろ
先週の日曜日に千葉の幕張メッセでエコメッセが開催された。
そこでアルピニストの野口健さんの講演を聞くことができた。

野口さんはアルピニスト。1995年に2度の失敗を経てエベレストの登頂に成功。
7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳という若さで樹立。

その後エベレストや富士山に散乱するゴミ問題に心を痛めて清掃登山を開始。
富士山から日本を変える、をスローガンに富士山を綺麗にした人でも有名。

大勢の人が彼の気持ちに共感し、共鳴しながら達成したこと。
彼の情熱が本物だから、本気な人たちが集まってきたのだろう。

野口さん曰く10年前は声をかけても一日数人しか集まらず、
気の遠くなるようなゴミ拾いをひたすら続けた。

2年目、3年目と少しづつ増え始めたが、ゴミの山は消える気配がなかった。
そしてコツコツとただひたすらゴミを拾い続け、10年たった今では
集まってくれる人達が多すぎて皆で山に入っていけないので、断る程になってきた。

コツコツが大嫌いだったけど、コツコツがこんなにも力となった。
コツコツ続けることで何でも偉大な力になると、照れながらおっしゃった。

その他にも彼の活動は凄い! 彼こそ有言実行の殿方だ!
照れながら話す野口さんの力強い生きざまに私は惚れ惚れした。

海外での幼年期、中学、高校生活。勉強にも身が入らず自他とも認める落ちこぼれで
先輩との喧嘩で停学処分、自宅謹慎処分に。

そこで格好いいのが野口さんのお父さん。旅に出ることを彼に勧めたらしい。
可愛い子には旅をさせろ。 格好いい。
その時に偶然本屋で見つけた植村直樹の本に感銘を受け登山を始めることに。

次々と最高峰の山々を制覇し、
7大陸最高峰登頂を公約に一芸一能入試で大学に入り、
山々をゴミを拾ってきれいにし、環境問題に取り組み、
第2次大戦時の日本兵の遺骨の収集活動もする。

私はただただ彼の公式ホームページを読みながら心が打たれ、
野口さんと、そして彼に共鳴した方々の為に玄米おにぎりを作って、
しこたま腹いっぱい食べてもらいたい、という気分だ。
ごぼうの唐揚げなどもつけたいな。

なんだか野口健さんの回し者みたいな文章になってしまったが、
私の感動に興味のある方は彼の公式サイトhttp://www.noguchi-ken.comを見てください。

エベレストのてっぺんの氷山が溶けてきている。
日本に住む私達にはピンとこない。
しかし、地球を身体にたとえたとして、てっぺんの頭の部分が熱を持ち始めている。
私達の頭に熱があるとき、他の身体の部位はどうなっているだろう。

そんな話を聞きながら、地球=人間と思った。
人間が元気だと地球も元気。
人間が健康だと地球も健康。
人間が地球を汚すと、我々自身を汚している。
我々が自分たちを大切にすれば、地球を大切にしている。
地球が喜ぶことは、自分たちが喜ぶこと。
つながっているんだ~。

コツコツ、はい、私も諦めないでコツコツやっていこう。
そう、継続は力なり。









亀とコウモリ、そして月

2009年09月05日 | 呼吸統合セラピー
ためしてガッテンでちょっと前に見た、ジョギングよりもいいというドタドタ走りを
毎日やろうと思いながら、なかなか毎日できずにいた。
体力が落ちてきたし、筋肉も落ちてきたし、余分なぽちゃぽちゃを落とすのにもってこい。

走ると気持ちがいいし、川沿いの自然が気持ちがいいし、100%いつもいい気分になる。
子供の頃の私はお風呂に入ってしまえば好きなのに、入るまでが長くて嫌がる子だった。

まるでこのどたどた走りも同じ。
川まで行ってしまえば、気持ちよく周りの緑と、
川の光と田舎の風景にただただ嬉しくなる。
走る距離もいつも延びるし、いいことだらけ。

なんて思いながら今日夕方秋を感じる風を感じながら気持ちよく走っていたら、
黒い丸い物体が道を横切っていた。
動いてるから動物らしい、あの大きさはねずみ? もぐら? 亀だった。

え~、かめさ~ん? という私の声に亀は怯えたのか(亀は聞こえるのかな)、震動に身構えたのか、
歩みを止めて私を見つめた(と思う)。 まさかこんな所に亀がいるなんて。。。

亀の歩みを邪魔したら行けないと思ったので、私も目だけ亀さんを追ってドタドタ走りすぎた。 
亀はどこへ行くのだろう。田んぼの方から出てきて、川の方へ進んでいった。

そしてうきうき浮かれながら引き締めたい腕や足をくねくね動かしながら怪しくも嬉しく走ってたら、
今度は鳥のような、けど鳥じゃない、なんとこうもりが飛んでいた。
この川はいつも来ているが、はじめてこうもりを見た。

新潟に子供の頃住んでいた時はおばあちゃんに、こうもりが飛んだら
帰ってきなさい、と言われていた。なんだかいい、そういう時間の計り方。
茜色の夕焼けとこうもりという眺めが私は大好きなのだ。

オーストラリアに住んでいた時も、夕方になると巨大なこうもりが飛びはじめ、
夜になる夕方が大好きだった。 だから今日こうもりを見た時は、本当に嬉しかった。
大袈裟だけどはしゃぎ走りをしながら嬉しくて笑いながら涙が出てきた
こんなことで泣くの~と思うと思うが、私の身体は面白く、
本当に嬉しい時は笑いと涙が一緒に出てくる。

ストレッチをしながら、いや~嬉しいな~と感無量でいた。
家路につきながら次の瞬間またまた私の心がドバ~っと開いた。

お月さまがとっても大きくて、黄色くて、おまけに笑っていた。
あんな月は見たことがない。うさぎの餅つきはいつも見てたけど
にこちゃんマークで、面白い笑い顔の月だった。
私の心を一瞬で開いたまぬけな笑い顔。

自分が本当に求めることをすると、必ずご褒美がもらえるという。
自然の中にいるとただただ幸せな私にとっては、素敵な演出の最高のご褒美だった。

医学の父ヒポクラテスは、人間は自然と共に生きることによって健康で幸せでいられる、
というようなことを言っている。

自分を大切にすること、自分にとって本当に好きなことをすることをして、
ご褒美をどしどしもらいましょう。

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癒しの12ステップでいえば、えい!って走りに行くのがステップ4.
そこでいろんな理由をつけていかないとステップ3.それが決して悪いわけではない。
けどずっとそこにいるということは自分を欺いていることに近い。
それに対してあ~、もううんざり、よし、行くぞ~とステップ4。 
今の私はステップ4にいる。行動。アクションの時期なんだ。
そしてステップ5は、避けていたことや恐れていたことが、実はなんてことなくて、
その真ん中にはパワーがあるということに気づく。 




呼吸統合セラピー

2009年09月02日 | 呼吸統合セラピー
さて、12ステップの呼吸統合セラピーは各ステップにテーマがある。
人は癒されていくにあたってある段階をたどっていくのだと
私の師であるドナルド・エプスタイン博士がカイロプラクターとして
長い間何千人もの患者さんを観察していてわかったことである。

患者さんの癒しは身体だけでなく、心や考え方だけでなく、
それに伴って人生も癒されていった。

その時にそれぞれ癒しの段階でそれぞれ共通した考え方、
感じ方、受け止め方(人生やストレスなどその時の状況)、
反応の仕方、言葉の遣い方、行動、姿勢、表情、
自分自身との関係などがあることに気づいた。 

その時に診察ベッドの上での呼吸の仕方や
身体の状態、癒しの段階のステップを博士は10年以上観察し続けた。

そして生まれたのが呼吸統合セラピー
Somato Respiratory Integration略してSRIである。


それぞれの癒しのステップにいる時に、それをサポートするボディーワークだ。
呼吸統合セラピーはすべて自分でできる。自分でしかできない。
私の役目は自分の内側に意識を向けるように手助けすることだけである。

呼吸と、自分の手と、集中した意識、それだけで自分の内に入っていける。

自分の力以上にパワフルなものはこの世にはないという。
以前書いたネルソンマンデラの演説のように。
そしてその感覚は8ステップ以上になるとよく皆さんが感じる。

今の日本はステップ4だ。
テーマは自分の力を取り戻す、本来の自分に戻る、
本来の自分らしさを取り戻す。

ステップ3は行詰った状態、
同じ所を何回も何回もぐるぐる回っている、
同じ失敗ばかりしている、またある状態にあきあき、などなど。。。
(前述したので読んでください)。

ステップ4はある種の怒りから始まる。もう我慢できないという。。。
それは外側への怒りではない。(外側への怒りはステップ2です!)

砂浜で自分の立っている前に横に線を引いて、ジャンプして線の向こう側に行く。
そして戻らない。
自分を欺いてきた自分に。 
本当の自分を生きていなかった自分に。
心と違う行動に出ていた自分に。 
自分を大切にしていなかった自分に。
本当の自分を表現せずにいた自分に。
自分の人生に参加していなかった自分に。

ちなみにステップ4が終わった後のみんなの表情は素晴らしい。
達成感と、内からあふれ出てくるエネルギーで美しい。




ハグのすすめ2

2009年09月01日 | 提案
よ~く見るとみんな絶対に触れ合うことを求めている。
じいちゃんやばあちゃんは孫を抱くのが大好きだし、手をつなぐのが大好き。
孫がいいって言ってても、抱っこしようとしたり、手をつなごうとしている。

自分の子供とも、おそらく夫婦間でさえ触れ合うことが少ないから
恥ずかしくもなくできる孫と堂々と、無意識の中で渇望している肌の触れ合いを
求めているように感じられる。

外国から食べ物も文化もいろんなものを取り入れてるんだから、
どうせならハグ文化も取り入れて、もっと素直に楽しくいくってどうでしょう。

落選した人でカッコいいなと心が動いたのは、
そのままの自分の生の感情を素直に出して自分の言葉で表現していた人。
負けた原因がなんだ、理屈をこねくり回し、挙句の果てに有権者のせいにしているのは、
理屈が正しい正しくない関係なく格好悪かった。

本物の時代と言われている。
本物しかどの世界においても生き残らないと言われている。
政治の世界でも同じ。
ネガティブキャンペーンが通じる時代ではないんですね。

どんな自分でも受け入れ受け止めてくれる、そういう人、場所があることが
人間の原動力になるとどこかで読んだことがある。

誰かに抱きしめられて安心した時のことを思い出すと
体中がいいエネルギーに包まれるという。

昔ならまさかの政権交代もかなったのだから、
ハグの習慣も10年後は日本に浸透していて、
みんなもっと自由にもっと楽しくもっと素直に
生き生き人と人の距離が近づいているかもしれない。

国民が幸せを感じているランキングで、日本は世界で41位だか46位だか
そこらへんらしい。 

新しい国会でハグキャンペーンで日本を幸せにしよう!
という政策をだしてくるでしょうか???


ハグ推進委員会、どなたか入りませんか~。

ハグのすすめ

2009年09月01日 | 提案
とうとうやってきました政権交代。

テレビを見ていて嬉しかったこと。
それは当選した人も、落選した人も、泣いてる人も、
喜んでいる人も、悲しんでいる人も、悔しがっている人も
抱き合ってその時の感情をお互いに受け止め合っていた。
見ていてとっても気持ちが良かったし、嬉しかった。

日本にはあまりない日常での抱き合うという習慣。
もっともっと日本でも老若男女がハグする習慣があれば
いいのにとずっと思っていた。

日本にはおじぎをする習慣がある。
海外では外人が日本人を形容するのに下手なお辞儀を真似する。
お辞儀をする習慣のない人がお辞儀をすると、下手くそで格好が悪い。

ハグも大人の日本人は下手くそ。
普段してないから、テレがあるから、遠慮があるから、恥ずかしいから。
テレビドラマでさえそういうシーンを見る。
身体に力が入ってて、ハグなんだけど抱き合ってない。
伝わってこない。格好が悪い。

けど、選挙での開票報道番組で見たハグは、格好よかった。
照れもなく、そのままの感情のまま喜びを、悲しみを分け合っていた。
当選した場合でも、落選した場合でも。本物は力がある。

子供はだっこが大好き。ハグも大好き。自分をそのまま表現する。
好きな人には抱きつき、寂しい時には抱いてもらって、安心する。

それは大人でも同じことなんだよな~。何も変わっていない。
みっともないとか、恥ずかしいとか色々思うことはあるのだろうけど
その時にその瞬間に喜びを分かち合い、悲しみも分かち合うことが
ものすごいパワーになる。
喜びは何倍にもなって、悲しみは減る。

外国での生活は、ハグは毎日あたりまえにするものだった。
普通に毎日同僚と友達と、挨拶がわりにキスやハグをしていた。
その頃の友達とは今でも日本でハグハグしている。

それはいやらしいものでもなんでもなく、お互いを大切に尊重しあうこと。
何かあった時も嬉しい時であれ、悲しい時であれ、抱き合って分かち合った。
そして、そのままを受け止める表現でもあるように思う。

人生の流れが再び日本で暮らし始めるように向いてきたときに、
ハグの習慣がないことに戸惑い、さみしかった。

日本ではそれがあたりまえだし、何がいいとか悪いとかではない。
しかし、ただハグするということだけで、毎日安心を与えられていたんだと
日本に帰ってきて、しばらくするまでわからなかった。

つづく。。。