小さい頃バレエを習いたかったけど
オトナの事情で習わせてもらえなかった
毎週土曜日に地域の集会所であるバレエのレッスン
窓の外からずっと眺めてはひとり外で真似して踊っていた
高校生の時にディズニーランドでみた
イッツアスモールワールドの前のステージでの踊り
あ~、こんな風に唄って踊りたいと
痛烈に思った
けれどもその時のわたしが聞いた言葉は
子供の頃からやってないとものにはならないよ~
その後20代に入ってから見た本場のミュージカルやダンス
あ~、生まれ変わったらわたしは踊りを仕事にしたい
よくそう言っていた
あるとき友達が笑いをとるつもりでくれた
オトナのバレエ教室の宣伝チラシ
衝撃~!だった
冗談のつもりでくれた友達が笑っている前で
わたしはワクワクした
そうそうそうそうそうそう、
誰がだめなんて言った?
誰が子供の頃からバレエをした人しかバレエを踊ってはいけないと言った?
頭の中にあるいろんな人からかつて聞いた言葉や声
いつの間にかそれが染み付いていた
それを信じる必要などないのに
かつてのわたしは素直に無意識の場所で信じていた
ちょうどオトナのバレエ教室の存在を知った頃、
わたしの住んでいた町にロイヤルバレエ団にいた素敵な女性がバレエスタジオを開いた。
もちろんオトナの教室もあった。
昔あれほどまでに憧れたバレエのレッスンを始めた
もちろんレオタード、シュシュ、タイツにバレエシューズ
”あなたは子供の頃何年バレエを習っていましたか?”
”習ってないです、今初めて習っています。”
”バレエをやっていたように自然ですね”
”あ、そういえば一人で教室の外で青空バレエ教室をしてました~、がはははは~~~”
(この話は友達に話まくり自慢したのさっ)
先生は美しく優しい笑顔で、
踊りたい、という気持ちがあなたの身体に染み込んでいるのですね、と言った
正直もっともっともっともっと若いうちに
もっともっと情熱を表現していれば、、、、、と思う
が、しかしそんなことを今さら言っても仕方が無い
ということで、やっぱり踊りが好きということで
引っ越しやれ色々な理由で続けられなかったけど
踊っている私はただ幸せで、その為には時間を必ず作った
旅先のアルゼンチンでひょんなことから習い始めたタンゴ
まるでダンサーのように、朝から晩までレッスンにパーティーに踊りまくっていた6週間だった
あのまま住み着いてしまうことも考えたほど楽しかった
その数年後、住んでいた香港では女の身体のしくみと心と体の関係を感じたくて始めた仕事半分楽しみ半分のベリーダンス
腰回りにどれだけ女が様々なものを溜め込んでいるか
それが自由になる事によってどれだけ身体や心が自由になるかを実感
オーストラリアでは友達に引っ張って連れていかれたリンディーホップ
これは最高に楽しく健康的で週に3日は踊っていた。
今もほんとうに踊りたい~~~~!!!!
そして今定期的に踊っているのは日本太古の踊りと言われているわの舞
ただただ気持ちがいい。昔から人は輪になって毎日踊っていたようだ
いわゆるコンシャスダンスの日本版だとおもう
そんな表現がちょっと変な感じもするけど、なんだかとっても気持ちがいい
どんな踊りも唄も表現も
大切なのは自分がどれだけ気持ちがいいか、ゆるんでいるか、悦んでいるか
そして自分の中心の軸がきちんとしているか
これがきちんとしてないと踊れない
これは毎日の暮らしの中でも言えることなんだと思う
自分の快、悦びの軸を大切にすること
そうすると自然と周りの人の快や悦びを大切にすることができて
それは周りの地域、社会に波及し
地球全体の悦びにつながっているように思うのです
だから、自分の内側からの悦びを大切に大切にしよう~!
どいうことで、わたしはどういう形であれ、踊り続けちゃうよっ。
昔フタをしてしまった情熱がまだモヤモヤしているのなら
それが悦びにつながるのなら、遅すぎることなどなにもないと思うのです
ブエノスアイレスの古いカフェにて、生まれて初めてのタンゴのレッスン
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
呼吸と体の統合、12ステージではこの話はステージ4
これはだめだよ、できないよ、無理だよ、こうだよ、ああだよ、と
いつか昔誰かから聞いたことがいつのまにか自分の頭のなかに入り込み、自分の可能性に無意識のうちにフタをしてしまう。
けれども、その思考が実は自分のものではないことに気づき、自分本来の自分の可能性を信じる思考に変わっていく。
ちょっと呼吸が大変だけど、とってもスッキリして気持ちのよいステージです。
けれども、それは決して悪いこととして責めるのではなく、
そのすべてがありがとう、となっていることにステージ8でただただ理解するのです。
オトナの事情で習わせてもらえなかった
毎週土曜日に地域の集会所であるバレエのレッスン
窓の外からずっと眺めてはひとり外で真似して踊っていた
高校生の時にディズニーランドでみた
イッツアスモールワールドの前のステージでの踊り
あ~、こんな風に唄って踊りたいと
痛烈に思った
けれどもその時のわたしが聞いた言葉は
子供の頃からやってないとものにはならないよ~
その後20代に入ってから見た本場のミュージカルやダンス
あ~、生まれ変わったらわたしは踊りを仕事にしたい
よくそう言っていた
あるとき友達が笑いをとるつもりでくれた
オトナのバレエ教室の宣伝チラシ
衝撃~!だった
冗談のつもりでくれた友達が笑っている前で
わたしはワクワクした
そうそうそうそうそうそう、
誰がだめなんて言った?
誰が子供の頃からバレエをした人しかバレエを踊ってはいけないと言った?
頭の中にあるいろんな人からかつて聞いた言葉や声
いつの間にかそれが染み付いていた
それを信じる必要などないのに
かつてのわたしは素直に無意識の場所で信じていた
ちょうどオトナのバレエ教室の存在を知った頃、
わたしの住んでいた町にロイヤルバレエ団にいた素敵な女性がバレエスタジオを開いた。
もちろんオトナの教室もあった。
昔あれほどまでに憧れたバレエのレッスンを始めた
もちろんレオタード、シュシュ、タイツにバレエシューズ
”あなたは子供の頃何年バレエを習っていましたか?”
”習ってないです、今初めて習っています。”
”バレエをやっていたように自然ですね”
”あ、そういえば一人で教室の外で青空バレエ教室をしてました~、がはははは~~~”
(この話は友達に話まくり自慢したのさっ)
先生は美しく優しい笑顔で、
踊りたい、という気持ちがあなたの身体に染み込んでいるのですね、と言った
正直もっともっともっともっと若いうちに
もっともっと情熱を表現していれば、、、、、と思う
が、しかしそんなことを今さら言っても仕方が無い
ということで、やっぱり踊りが好きということで
引っ越しやれ色々な理由で続けられなかったけど
踊っている私はただ幸せで、その為には時間を必ず作った
旅先のアルゼンチンでひょんなことから習い始めたタンゴ
まるでダンサーのように、朝から晩までレッスンにパーティーに踊りまくっていた6週間だった
あのまま住み着いてしまうことも考えたほど楽しかった
その数年後、住んでいた香港では女の身体のしくみと心と体の関係を感じたくて始めた仕事半分楽しみ半分のベリーダンス
腰回りにどれだけ女が様々なものを溜め込んでいるか
それが自由になる事によってどれだけ身体や心が自由になるかを実感
オーストラリアでは友達に引っ張って連れていかれたリンディーホップ
これは最高に楽しく健康的で週に3日は踊っていた。
今もほんとうに踊りたい~~~~!!!!
そして今定期的に踊っているのは日本太古の踊りと言われているわの舞
ただただ気持ちがいい。昔から人は輪になって毎日踊っていたようだ
いわゆるコンシャスダンスの日本版だとおもう
そんな表現がちょっと変な感じもするけど、なんだかとっても気持ちがいい
どんな踊りも唄も表現も
大切なのは自分がどれだけ気持ちがいいか、ゆるんでいるか、悦んでいるか
そして自分の中心の軸がきちんとしているか
これがきちんとしてないと踊れない
これは毎日の暮らしの中でも言えることなんだと思う
自分の快、悦びの軸を大切にすること
そうすると自然と周りの人の快や悦びを大切にすることができて
それは周りの地域、社会に波及し
地球全体の悦びにつながっているように思うのです
だから、自分の内側からの悦びを大切に大切にしよう~!
どいうことで、わたしはどういう形であれ、踊り続けちゃうよっ。
昔フタをしてしまった情熱がまだモヤモヤしているのなら
それが悦びにつながるのなら、遅すぎることなどなにもないと思うのです
ブエノスアイレスの古いカフェにて、生まれて初めてのタンゴのレッスン
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
呼吸と体の統合、12ステージではこの話はステージ4
これはだめだよ、できないよ、無理だよ、こうだよ、ああだよ、と
いつか昔誰かから聞いたことがいつのまにか自分の頭のなかに入り込み、自分の可能性に無意識のうちにフタをしてしまう。
けれども、その思考が実は自分のものではないことに気づき、自分本来の自分の可能性を信じる思考に変わっていく。
ちょっと呼吸が大変だけど、とってもスッキリして気持ちのよいステージです。
けれども、それは決して悪いこととして責めるのではなく、
そのすべてがありがとう、となっていることにステージ8でただただ理解するのです。