呼吸で癒そう

ゆっくり呼吸するだけでカラダは安心して落ち着き
内側からゆるんでいきます
ゆるんで笑ってぷくぷく参りましょうぞ

時としなやかさ 

2012年09月11日 | 提案
60日以上ブログを触らないと画面が変更してしまう、という驚きを前回も味わったが
まさかまたやってしまったとは。

7月ですか、、、前回書いたのは。

心の底からありがたいことに私の文章を待っていてくれるという奇特なお方がいて
催促してくれる方がいて、なんて嬉しいのか、心から涙があふれている次第です。

ありがちょんまげ(ふるっ)、感謝感激です。

最近感じたこと。時を待つ威力。
なるようになっていくんだな~ということがこの春から夏にかけて沢山ありました。

そして頑張ってその時にふんがふんが訂正したり修正したり言い訳したり、とりつくろったりしなくても
心が穏やかで、そのままを受け入れて、ゆるゆるに体をしていると、心も優しくなってくる

そんなこんなで毎日自分のゆるやかな状態でいられると、その修正したかったり訂正したかったりしたかった出来事が
あちらの方から、とてもいい状態に収まってくれる

思い出した去年の優しい出来事

何年も前に友人の義理のお母さんが突然彼女を嫌いになったようで
突然縁を切られたようになってしまった

非常なる突然の驚きが舞い降りてきて、不思議でしょうがなかったんだけど
何年も彼女は嫌われ者の役を徹していました。なんでだろう、私はなにをしたかしら、と思いながらも。

けれども、彼女はただその状況を受け入れて自分からは義理を断つようなことは何もせずに
数年が流れて行った。

そしてある日、義理の弟が突然連絡をくれてお茶を飲んだら
どうやら義理のお母さんが彼女に会いたがっていると。
私はどうして嫌われたのかしら、、、と不思議がっていると。

そして何年も心にあった彼女の話を弟さんにしたら、え~~~、ということで、久しぶりの面会。
昔のように仲のいい状態に戻りました。

その時に友人は言っていた。
何もしなくても時が解決してくれるんだね。

彼女のゆるやかな優しさ。キバを向けなかったこと、自分の中の穏やかさを保っていたこと
そして遠くからでもお義母さんの幸せを願っていたこと、数年間の彼女のあり方が再会を優しいものにしてくれたように思う。

もし恨んでいたら、もし怒りで燃えていたら
あんなに穏やかにまた再び家族としての歩みはなかったんだろうと思う。

どうしてああだったか、こうだったか、なんてどうでもいいこと。
大切なのはまた心から笑い合えるようになったこと。

決して首を長くして待っていた訳でもなく、けどそのままを受け入れる。
そしてありがたい結果が突然舞い降りて来る、そしてそれをまた受け入れる。

しなやかな強さ。

何でもかんでも今解決しよう!ということができないこともあり、
時がきちんと適材適所にものごとをおさめてくれる。

自分を否定せず、相手も否定せず、心が落ち着く気持ちのいい状態でいる。
ただ受け入れて穏やかな状態でいることは実はとても強いこと。

優しく手を当てるのはまず自分の胸に。
そんなことをぐんぐん色々なものが成長する夏に感じました。

時を待つ。

時としなやかさが変えてくれた喜びを私もありがたく受け止めた。
しな~やか~に歌ってぇ~淋しいぃと~きは~。いえす、百恵ちゃん。







やめる勇気、頑張らない勇気

2009年09月16日 | 提案

以前友達から素晴らしい話を聞いた。
数年前に聞いて以来、私も何人もの友達にその話を伝えてきた。

頑張らない勇気、やめる勇気。
ある若い登山家のインタビューをテレビで見た私の友達が感動した話。

あともう少しで頂上だ、という時にもし疲れていたら、
自分で大丈夫かな、とふと不安になった時の為に彼が必ず持って行くもの。

それは女性用の練り香水。
あともうちょっとで頂上。。。けど疲れてきた。、いう時に選択は2つある。

頑張って残りの力を振り絞って根性で登り続けるのか。きっと行ける。
それとも大事をとってまた明日登ろう、と今日は休むのか。

そういう迷った時に山の上で甘い香水の香りを嗅ぐ。
すると優しい女性が‘もう、休みなはれ’(勝手に言葉を想像しました)と
優しく、今日頑張ったね、ゆっくり明日登ればいいじゃない、
今日はゆっくり休んだら、、、というように言われているような気がして
頂上を目指すのをやめるという。

彼はそこでやめる勇気も必要だと言っていた。
疲れている身体にムチ打って、頑張ってももし万が一のことがあった場合、
それはそれでおしまい。

男性は特に、えいなにくそ根性で気合で行ってしまうこともできる。
なんだ、お前いくじがないな、ということもある。

けど自分の声に耳を澄ますことの大切さを、忘れてしまう。
鈍感になってしまうこともあるだろう。

私はもう何年も前に聞いたこの話を、よく思い出してはその時に無理に頑張るのをやめてきた。
私は非常に無理がきいて、昔から人から驚かれる至難の技を体力と根性でやってきた。

若い時はそれでいい。けれどそれでも疲れ知らずでやってきた自分が
実はとても疲れていた。

この登山家の話を聞いた時は、心から感銘を受けた。そうなんだ。
自分を大切に自分のペースでやった方がずっと上品で素敵だと思うようになった。

急ぐことはない。何のために? 誰のために?

私の父は自分の限界以上のことをやってきた人。
それを美徳としてきたと思う。そして身体は疲れ果てていた。
けど歳をとり今では身体がやめてくれ~という声を聞くようになった。
自分を大切にすることができると、本当に人をも大切にできる。

この登山家は誰なのかな、と思ったことはよくあった。
3日前にこのことを教えてくれた友達に先週野口健さんの講演が素晴らしかったよ、
と話したら、‘彼のことだよ、前言った練り香水の登山家は’と。

私は感動のあまりしばらく茫然とした。
なんだかここしばらく野口健モードの私である。

いつか会いたいな、同じ千葉県民!

今日から新しい日本が始まる。
自分を大切に、自分たちを大切に、大きな大きな家族として
助け合って、力を前に進むことに持っていけるように、争いからではなく
歩み寄り、高めあい、本来の日本人の素晴らしさを表現していける社会になって
いけばいいな。 

家族でもそう。 仲のいい家族は成功する。あらゆることに。
けど争い、いさかいの多い家族は、エネルギーが分散して前に進んで行けない。
誰がどうだ、なんだと無駄なエネルギーを消費しまくり。

今までの日本の政治は変わっていく時代。
楽しい家族を目指しませんか~?


ハグのすすめ2

2009年09月01日 | 提案
よ~く見るとみんな絶対に触れ合うことを求めている。
じいちゃんやばあちゃんは孫を抱くのが大好きだし、手をつなぐのが大好き。
孫がいいって言ってても、抱っこしようとしたり、手をつなごうとしている。

自分の子供とも、おそらく夫婦間でさえ触れ合うことが少ないから
恥ずかしくもなくできる孫と堂々と、無意識の中で渇望している肌の触れ合いを
求めているように感じられる。

外国から食べ物も文化もいろんなものを取り入れてるんだから、
どうせならハグ文化も取り入れて、もっと素直に楽しくいくってどうでしょう。

落選した人でカッコいいなと心が動いたのは、
そのままの自分の生の感情を素直に出して自分の言葉で表現していた人。
負けた原因がなんだ、理屈をこねくり回し、挙句の果てに有権者のせいにしているのは、
理屈が正しい正しくない関係なく格好悪かった。

本物の時代と言われている。
本物しかどの世界においても生き残らないと言われている。
政治の世界でも同じ。
ネガティブキャンペーンが通じる時代ではないんですね。

どんな自分でも受け入れ受け止めてくれる、そういう人、場所があることが
人間の原動力になるとどこかで読んだことがある。

誰かに抱きしめられて安心した時のことを思い出すと
体中がいいエネルギーに包まれるという。

昔ならまさかの政権交代もかなったのだから、
ハグの習慣も10年後は日本に浸透していて、
みんなもっと自由にもっと楽しくもっと素直に
生き生き人と人の距離が近づいているかもしれない。

国民が幸せを感じているランキングで、日本は世界で41位だか46位だか
そこらへんらしい。 

新しい国会でハグキャンペーンで日本を幸せにしよう!
という政策をだしてくるでしょうか???


ハグ推進委員会、どなたか入りませんか~。

ハグのすすめ

2009年09月01日 | 提案
とうとうやってきました政権交代。

テレビを見ていて嬉しかったこと。
それは当選した人も、落選した人も、泣いてる人も、
喜んでいる人も、悲しんでいる人も、悔しがっている人も
抱き合ってその時の感情をお互いに受け止め合っていた。
見ていてとっても気持ちが良かったし、嬉しかった。

日本にはあまりない日常での抱き合うという習慣。
もっともっと日本でも老若男女がハグする習慣があれば
いいのにとずっと思っていた。

日本にはおじぎをする習慣がある。
海外では外人が日本人を形容するのに下手なお辞儀を真似する。
お辞儀をする習慣のない人がお辞儀をすると、下手くそで格好が悪い。

ハグも大人の日本人は下手くそ。
普段してないから、テレがあるから、遠慮があるから、恥ずかしいから。
テレビドラマでさえそういうシーンを見る。
身体に力が入ってて、ハグなんだけど抱き合ってない。
伝わってこない。格好が悪い。

けど、選挙での開票報道番組で見たハグは、格好よかった。
照れもなく、そのままの感情のまま喜びを、悲しみを分け合っていた。
当選した場合でも、落選した場合でも。本物は力がある。

子供はだっこが大好き。ハグも大好き。自分をそのまま表現する。
好きな人には抱きつき、寂しい時には抱いてもらって、安心する。

それは大人でも同じことなんだよな~。何も変わっていない。
みっともないとか、恥ずかしいとか色々思うことはあるのだろうけど
その時にその瞬間に喜びを分かち合い、悲しみも分かち合うことが
ものすごいパワーになる。
喜びは何倍にもなって、悲しみは減る。

外国での生活は、ハグは毎日あたりまえにするものだった。
普通に毎日同僚と友達と、挨拶がわりにキスやハグをしていた。
その頃の友達とは今でも日本でハグハグしている。

それはいやらしいものでもなんでもなく、お互いを大切に尊重しあうこと。
何かあった時も嬉しい時であれ、悲しい時であれ、抱き合って分かち合った。
そして、そのままを受け止める表現でもあるように思う。

人生の流れが再び日本で暮らし始めるように向いてきたときに、
ハグの習慣がないことに戸惑い、さみしかった。

日本ではそれがあたりまえだし、何がいいとか悪いとかではない。
しかし、ただハグするということだけで、毎日安心を与えられていたんだと
日本に帰ってきて、しばらくするまでわからなかった。

つづく。。。

Invitation 誘い (いざない)

2009年08月31日 | 提案
前回に抜粋した私が大好きな詩、
オライア・マウンテン・ドリーマーの
Invitation (誘い)を日本語訳でご紹介します。

よくネイティブアメリカンの長老と紹介されていますが
彼女はとても美しい金髪の北米に住む素敵な女性です。
ネイティブアメリカンの種族とともに暮らした経験から、
酋長につけてもらった名前マウンテン・ドリーマーから
誤解されることが多いそうです。


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誘い(いざない)


あなたの仕事が何か、私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたが何に憧れ
あなたが心からの望みを
恐れずに叶えようとするのかです

あなたの歳にも私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたが愛や夢や冒険のために
自分が馬鹿に見えるかもしれないリスクを
冒すことができるかどうかです

あなたの星座がなにか、私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたが深い悲しみの中心まで行ったことがあるか
人生の裏切りで切り裂かれるような思いをしたことがあるか
また、さらなる痛みを恐れるあまりに
心を閉ざして縮こまってしまった経験があるかです

痛みがあるときには、それが私のであれ、あなた自身のであれ
痛みから隠れたり、無視したり、修正しようともせずに
動かずに痛みと共に座っていられるか、私は知りたいのです

私の喜びであれ、あなた自身のであれ
喜びを心から感じることができるのか
心から夢中になって狂乱のごとく踊り
気をつけろ、現実的になれ、自分の限界を思い出せ
などとつまらないことを警告することなく
指や足の先まで恍惚感でいっぱいに身をゆだねることができるのか
私は知りたいのです

あなたの話しが真実かどうか、私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたがたとえ人を失望させてしまうとしても
自分に正直でいられるか
たとえ裏切り者と責められても、その非難に耐え
自分の魂は裏切らないでいられるか
そして不誠実であることによって
それゆえに信頼に値する人であるのかということです

あなたが、毎日、たとえ見た目に美しく見えない時でも
そこから美を見いだすことができるのか、私は知りたいのです
そしてその本当の美を、あなたの人生の糧としているかどうかを

あなたがあなた自身の失敗、そして私の失敗と共に
生きることができるか
そしてそれでも湖のふちに立ち、銀色の輝く満月に向かって
イエス!と叫ぶことができるか、私は知りたいのです

あなたがどこに住んでいるのか
どれだけお金を持っているのか、私は興味はありません
あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ
骨の髄まで疲れ果てていても
また朝が来れば起き上がり
子供たちを食べさせるために
するべきことをするかどうかを、私は知りたいのです

あなたが誰を知っているか
あなたがどのようにここに来たのか、私は興味がありません
私が知りたいのは、あなたが決してひるまずに
私と共に炎の中心に立つことができるかどうかです

あなたがどこで、何を、誰と勉強をしたのか私は興味がありません
私が知りたいのは、全てがなくなった時に
あなたの内側から何があなたを支えるのかということです

私はあなたが自分自身としっかり向き合い
一人でいることができるのか
そしてどうしても誰かと一緒にいたいときは
何もない時間と共にただいられるのか知りたいのです

我々はみな光り輝く存在

2009年07月23日 | 提案
さて、先日お話したネルソン・マンデラ大統領の演説です。
アメリカ人のマリアン・ウィリアムソン著
’RETURN TO LOVE’からの抜粋です。

私はこの素晴らしい本を何年も前に読んだ時に、
心に響いてポロポロ泣きました。

日本語に訳されているのかわかりませんが、
英語で読む気がある人は是非読んでください。

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我々の奥底にある恐怖は、我々が不十分であるということではない。

我々の奥底にある恐怖は、我々が計り知れないほどの力を持っているということである。

我々をもっとも脅かすのは、我々自身の暗闇ではなく、我々自身の持つ光だ。

我々は自身に問いただす、自分が聡明で、華麗で、輝き、才能に溢れ、素晴らしい存在かと。

実際、そのような存在でないなら、あなたは誰なのだ?

あなたは、神の子である。

あなたが小さくなっていることは、世に貢献することにはならない。

他の人々があなたの周りで不安にならない為に、小さく縮こまっているということは、決して素晴らしい悟りでもなんでもない。

我々は、みんな輝くようにできている、子供たちがそうであるように。

我々は、我々自身の内にある、神の栄光を表現する為に生まれてきた。

それは限られた人々だけではなく、全ての人に言えることだ。

そして我々自身の光を輝かせることが、無意識のうちに、他の人々も同じように光を輝かせるようになる。

我々が我々自身の恐怖から解放されることが、自動的に、他の人々をも恐怖から解放させることになるのだ。

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呼吸統合セラピー(SRI)では、ステップ3で
自分が小さく縮こまっていることに気づきます。

そしてステップ4で、そこから自分を解放するのです。
あ~、気持ちがいい!

自分の意識と呼吸だけで解放することができるのです。
詩のとおり、私達は計り知れないパワーをもっています。
それをステップ4で取り戻す、押し込めていた光を輝かせます。

もっともっと光輝きましょう、みんなで。