呼吸で癒そう

ゆっくり呼吸するだけでカラダは安心して落ち着き
内側からゆるんでいきます
ゆるんで笑ってぷくぷく参りましょうぞ

守ってくれる存在~失敗する権利~

2010年09月13日 | 感じること、いろいろ
外資系の航空会社で働いていた時のこと。
我々のミスでお客様をかんかんに怒らせてしまった。

宗教上決して肉を口にしてはいけない人が、
間違って運ばれた肉料理を食べてしまったのだ。

客席から叫び声が聞こえて、新人の同僚がふるえながら事情を話しに戻ってきた。
責任者を呼んで来いということで、深呼吸をしてから私はその座席番号に向かった。

謝ることしかできず、いい訳する言葉すらみつからず、ただただ謝った。
文句をひたすら聴き、ただただ謝った。
その方にとっては肉を口の中に入れた、というのは一大事なのだ。

絶叫するお客様に罵倒されること15分くらいたったのだろうか。
チーフパーサーがやってきた。

お客様はチーフに向かって私達がしでかした過ちの重さを訴えた。
チーフも頭を下げて謝り、お客様の前で私を激しく叱った。

私がチーフから激しく叱られたことで、お客様の怒りは少しは治まったが、
私の至らなさを責める言葉はその後も激しく続いた。

しばらくしてからチーフがひと言。
お客様、お子様はいらっしゃいますか。

いるよ、3人居る。

お子様は間違えをおこしませんか?

そんなのしょっちゅうだよ。

お客様、この子も人間の子供です。神の子です。間違いをおかします。
確かにお客様にとってはとんでもないことをしてしまいました。
しかしこの子は先ほどから言い訳もせずに30分以上も謝り続けています。
意図してやったことではありません。人間の誰もがする間違いです。
あなたも人の親ならこの子を許してやってくださいませんか。

周りのお客様からの拍手喝采をチーフの言葉は浴び、この事態は治まった。

あとでチーフは私を激しくお客様の前で叱ったことを謝った。
ああしなければ、お客様の気が治まらなかっただろうと。

チーフは私のチームの過ちを全く責めなかった。
実際にケアレスミスをしてしまった新人の同僚は震えながら泣いていた。

目的地に着き、降りていく時に彼は私の目を見つめた。
忘れられない旅になったよ、さんざんな目にあったが結果的にはいい旅だった、
ありがとう、君には悪いことをした、と私の手を強く握った。

私はこの日に実にたくさんのことを学んだ。
この日を境に仕事ぶりが確実に変わった。

そして昨日施術中にふとこのことを思い出した。
人の身体と心とこの話がつながっているのだ。

長くなってしまったから、つづきはまた今度。


男と女

2010年09月10日 | 感じること、いろいろ
私の自然農業塾の師匠が田んぼを初めて借りて
ひとりで田んぼで米作りを始めたときのこと。

広い草ぼうぼうの水を含んだ重い土の田んぼで
ただ一人米作り作業をはじめた。かなり大変だったらしい。

ある日師匠の奥様が手伝おうかと、手を貸してくれた。
一日田んぼで作業を終えた夜に二人で飲んでいる時、
彼女が師匠に言った。

”田んぼに力と書いて男って本当ね。”

自然農をはじめてから、感動にうなることだらけなのだが、
今日のこの師匠の話を聞いて、私の身体はふるえた。

本当だ。

本当だ。

本当だ!!! 田んぼに力で男だ。

男と女は同じじゃないんだよね、と師匠。
男は家族の生命が続くのに必要なものを供給するのが仕事だな、と。

家族の為に田んぼで力を尽くして、働く。
たくましさも、力強さも、あたたかさも。

私はもともと男には男の、女には女の役割があって
違って当たり前で、違いが素晴しいと思っている。

その違いを私たちは本能で求め合い、共に生きていくのだろう。
自分をそのまま居ればいい。何かになろうとせずに、そのまんまで。

そしてそれぞれのそれぞれを尊重して、愛する。
ただそれだけなんだ。
それは男と女だけに限らず、すべてのことに言えるんだと思う。

そのままを尊重し合える夫婦は本当に素敵だと思う。

師匠の奥様は本当に素敵な方だ。
そんなひと言を言う奥様がいる師匠は本当に幸せ者だ。


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呼吸統合セラピーを続けていくうちに、
身体が変わっていくとともに、本来の自分ではないものが
剥がれていく。

そしてより本来の自由な自分になればなるほど、
人の自由と存在の素晴しさを尊重し、分かち合える。

ステージ12。
ギブ アンド テイクではなく、ギブ アンド レシーブ。













生命力

2010年09月05日 | 生命力
今日は朝から晩まで生命力を感じた一日だった。
まずは月に一回の座禅会。

私は子供の頃から何故か座禅好きで、夏休みの座禅会が大好きだった。
そのときの住職が今でも一緒に座っている。

90歳をとうに過ぎているのに、肌はつやつや、声はしっかり
頭はもちろん、説法は聞きやすく、とっても元気で若々しい

”命をかけてお座りください”という住職の言葉に
”あいよ!”と思いながら、なんだか今日も笑えた。

叔父の認知症が進んでいるという連絡を受け、
弟である私の父が今日急遽叔父を訪ねて行った。

4日ぶりの畑で、ぐんぐんのびていくアマランサスの強さに驚く。
自然農法一年生の私は、自然が教えてくれるすべてのことに感動する。

ルッコラが始めの頃は虫に食われて穴だらけだったのだけど、
最近は土の状態がよくなったのか、ルッコラらしいルッコラで、味もすごく濃い。

お隣の広い畑にただ一人もくもくと野良仕事をしているおじちゃま発見。
こんな炎天下では普通の人は農作業なんかしないのよね。
(コツは休み休みやるのです!おじちゃまはカルピスソーダを飲んでいた)

そのおじちゃまは殆どの野菜を自分で作って食べている。
買うのはもやしくらいだな。。。と。

もやしは私はつくれるんだけどな、逆だな、と思ってたら
いっぱい持ってけ~、と山のようにトマトをくれた。(自分でもいだ)

いつもいっぱい師匠のお父さんやれ皆さんからたくさん野菜をいただく。
私はお分けするほどのものがまだ収穫できない。

いつか私もやりたいな。
いっぱいできたのよ、持ってってください!と。

以前からできるだけ自給自足を目指すぞ、とは思っていた。
けど今日私は決心しちゃった。私も殆どの野菜や雑穀を自分で作って食べよう!

願わくば果物の木なんかもくっついてきてくれたら嬉しい。
梅、もも、ざくろ、柿、みかん、びわ、レモン、りんご、梨、、、
あ~、夢はふくらむ。くるみの木もあったらいいな。

いただいたトマトを洗ってバジルと一緒にその場でかじった。
美味しい。甘い。香りがたまらない。
おいしい野菜は生命力に溢れている。

気持ちのよいけだるさで車をいつもの梨園に走らせる。
八千代の美味しい梨を東京の友達に送ってあげるのだ。
私はこのおじちゃんからいつも梨を買う。彼の職人魂が好き。

もぎたての梨をいつもその場で食べさせてくれる。
適当に蒔いたら芽がでてきたというブドウも。甘い。
この美味しさは身体が喜ぶ美味しさ。まさにぬちぐすい。

もぎたて、摘みたて、掘りたて、とりたて。
命、生命力、ぷるぷる、みずみずしい、甘い、香り。。。。

ゴーヤも3本もぎに行ってくれた。その一時間後にサラダにして食べた。
これまた感動の美味しさなのだ。

梨屋さんのおじちゃんのおばあちゃんは98歳。
今でも元気で身体も頭も元気だよ~と高らかに笑う。

生命力のある食べ物を食べ、(昔は添加物なんかなかった、欲しくても)
身体をつかって、(おばあちゃんは米一俵をかついで急な坂を平気で上がっていたらしい)
無理をせずに休む時は休み、早く寝る。
家族と孫とよく笑う。家族と一緒にご飯を食べる。
太陽とともに起きて、太陽とともに寝る。

長生きだけがいいわけではないという人もいる。
けど元気に長生きはやっぱりいいと思う。

おじさんと話しながらもぎたての梨を食べ、
このおじさんの優しい職人の溢れる魅力と共に生命力を感じた。

叔父の様子を父に聞いた。父の声はがっくりきている。
声が悲しそうだった。あんなに一生懸命生きてきたのに、、、と
ぽつりと小声で言った。

叔父は弟である父を理解できなかった。
父もとても辛いんだとおもう。自分のことは何も言わなかったけど。
私はただ話を聞くだけしかできなかった。

しばらく会ってない叔父のことを考えながら、ふと思った。
叔父は毎日を忘れたかったのだろうか。

人はどうして認知症になってしまうのだろう。

人の最大の欲求は、愛されること、認められることという。
その為に、私たちの行動は形作られ、それは時として自虐的でもあるという。

これについては賛否両論だと思う。
しかしその説が正しいとするならば、
叔父は愛されたいから、認められたいから認知症になったのだろうか。

とすると私たちにできることはただひとつ
愛すること、大切にすること。

生きていること、それは様々なドラマがあって
私たちはみんなそのドラマの主人公なんだ、と
昔のさだまさしの曲を思い出した。