いつかはちょっとでも自給自足ができるようになりたいな、
家庭菜園レベルで自分たちの食べる野菜や、できればお米なんぞも
作れるようになりたいな、そんな畑が家の近くにある環境に住みたいな、
という漠然とした、けど結構くっきりとした図が私の頭の中に
生まれたのは一年前くらいのこと。
それがなんとも予想外に意外に早くその第一歩を踏み出してしまった。
2月の玄米菜食の料理教室に講師として「種」の話をしてくださった方が
自然農業塾を主宰しているとのことで、入塾する運びに、とんとんとんと。
あ~、楽しい、のだ。すんばらしい!
今までも自然の中にいるとただ幸せだった私は、
自然の凄さ、偉大さ、ユーモアに愛情、
言葉ではなく必要なことを教えてくれる師匠としてますます敬愛してやまない。
う~、言葉にすると安っぽくなってしまうのがじれったい。
実は自然農には一年前に出会っている。
友達のブルースが香港から日本に遊びにきている時に
房総の農家さんにウーファーとして数日間お世話になった。
そこは自然農で栽培していて、草を刈るけど抜かない、草は敵ではない、
などということで、大根の葉っぱと雑草の違いがよくわからない状態で
草刈り、を任された。
草を刈り、土の上に置く。
なんで刈ったものをまたそこに置くんだ~?
おまけに水もあげないというのが、私には去年は皆目理解できなくて、
その代わりに草を土にのっけて、潤いを保つと。はぁ~?
赤米の田植えもした。けど想像している田植えとは全く違い、
鎌でちょっと土をあげて、そこに種籾を3粒くらい入れて土をまたかぶせる。
全部終わったら、そこにブルースが刈った草をバサーっとかけた。
今思えばまったく何もわからずに、ただ言われるがままにやっていた。
ブルースなんてくだらないだ、おかしいだ、なんだこりゃ、と怒りに近い
感情が自然農に対して爆裂していた。
そのように印象がけしてよくなかった自然農法。
一年経ってまた私の目の前に現れた。
タイミングが合えば、宝となるんだな~と感動。
どんな素晴しい理も時期がずれていると、愚なんだ。
5月の末に私の生まれて初めての畑の畝立てをして
時期はちょっとおそいよ、と言われたのを無視して
赤じその種をまいた。梅干しに間に合ってくれればいいな~
と思いながら。
いや~、無理だよ。梅干しには間に合わないね。
しょうがないからしそジュースだな。
それもいいですねー、と夏後半に飲むしそジュースを楽しみにしていた。
他の野菜がぐんぐんと成長している中、
何故かなかなか赤じそがあまり芽を出してくれない。
出していても成長していない。
昨日畑で会った師匠にどうしてでしょうか、と聞いたら、
時期がずれてたんだね、のひと言。
あ~~~、そっか。
電球が頭の中でぴかっと光ったように明るくなった。
赤じそは本来はこの暑い時期の私たちの身体や心を支えるもので、
6ー7月が旬である。
それを私は早くて8月の終わり、夏の終わりに収穫されるような時期に
種をまいた。
他の農法では、収穫の時期などをコントロールして収穫できる。
しかし自然農法は本来の自然の営みのまんまなので、私が蒔いた赤じそは
芽を出さなかったのだ。夏の終わりの私たちに紫蘇はもう必要ないのだ。
人の頭で考えたことで自然の営みからずれていると
それはそのまんま成長しない、という結果を無言で優しく教えてくれる。
すご~~~~~い。
私は本当に感銘を受け、感動し、体中がうずくように嬉しくなった。
現代のいつの時期にも収穫できるように、店頭に並ぶように、という商売は
絶対にできない農法であるが、私は自然の摂理にそって食べて
生きていきたいな、と思う。私たち人も自然の一部なのだから。
福岡正信さんが自然農法を通して本当に人としてのあり方、生き方は
自然であること、自然に寄り添うこと、と、今おそらく現代社会が着目する点を
何十年も前から声を大にして伝えようとしてくれた。
世界では福岡さんを老子の生まれ変わりのようだと言い、
彼の考えを取り入れて、枯れ果てた土地を森に復活させた。
この間テレビでイタリアのなんとか豚というとてもレアな
高級で美味しい豚ちゃんを飼育している人が、
福岡さんの考え方に沿って自然とともに豚ちゃんを育てている。
森の中で走り回って、森の中のものを自分で本能で選んで
食べている豚ちゃん。
福岡さんは生前言ってたらしい。
世界は私の意見を取り入れて自然を取り戻してくれているのに
日本だけが実践してくれない、と。
ふむふむ。。。他にもこういう例はいっぱいある。
興味のある方は福岡さんの本を読んでみてください。
「わら一本の革命」 春秋社
家庭菜園レベルで自分たちの食べる野菜や、できればお米なんぞも
作れるようになりたいな、そんな畑が家の近くにある環境に住みたいな、
という漠然とした、けど結構くっきりとした図が私の頭の中に
生まれたのは一年前くらいのこと。
それがなんとも予想外に意外に早くその第一歩を踏み出してしまった。
2月の玄米菜食の料理教室に講師として「種」の話をしてくださった方が
自然農業塾を主宰しているとのことで、入塾する運びに、とんとんとんと。
あ~、楽しい、のだ。すんばらしい!
今までも自然の中にいるとただ幸せだった私は、
自然の凄さ、偉大さ、ユーモアに愛情、
言葉ではなく必要なことを教えてくれる師匠としてますます敬愛してやまない。
う~、言葉にすると安っぽくなってしまうのがじれったい。
実は自然農には一年前に出会っている。
友達のブルースが香港から日本に遊びにきている時に
房総の農家さんにウーファーとして数日間お世話になった。
そこは自然農で栽培していて、草を刈るけど抜かない、草は敵ではない、
などということで、大根の葉っぱと雑草の違いがよくわからない状態で
草刈り、を任された。
草を刈り、土の上に置く。
なんで刈ったものをまたそこに置くんだ~?
おまけに水もあげないというのが、私には去年は皆目理解できなくて、
その代わりに草を土にのっけて、潤いを保つと。はぁ~?
赤米の田植えもした。けど想像している田植えとは全く違い、
鎌でちょっと土をあげて、そこに種籾を3粒くらい入れて土をまたかぶせる。
全部終わったら、そこにブルースが刈った草をバサーっとかけた。
今思えばまったく何もわからずに、ただ言われるがままにやっていた。
ブルースなんてくだらないだ、おかしいだ、なんだこりゃ、と怒りに近い
感情が自然農に対して爆裂していた。
そのように印象がけしてよくなかった自然農法。
一年経ってまた私の目の前に現れた。
タイミングが合えば、宝となるんだな~と感動。
どんな素晴しい理も時期がずれていると、愚なんだ。
5月の末に私の生まれて初めての畑の畝立てをして
時期はちょっとおそいよ、と言われたのを無視して
赤じその種をまいた。梅干しに間に合ってくれればいいな~
と思いながら。
いや~、無理だよ。梅干しには間に合わないね。
しょうがないからしそジュースだな。
それもいいですねー、と夏後半に飲むしそジュースを楽しみにしていた。
他の野菜がぐんぐんと成長している中、
何故かなかなか赤じそがあまり芽を出してくれない。
出していても成長していない。
昨日畑で会った師匠にどうしてでしょうか、と聞いたら、
時期がずれてたんだね、のひと言。
あ~~~、そっか。
電球が頭の中でぴかっと光ったように明るくなった。
赤じそは本来はこの暑い時期の私たちの身体や心を支えるもので、
6ー7月が旬である。
それを私は早くて8月の終わり、夏の終わりに収穫されるような時期に
種をまいた。
他の農法では、収穫の時期などをコントロールして収穫できる。
しかし自然農法は本来の自然の営みのまんまなので、私が蒔いた赤じそは
芽を出さなかったのだ。夏の終わりの私たちに紫蘇はもう必要ないのだ。
人の頭で考えたことで自然の営みからずれていると
それはそのまんま成長しない、という結果を無言で優しく教えてくれる。
すご~~~~~い。
私は本当に感銘を受け、感動し、体中がうずくように嬉しくなった。
現代のいつの時期にも収穫できるように、店頭に並ぶように、という商売は
絶対にできない農法であるが、私は自然の摂理にそって食べて
生きていきたいな、と思う。私たち人も自然の一部なのだから。
福岡正信さんが自然農法を通して本当に人としてのあり方、生き方は
自然であること、自然に寄り添うこと、と、今おそらく現代社会が着目する点を
何十年も前から声を大にして伝えようとしてくれた。
世界では福岡さんを老子の生まれ変わりのようだと言い、
彼の考えを取り入れて、枯れ果てた土地を森に復活させた。
この間テレビでイタリアのなんとか豚というとてもレアな
高級で美味しい豚ちゃんを飼育している人が、
福岡さんの考え方に沿って自然とともに豚ちゃんを育てている。
森の中で走り回って、森の中のものを自分で本能で選んで
食べている豚ちゃん。
福岡さんは生前言ってたらしい。
世界は私の意見を取り入れて自然を取り戻してくれているのに
日本だけが実践してくれない、と。
ふむふむ。。。他にもこういう例はいっぱいある。
興味のある方は福岡さんの本を読んでみてください。
「わら一本の革命」 春秋社