呼吸で癒そう

ゆっくり呼吸するだけでカラダは安心して落ち着き
内側からゆるんでいきます
ゆるんで笑ってぷくぷく参りましょうぞ

ソウルモーション ワークショップのご案内

2013年05月19日 | 体のこと
待ちに待ったソウルモーションのワークショップin千葉

大好きなゆりちゃんがソウルモーションの先生になったときから
ずっとずっと待ち望んでいたソウルモーション

コンシャスダンスの5リズムと似ているのだろうけれど
正直言葉でわたしは説明できない

けれどもただただ踊ってみたい
それもゆりちゃんがリードしてくれるなんて最高だし
ゆりちゃんのリードだからこそやりたいように思う

あ~、本当に楽しみ
この日一緒に共に分かち合えるのを心の底から楽しみにしています
そして実際に参加できなくても、魂参加のみなさまとも共に踊れるのを楽しみにしています!!


Soul Motion Workshop
“HIKARI”


6.8(Sat) 10:00~15:30
in 八千代市民会館2階 多目的ルーム
講師 : 村山ゆり

待ちに待ったソウルモーションのワークショップです。
友人のゆりちゃんがソウルモーションの講師になったときから、ずっとずっと心待ちにしていました。
踊りが好きな人も苦手な人もどしどし参加してください。
自由にのびやかに細胞が導いてくれる踊りを一緒にわかち合いませんか。
自分が自由になると周りの人も自由になり、それはもっともっと外側へ波及していきます。
一緒に笑いながら時にはしっとり心地よく踊るのを楽しみにしています~!

以下講師のゆりさんからのメッセージです

新月の日、私たちは月とともに再び生まれたときの姿に戻ります。
全てが始まる、最初のかたちの前のかたち。暗闇の中に輝く光。
私たちの命は、透明で何一つ欠けることのない、一つの細胞から始まりました。
それはありのままの美しさと、全ての可能性だけが存在する姿。
新月の日を前に、一緒にその場所に戻りませんか。そして共に祝いませんか。
呼吸が、心拍が、私たちの一つ一つの細胞の記憶が、そこへと導いてくれます。
体をそのリズムにゆだね、心をすべてのものに向かって開いたとき、
自分の中に宿る光を知り、その中に休み、再びこの世に生まれるのだと思います。

Soul Motion™は誰もが参加できる、ダンスを通して自分自身とつながるプラクティスです。
体の内なる声に耳を澄ませながら、今この瞬間、瞬間に身をゆだねていったとき、ダンスは体から自然と生まれてきます。
大地と空に包まれながら踊ったとき、体は、私たちの命と大自然とが何も変わらないのだということを教えてくれます。
周りの仲間たちとダンスを分かち合ったとき、すべての存在はひとつにつながっているのだということを私たちは体験します。
体に耳を澄ませるということは心に耳を澄ませるということ。
一人一人の心のダンスが重なって、織りなって、1つのダンスが生まれたとき、
この命に宿る、大切な何かを再び見つけるのだと思います。

参加費:6,000円(5月25日までのお申し込みは5,500円)
お申し込み:小川洋子
yoko_ogawa@y7mail.com
080-3363-1808

講師プロフィール: 村山ゆり
日本人初Soul Motion™認定ティーチャー。
2011年4月よりカリフォルニアのSan LuisObispoを拠点に、アメリカ西海岸にてクラス、ワークショップを教える。
2013年1月により拠点をカナダのバンクーバーに移し、日本、アメリカ大陸、ヨーロッパとその活躍の場を広げている。
www.SeshenArts.com       
             


ダンス、ダンス、ダンス

2013年05月19日 | 体のこと
小さい頃バレエを習いたかったけど
オトナの事情で習わせてもらえなかった

毎週土曜日に地域の集会所であるバレエのレッスン
窓の外からずっと眺めてはひとり外で真似して踊っていた

高校生の時にディズニーランドでみた
イッツアスモールワールドの前のステージでの踊り

あ~、こんな風に唄って踊りたいと
痛烈に思った

けれどもその時のわたしが聞いた言葉は
子供の頃からやってないとものにはならないよ~

その後20代に入ってから見た本場のミュージカルやダンス
あ~、生まれ変わったらわたしは踊りを仕事にしたい
よくそう言っていた

あるとき友達が笑いをとるつもりでくれた
オトナのバレエ教室の宣伝チラシ

衝撃~!だった
冗談のつもりでくれた友達が笑っている前で
わたしはワクワクした

そうそうそうそうそうそう、
誰がだめなんて言った?
誰が子供の頃からバレエをした人しかバレエを踊ってはいけないと言った?

頭の中にあるいろんな人からかつて聞いた言葉や声
いつの間にかそれが染み付いていた

それを信じる必要などないのに
かつてのわたしは素直に無意識の場所で信じていた

ちょうどオトナのバレエ教室の存在を知った頃、
わたしの住んでいた町にロイヤルバレエ団にいた素敵な女性がバレエスタジオを開いた。
もちろんオトナの教室もあった。

昔あれほどまでに憧れたバレエのレッスンを始めた
もちろんレオタード、シュシュ、タイツにバレエシューズ

”あなたは子供の頃何年バレエを習っていましたか?”
”習ってないです、今初めて習っています。”
”バレエをやっていたように自然ですね”
”あ、そういえば一人で教室の外で青空バレエ教室をしてました~、がはははは~~~”
(この話は友達に話まくり自慢したのさっ)

先生は美しく優しい笑顔で、
踊りたい、という気持ちがあなたの身体に染み込んでいるのですね、と言った

正直もっともっともっともっと若いうちに
もっともっと情熱を表現していれば、、、、、と思う

が、しかしそんなことを今さら言っても仕方が無い
ということで、やっぱり踊りが好きということで

引っ越しやれ色々な理由で続けられなかったけど
踊っている私はただ幸せで、その為には時間を必ず作った

旅先のアルゼンチンでひょんなことから習い始めたタンゴ
まるでダンサーのように、朝から晩までレッスンにパーティーに踊りまくっていた6週間だった
あのまま住み着いてしまうことも考えたほど楽しかった

その数年後、住んでいた香港では女の身体のしくみと心と体の関係を感じたくて始めた仕事半分楽しみ半分のベリーダンス
腰回りにどれだけ女が様々なものを溜め込んでいるか
それが自由になる事によってどれだけ身体や心が自由になるかを実感

オーストラリアでは友達に引っ張って連れていかれたリンディーホップ
これは最高に楽しく健康的で週に3日は踊っていた。
今もほんとうに踊りたい~~~~!!!!

そして今定期的に踊っているのは日本太古の踊りと言われているわの舞
ただただ気持ちがいい。昔から人は輪になって毎日踊っていたようだ

いわゆるコンシャスダンスの日本版だとおもう
そんな表現がちょっと変な感じもするけど、なんだかとっても気持ちがいい

どんな踊りも唄も表現も
大切なのは自分がどれだけ気持ちがいいか、ゆるんでいるか、悦んでいるか

そして自分の中心の軸がきちんとしているか
これがきちんとしてないと踊れない

これは毎日の暮らしの中でも言えることなんだと思う
自分の快、悦びの軸を大切にすること

そうすると自然と周りの人の快や悦びを大切にすることができて
それは周りの地域、社会に波及し
地球全体の悦びにつながっているように思うのです

だから、自分の内側からの悦びを大切に大切にしよう~!
どいうことで、わたしはどういう形であれ、踊り続けちゃうよっ。

昔フタをしてしまった情熱がまだモヤモヤしているのなら
それが悦びにつながるのなら、遅すぎることなどなにもないと思うのです


ブエノスアイレスの古いカフェにて、生まれて初めてのタンゴのレッスン


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呼吸と体の統合、12ステージではこの話はステージ4

これはだめだよ、できないよ、無理だよ、こうだよ、ああだよ、と
いつか昔誰かから聞いたことがいつのまにか自分の頭のなかに入り込み、自分の可能性に無意識のうちにフタをしてしまう。
けれども、その思考が実は自分のものではないことに気づき、自分本来の自分の可能性を信じる思考に変わっていく。
ちょっと呼吸が大変だけど、とってもスッキリして気持ちのよいステージです。

けれども、それは決して悪いこととして責めるのではなく、
そのすべてがありがとう、となっていることにステージ8でただただ理解するのです。





不安や孤独なときに

2013年05月12日 | 体のこと
誰だって落ちてしまう日がある
なんだか乗らない、なんだかものせつない

なんだか気持ちが沈んだり
なんだか仕事がはかどらない

なんだか不安になり
なんだか孤独に感じる

なんだかやる気がなく
なんだか色々うまくいかない

なんだかリラックスできなくて
なんだか集中力がない

なんだかよくわからなくて
なんだかとても不安になる

こんなときは大抵この状況を打破する為に
なにか見方を変えたり、ポジティブに思おうとしたり。。。

けどただただその困惑や混乱の中にただ居続ける
というのはどうだろう、何も変えようとせずに

変えることにエネルギーをそそがずに
ただ呼吸をしつづける、体を信じて

ものごとは必ず変化していく、自ずから
寂聴さんがいつも言っているように、いいことも悪いことも続かない

ただ観察する、感じる
意味を与えず考えず、ただその状態をあきらめて受け入れる

ここでいうあきらめるというのは決してネガティブな意味ではない
状況のコントロールをあきらめる、つまりは手放す、信じて待つ

おそらくこの感覚を表現している私たちの体が
耳を傾けた事によって、なにかを伝えてくれるのかもしれない

感じている感情が嫌なとき、とかく私たちは逃げる
その為のハウツーや、ノウハウがいっぱいある

そんな感情をそのまま感じることから逃げる為に
いつまでもその感情は追ってくるときいたことがある

逃げることをやめたらどうだろう
ただ共にいる、息を吸う、呼吸を続ける

わたしたちはそのままの自分をそのまま受け入れてくれる友人や家族
その存在だけで安心する

それと同じことをわたしたちは私たち自身にしているかな~とふと思う
そしてひょんなことでまた気持ちが上を向いてくる
自ずから変化していく

みんな違ってみんないい
自分だってどんな自分がいたっていい

それを全部まるごといい悪い関係なく
笑って受け入れられたら、素敵だな~と思う

こうじゃなきゃいけない、ああじゃなきゃいけない、から
解放されて自由になったら

こういたい、ああなりたい、とわくわくして
胸が解放されて踊りたくなる笑顔が溢れるんだろうな

だからどんなときでも笑っちゃえ
なにがあってもありがとう

あら~寺田啓左さんの言葉に辿り着きました