呼吸で癒そう

ゆっくり呼吸するだけでカラダは安心して落ち着き
内側からゆるんでいきます
ゆるんで笑ってぷくぷく参りましょうぞ

朝日

2010年07月24日 | 日記
今朝久しぶりに、とっても久しぶりに、本当に久しぶりに朝日が昇るのを見た。
オレンジで大きくて、静かな朝を包んでいた。

田舎道を運転して畑に向かっている道中、
真新しい今日のお日様に照らされながら、とても幸せな気持ちになった。

田舎道だからすれ違う車すらない。
うっすらと白いベールがかかったような、真新しい今日。

ラジオから流れる音楽を止めて朝の静けさ、朝の音を聞いた。
朝は匂いも空気もし~んとしている。嬉しくて風を感じる。

早起きは三文の徳だし、気持ちがいいし、一日が長くなるし、と
わかっていながらも、なかなか朝日とともには起きられずにいた。

今朝は何故起きることができたかといえば、蚊のおかげだ。
昔から思っていたけど蚊ってすごい。

あんなに小さいのに、蚊にとっては巨人の私たち人間を眠らせない。
爆睡からをも起こし、あの何とも言えない鳴き声で私たちを惑わす。

4時30分過ぎだった。いつもの蚊取りラケットでやっつけようと思ったら
逃げ足が早い蚊だった。

今までの経験上、蚊の存在がありながら快眠できたことはない。
ということで、名案が思いつき畑に行くことにした。

本当に気持ちいい。朝がこんなにも気持ちいいものだったと思いだした。
こんなに美しい時間を忘れていたなんてもったいない。
もっと早起きしよう!とちょっとだけ自分に言ってみた。

今は7時24分。いつもなら今頃起きてきて、ぼわ~としながら
豆乳チャイを飲みながら毎日の朝の楽しみ、ゲゲゲの女房を見る。

今日は草刈りも終わり、シャワーも浴びて、こうしてブログの更新なんぞも
している。奇跡だ~。そしてきちんと仕事にも行ける。

畑では師匠のお父さん(本当にラッキーで私が行く時は必ず畑で会えるのだ!)が、
きゅうりとトマトをたくさんくれた。私の収穫はルッコラと小松菜。

ふむふむ、、、いい一日のスタートだな。
一日の計は朝にあり? いいことがある日になるといいな。
みんなにも素敵な奇跡がありますように。

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癒しの12段階、呼吸統合セラピーでいうとステージ4。
自分が心地よいと感じること、自分が喜ぶことが行動になる。
自分を縛り付けている無意識の中でのルールや、
無意識に自分をおとしめている行動や言動、思考のパターンから抜ける。
脳をいつものパターンから抜け出すために回路を変える。
本当の喜びや自分らしさの回路に切り替えるために。

私達の思考は自分を落としてしまうようなことを無意識に考えていることが多いという。 
どうせできない、無理、私は才能がない、などなど。。。
そして欲しいのにいらないと言ったり、嫌なのにいいよ、といったり
自分を欺いていることが多いのです。
しょうがない、常識では、、、と社会の目、人からの目、のほうが大切で
本当の自分の‘したい’を押し殺してしまう。

みんなが自分のしたいを大切にして、人のしたい、も大切にする。
そうしたらきっともっと自由に、みんなが自由になれると思うのです。




自然農

2010年07月06日 | 自然農
いつかはちょっとでも自給自足ができるようになりたいな、
家庭菜園レベルで自分たちの食べる野菜や、できればお米なんぞも
作れるようになりたいな、そんな畑が家の近くにある環境に住みたいな、

という漠然とした、けど結構くっきりとした図が私の頭の中に
生まれたのは一年前くらいのこと。

それがなんとも予想外に意外に早くその第一歩を踏み出してしまった。
2月の玄米菜食の料理教室に講師として「種」の話をしてくださった方が
自然農業塾を主宰しているとのことで、入塾する運びに、とんとんとんと。

あ~、楽しい、のだ。すんばらしい!
今までも自然の中にいるとただ幸せだった私は、
自然の凄さ、偉大さ、ユーモアに愛情、
言葉ではなく必要なことを教えてくれる師匠としてますます敬愛してやまない。

う~、言葉にすると安っぽくなってしまうのがじれったい。

実は自然農には一年前に出会っている。
友達のブルースが香港から日本に遊びにきている時に
房総の農家さんにウーファーとして数日間お世話になった。

そこは自然農で栽培していて、草を刈るけど抜かない、草は敵ではない、
などということで、大根の葉っぱと雑草の違いがよくわからない状態で
草刈り、を任された。

草を刈り、土の上に置く。
なんで刈ったものをまたそこに置くんだ~? 

おまけに水もあげないというのが、私には去年は皆目理解できなくて、
その代わりに草を土にのっけて、潤いを保つと。はぁ~?

赤米の田植えもした。けど想像している田植えとは全く違い、
鎌でちょっと土をあげて、そこに種籾を3粒くらい入れて土をまたかぶせる。
全部終わったら、そこにブルースが刈った草をバサーっとかけた。

今思えばまったく何もわからずに、ただ言われるがままにやっていた。
ブルースなんてくだらないだ、おかしいだ、なんだこりゃ、と怒りに近い
感情が自然農に対して爆裂していた。

そのように印象がけしてよくなかった自然農法。
一年経ってまた私の目の前に現れた。

タイミングが合えば、宝となるんだな~と感動。
どんな素晴しい理も時期がずれていると、愚なんだ。

5月の末に私の生まれて初めての畑の畝立てをして
時期はちょっとおそいよ、と言われたのを無視して
赤じその種をまいた。梅干しに間に合ってくれればいいな~
と思いながら。

いや~、無理だよ。梅干しには間に合わないね。
しょうがないからしそジュースだな。
それもいいですねー、と夏後半に飲むしそジュースを楽しみにしていた。

他の野菜がぐんぐんと成長している中、
何故かなかなか赤じそがあまり芽を出してくれない。
出していても成長していない。
昨日畑で会った師匠にどうしてでしょうか、と聞いたら、
時期がずれてたんだね、のひと言。

あ~~~、そっか。
電球が頭の中でぴかっと光ったように明るくなった。
赤じそは本来はこの暑い時期の私たちの身体や心を支えるもので、
6ー7月が旬である。

それを私は早くて8月の終わり、夏の終わりに収穫されるような時期に
種をまいた。

他の農法では、収穫の時期などをコントロールして収穫できる。

しかし自然農法は本来の自然の営みのまんまなので、私が蒔いた赤じそは
芽を出さなかったのだ。夏の終わりの私たちに紫蘇はもう必要ないのだ。
人の頭で考えたことで自然の営みからずれていると
それはそのまんま成長しない、という結果を無言で優しく教えてくれる。

すご~~~~~い。
私は本当に感銘を受け、感動し、体中がうずくように嬉しくなった。

現代のいつの時期にも収穫できるように、店頭に並ぶように、という商売は
絶対にできない農法であるが、私は自然の摂理にそって食べて
生きていきたいな、と思う。私たち人も自然の一部なのだから。

福岡正信さんが自然農法を通して本当に人としてのあり方、生き方は
自然であること、自然に寄り添うこと、と、今おそらく現代社会が着目する点を
何十年も前から声を大にして伝えようとしてくれた。

世界では福岡さんを老子の生まれ変わりのようだと言い、
彼の考えを取り入れて、枯れ果てた土地を森に復活させた。

この間テレビでイタリアのなんとか豚というとてもレアな
高級で美味しい豚ちゃんを飼育している人が、
福岡さんの考え方に沿って自然とともに豚ちゃんを育てている。
森の中で走り回って、森の中のものを自分で本能で選んで
食べている豚ちゃん。

福岡さんは生前言ってたらしい。
世界は私の意見を取り入れて自然を取り戻してくれているのに
日本だけが実践してくれない、と。

ふむふむ。。。他にもこういう例はいっぱいある。




興味のある方は福岡さんの本を読んでみてください。
「わら一本の革命」 春秋社