数週間前の番組で、知花くららさんが沖縄を案内していた。
すら~とした素敵な女性。笑顔も可愛くて、聡明で透明で。
くららさんが沖縄を語るとき、身体の芯からあったかさを感じているのがわかる。
おばあの料理、透明な海。三線、うた、家族、友達。
ぬちぐすい。
沖縄の言葉で、生命の薬という意味。
文字通りもちろん飲む薬、のことではない。
美味しい料理、楽しい笑い、澄んだ海、青い空、おじい、おばあ、家族、友達
音楽、踊り、などなど心が笑い、喜ぶくすりのこと。
一緒に旅にいった女性インタビュアーが、
知花さんにとって沖縄は?
ぬちぐすい
ぬちぐすいとは?の問いに彼女の答えは
心と身体が喜びでふるえること。
はあ~~~~~~。
私はため息をついた。
私にとってぬちぐすいは、2年前まで住んでいた香港のランタオ島の南側。
嬉しくて、懐かしくて、背骨がほわ~と温かくなった。
細胞のひとつひとつが喜びで笑っている。。。
と以前よくそう友達と表現していた。
身体の深部から身体中のすべての細胞のひとつひとつが、
イメージとしては、真っくろくろすけが(トトロの)白くて透明で
笑っているような感じ。喜びで震えながら。
あ~~あ~~~幸せだ~と、
アイスクリームを食べながら
あまりにもの美味しさに、無邪気にふるえたり、
海を散歩していて、牛の群れがゆっくり散歩しているのを待ったり、
夕陽から広がる七色の空の美しさに、言葉を失うときだったり、
屋上のハンモックに寝っころがりながら星を眺めているときだったり、
おまけに流れ星と一緒に彗星(と私は思い込んでいる)がぴかっと光った瞬間だったり、
生ゴミを土の中に捨てたら、あるときそこからトマトが実をつけて
元気に土の味がする真っ赤なまんまるが夏中楽しませてくれたり、
食べていたパパイヤの種を屋上から蒔いて(投げ捨ててが正しい)
それが芽を出し、木になり、実をつけたのを見つけたとき、
のんびりとした村の時間の中、おばあちゃん達が干物をつくり、
それをおすそわけでくれたとき、
昔話を友達としていて、あまりにものくだらなさにお腹をかかえて笑ったり、
月明かりの無い夜に、海で素っ裸で泳いで海を身体全体で感じたときだったり、
砂浜で星と月と一緒に、ある人は歌い、ある人はギターを弾き
ある人は踊って、野良犬までも一緒に座って聴き入っている優しい時間、
身体の感覚がなくなり、ただ喜びだけで存在するとき。
私にとってのさまざまなぬちぐすいも、心と身体を喜びで震えさせてくれてきた。
それは日常のあちこちに散りばめられていた。
しかしここ暫くあまりにもの生活の変化があり過ぎて、その感覚を忘れていた。
ところが、また久しぶりに細胞一つ一つが喜びで震えることがあった。
自分自身が忘れていた自分をある人が見つけてくれた。
ひとは一人で息を吸っているけど、ひとりでは生きていけない。
すってんころりん転んだところを、手を差し伸べてくれる温かい手。
そんな時に自分以上に自分の可能性を信じてくれている人の存在。
めちゃくちゃぬちぐすい。一本の電話。
緊張と不安が長いこと続いていたんだと自分で驚くほどの
安堵感。安心感。はあ~~~。もう大丈夫だよ~という感覚。
本当に嬉しいとき、ひとは泣く。笑いと涙が同時のときもある。
魂がありがとう~と喜んでいる、もの凄い泣きっぷり。
私の師匠のドナルド エプスタインは言っていた。
Let the laughter come from your soul.
魂からの笑いであるように。
魂からの涙であるように。
ぬちぐすい、生命の薬。
くららさんの美しさの秘密がわかる気がする。
*********************
呼吸統合セラピーでは自分とつながると共に、
周りの全てとの一体感、温かさ、愛、喜びを感じる。
それこそ心と身体が喜びで震える瞬間である。
すら~とした素敵な女性。笑顔も可愛くて、聡明で透明で。
くららさんが沖縄を語るとき、身体の芯からあったかさを感じているのがわかる。
おばあの料理、透明な海。三線、うた、家族、友達。
ぬちぐすい。
沖縄の言葉で、生命の薬という意味。
文字通りもちろん飲む薬、のことではない。
美味しい料理、楽しい笑い、澄んだ海、青い空、おじい、おばあ、家族、友達
音楽、踊り、などなど心が笑い、喜ぶくすりのこと。
一緒に旅にいった女性インタビュアーが、
知花さんにとって沖縄は?
ぬちぐすい
ぬちぐすいとは?の問いに彼女の答えは
心と身体が喜びでふるえること。
はあ~~~~~~。
私はため息をついた。
私にとってぬちぐすいは、2年前まで住んでいた香港のランタオ島の南側。
嬉しくて、懐かしくて、背骨がほわ~と温かくなった。
細胞のひとつひとつが喜びで笑っている。。。
と以前よくそう友達と表現していた。
身体の深部から身体中のすべての細胞のひとつひとつが、
イメージとしては、真っくろくろすけが(トトロの)白くて透明で
笑っているような感じ。喜びで震えながら。
あ~~あ~~~幸せだ~と、
アイスクリームを食べながら
あまりにもの美味しさに、無邪気にふるえたり、
海を散歩していて、牛の群れがゆっくり散歩しているのを待ったり、
夕陽から広がる七色の空の美しさに、言葉を失うときだったり、
屋上のハンモックに寝っころがりながら星を眺めているときだったり、
おまけに流れ星と一緒に彗星(と私は思い込んでいる)がぴかっと光った瞬間だったり、
生ゴミを土の中に捨てたら、あるときそこからトマトが実をつけて
元気に土の味がする真っ赤なまんまるが夏中楽しませてくれたり、
食べていたパパイヤの種を屋上から蒔いて(投げ捨ててが正しい)
それが芽を出し、木になり、実をつけたのを見つけたとき、
のんびりとした村の時間の中、おばあちゃん達が干物をつくり、
それをおすそわけでくれたとき、
昔話を友達としていて、あまりにものくだらなさにお腹をかかえて笑ったり、
月明かりの無い夜に、海で素っ裸で泳いで海を身体全体で感じたときだったり、
砂浜で星と月と一緒に、ある人は歌い、ある人はギターを弾き
ある人は踊って、野良犬までも一緒に座って聴き入っている優しい時間、
身体の感覚がなくなり、ただ喜びだけで存在するとき。
私にとってのさまざまなぬちぐすいも、心と身体を喜びで震えさせてくれてきた。
それは日常のあちこちに散りばめられていた。
しかしここ暫くあまりにもの生活の変化があり過ぎて、その感覚を忘れていた。
ところが、また久しぶりに細胞一つ一つが喜びで震えることがあった。
自分自身が忘れていた自分をある人が見つけてくれた。
ひとは一人で息を吸っているけど、ひとりでは生きていけない。
すってんころりん転んだところを、手を差し伸べてくれる温かい手。
そんな時に自分以上に自分の可能性を信じてくれている人の存在。
めちゃくちゃぬちぐすい。一本の電話。
緊張と不安が長いこと続いていたんだと自分で驚くほどの
安堵感。安心感。はあ~~~。もう大丈夫だよ~という感覚。
本当に嬉しいとき、ひとは泣く。笑いと涙が同時のときもある。
魂がありがとう~と喜んでいる、もの凄い泣きっぷり。
私の師匠のドナルド エプスタインは言っていた。
Let the laughter come from your soul.
魂からの笑いであるように。
魂からの涙であるように。
ぬちぐすい、生命の薬。
くららさんの美しさの秘密がわかる気がする。
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呼吸統合セラピーでは自分とつながると共に、
周りの全てとの一体感、温かさ、愛、喜びを感じる。
それこそ心と身体が喜びで震える瞬間である。