呼吸で癒そう

ゆっくり呼吸するだけでカラダは安心して落ち着き
内側からゆるんでいきます
ゆるんで笑ってぷくぷく参りましょうぞ

呼吸して笑って愛して、今いるこの場所で

2016年01月08日 | 感じること、いろいろ
およそ2年半前に書いたっきり止まっていたこのブログ
久~しぶりに書き始めたくなった

もともとは呼吸のこと、体のこと、心や思い、それらのつながり
そして日々とのつながり、なんかを書きたくて始めたのに

逸れる逸れる話がどんどんそれて行って
タイトルと違うような、けど共通しているような、なんだかわからなくなってしまった

改めて違うブログを立ち上げようと思ったこともあったし
書きたいことを呼吸に限定せずにツラツラ書きたくてタイトルを変えようとも思った

けどなんだかここにきて久しぶりに改めてこのブログの自分の過去の文章に
えらく励まされ、えらく抱きしめられ、えらく自分を思い出しちゃった

ということでもうすぐ抹消されそうだったこの呼吸で癒そうが
再び生きることとなりました 

この2年半の間にわたしは今まで見たことのない自分をみたり
感じたことのない感情を味わったり自信をなくしたり自分らしさを忘れてしまったり

後悔したり反省したりとろけたり至福に包まれたり
一人では味わえない未知だった感情を感じた

感情は幅広い領域があり、その全てを感じる人は少ないという
けれども全ての人が同じ領域をもっているらしい

どれだけの音域が出るのか人それぞれ違うように
感情でもどれだけの感情の幅をもっているのかが違うんだって

そして神経が柔軟でしなやかに呼吸が深くできればできるほど
感情の音域は広がっていく

いわゆるポジティブな感情だけを私たちは求めてしまうけらいがあるけれども
生きていれば悲しみや辛さや不安や怒りは時として出てくるものである 

きっと自分にきちんと感じてもらいたくてじわじわ、時には突然でてくる出来事があるのかな
けれどもきちんと感じて欲しいだけなのかもしれない

そんな時は呼吸がほわ~っとしなやかにその感情を包んでくれるものだったんだな~って
久しぶりに思い出した 

誰が何がどうしたこうしたではなく 誰かや自分や過去を責めることでもなく
自分が感じている感情をただただしなやかに抱きしめる

それを浄化するとかなくすとか消すとかそういうことではなく
泣いている子供を抱きしめてただただ泣き止むまで共にいるっていう感覚

自分で抱きしめるのはもちろんのこと、そんな時に大切な人にただ抱いてもらえると
身体から心からすべてが安らぎ安心する

ちゃんと抱きしめられて安心してそして初めて
その感情や記憶、思考は変容していくのだろう

けれどもおそらく自分の中のその時の感情は
自分に抱きしめられることを一番待っているのかもしれない

自分の感情は自分のもの 
誰かに優しくどうかしてもらいたいけど

自己完結できてこそ 穏やかさと平和で満たされ
温かい人間関係と豊かな社会の根源なんだと昔どこかで読んだことを思い出した

もちろん両方があれば一番いい そんな社会であれたらと思う
自分を抱きしめ、そして大切な人が苦しみ悲しんでいる自分をただただ何もせずに丸ごと抱いてくれる

いいんだよ、大丈夫 ここにいるよ どこにもいかないよ
お互いにそういられるパートナーシップは素敵だと思う

そこに理屈を持ってこずに 
ただその感情を感じているあらわになった姿を抱きしめる

きっとそれができるパートナー、家族、友達がいると
自由で優しさに溢れる社会になっていくのかな

弱さを見せられない時代になって久しく
けどその弱さゆえの強さをわたしは周りの愛しい人たちに感じる

弱さを出すことの強さ それをただ抱きとめる優しさ 
人が深く深く信頼でつながっていく時はこれが存在していると思う

本物のままでいい
本物のままがいい

そんなことをふむふむ思っていた時に
高齢出産を迎えている最高に楽天的で明るいけど慈悲深く愛くるしい友達からメールがきた

.....ってことで、わたしはもうすぐ出てくる赤ちゃんがお腹にいる最高の妊婦生活を送っていま~すと
真夏のオーストラリアからビキニ姿の大きなお腹の妊婦写真

そして最後にこの一斉メールの宛先のわたしたち友達や家族に向かっての締めくくりの文章

”さあみんな呼吸して笑って愛して、今この瞬間を今いるこの場所でね~”
Breathe, laugh and love of the life you are in right here and now!!!

新年に最高に明るいドンピシャなメッセージが
もうすぐ生まれる命と共に運ばれて、心地よさを思い出させてくれました

やっぱり呼吸は優しいのだ 呼吸して笑って愛していくのだ ただそれだけでいいのだ
そして今年は必ずわたしも再びビキニ姿を復活させるぞ




このブログ、そして春

2012年04月01日 | 感じること、いろいろ
3年前に帰国して間もなく、友人に勧められて始めたこのブログ
呼吸統合セラピーのことをいっぱい書いてみたらいいんじゃない、って

そうだったんだけど、呼吸統合セラピーはクライアントさんが前にいて
共に感じながら進めて行くから、こうです、ああです、という説明がつまらなくなっていった

次第に書けなくなり、そして感じたことを書いてみようと書き始めてからは
楽に書けるようになりました。(その割に昨今は書いてませんが。。。)

そして気づいたのが、すべてが呼吸統合セラピーでいう12のリズムにあてはまること
何年も前のある日、自分で気づいた自分自身のリズム

ある日マラソンをしながら辛くて苦しくて、そんな時に気づいた
あ、私はいまステージ4のリズムにいるんだ。。。

自分が自分で知らないうちに作っていた限界ラインやルール
それを超えようとしている時に、そのルールを作り出した思考(エゴ)に負けそうになる

けれども自分を信じて進んで行くときに生まれる高揚感
自分の力や魅力、自分らしいエッセンスをひとつまた自分に迎え入れた感覚

そんな時にわかる
目を向ける対称は決して外側ではなく内側であることに

忘れていたそんなことにふたたび気づいたときに
真の強さがでてきて、その強さの中にしなやかさや優しさが笑っている

表現する為にわたしたちは生まれてきて、
ひとりひとりがひとりひとりの美しい表現があり

宇宙船で世界に流れた有名なあの歌、世界でひとつの花
自分の花を咲かせることに一生懸命になっていればいい

そんなひとりひとりが集まり寄り添う世界は
優しく、楽しく、面白く、美しい

そのときの社会も人も出来事も、静かに観察すると
今のリズムが見えてくる

これからも日々心で感じたこと、呼吸統合セラピーを交えたり
交えなかったりしながら、綴っていきます


そして、春

医療フロアにある2年半働いたメディカルアロマセラピーサロンリセラン
昨日が閉幕式で、スタッフ全員でわいわい、がやがや、げらげらあと片付け

顔を出してくれたお客さま、差し入れを持ってきてくれた方々
いつも本当にお世話になった守衛さん
いつの間にかフラダンスを踊るわ、民謡を唄うわ、まるで宴会

私達がこんなに楽しくいられるのも
リセランに足を運んでくれた人全てのおかげです
共に歩めたことを心から嬉しく思います
ありがとうございました

そしてひとりひとりがとても素敵な笑えるスタッフ
最高だよ~

ステージ12、コミュニティー
みんながつながり、みんなのそれぞれの花を表現する
それぞれの魅力がみんなの喜びで、みんなの魅力がそれぞれの喜び

今日から4月
新しいことが芽吹いていきます








to live is to love ~ 生きるとは愛すること~

2011年09月11日 | 感じること、いろいろ
前の職場の大先輩であり友人でもあった
大好きなゆみさんが永眠したのは4年前の秋だった

会社側に怒られそうな時に、いつも間に入ってうまくまとめてくれた
心強い姉さん的存在だった

亡くなった日はゆみさんの人生を祝いたくて
家の近くのビーチに暗くなってから一人で行った

砂浜に座りながらより真っ暗になってゆく空を眺めた
ろうそくに火をつけてビールでゆみさんに乾杯をしてポテトチップスを食べた

寂しさとありがとう、悲しさとありがとう、ありがとうありがとうが繰り返され
涙と鼻でぐじゃぐじゃになった頃に思い立って裸で海に入った

過去に何回もこの海でスキニーディップをした(英語で裸で泳ぐことをこう言います)
この夜は悲しくも重く、重たくも温かい、身体全体で感情を感じながら泳いだ

私が裸で泳いだからってゆみさんが喜ぶ訳ではないけれど
その時のそのままの全てを一糸まとわぬ身体で感じた

私達は裸で生まれて裸で死んでいく
全身の皮膚で感じる海水は冷たくも温かくもなく心地よかった

ゆみさんが亡くなってから頭の中でよくゆみさんに話しかけた
こうこうこうなんだけど、ゆみさんどう思う?

いつもあの笑顔で優しく微笑みかけてくれて
うなづいてくれたり、首を横にふったりしてくれた

ある夜迷ったことがあった時に、ゆみさんに話しかけた
すると返ってきた答えが

to live is to love
生きるとは愛すること

ピタッと私の中で全ての時間が止まった

生き続ける限り愛し続ける
as long as we live, we love

最近久しぶりに読んだ本にまたまた久しぶりの対面
to live is to love

どうやら今の私に再び現れたメッセージのようです


非難の向こう側 ~心の庭に植える花々~

2011年04月19日 | 感じること、いろいろ
指を指し合う、非難し合う
そこからは何も生まれない

一刻も早く進めたい事ばかりなのに
エネルギーがひとつにならず、前に進まない

どんなことも一緒に力を合わせれば前に進むのに
もし本当の目的が前に進むことならば...

あいつじゃダメだ、こいつじゃダメだ
なら手を貸してあげればいい、智恵を出し合えばいい

昔読んだジョン.ディマティーニの文章を思い出しました

ちょっと長いけどふむふむ。。。。と心に響きます
これは私たちひとりひとりにあてはまることだから

覚悟してね、長いから




非難の向こう側     by Dr. John Demartini


非難は雑草に目を向け
愛は花に目を向けます

非難は今までも、今も、これからも決してうまくいきません
それは真実に基づいていないから

非難は一方的な調和の無い状態を生みだします
宇宙は調和がとれています

非難とは犠牲者や勝利者のことで
真実とはチームのことです

非難はあなたが私にこうしたああしたと嘆きますが
わたしとあなたの境界線はまぼろしに過ぎません

非難は薄っぺらく仲間はずれをつくり
智恵は共に歩みます

非難は罪悪感を生み恐怖を増やし
責任を大切にすると奇跡を起こします

非難は人々をバラバラにし
正直さは人をつなぎとめます

非難は自分自身を壊し
理解は再び作り上げます

非難は自分を正当化し
謙虚さは本当の栄誉を受けます

非難することは盲目であること
認めることはきちんと見ること

非難は人々を遠ざけ
愛は人々を引き戻します

非難はあなたをあなた自身の心から遠ざけ
広い心はあなたをあなた自身の心に戻します

非難は全体像のほんの小さな部分をみているだけで
感謝は全体を包みます

非難は指を外に向かって指し
本当のリーダーは自分自身の内側をみます

非難は”間違い”を生み
真実は”学び”を理解します

非難とは諦めること
愛とはただ与えること

非難はエネルギーを消耗し
感謝はエネルギーを満たします

非難はあなたをそこに立ち止まらせ
真実はあなたを自由にします

非難はあなたを重くし
正直さはあなたを軽くします

非難は重荷になり
手放すことは、あなたの荷を軽くします

非難は”疎外”し
愛は”知らない人”を知ることができます

非難は戦争を始め
平和は戦争を終わらせます

非難は醜く衰えさせ
優しさは美しく整えます

非難はあなたの基準を低め
忍耐はそれを高めます

非難は反対勢力を生み
心の広さは対立を解消します

非難することは負け犬のゲームで
本当の勝利者はただ愛し続けます

非難は悪いサイクルにはまり
責任はものごとを次に進めます

非難は思考を曇らせ
誠実さはその雲を消します

非難は少ししか気にかけず
温かい心はいつも気にかけています

非難は分裂させ
愛は結びつけます

非難と屈辱は牢屋の友で
忍耐と寛容は心の友です

非難は苦しみへと退化し
受容はみんなの喜びを生み出します

非難は何も聞こうとせず
広かれた心は全てを聞きます

非難は白か黒
愛は虹色も含みます

非難は開ける鍵がなくなった監獄
感謝は鍵開け職人です

非難は健康を壊し
愛はあらゆるものの中の一番のヒーラーです

非難はゼロで
寛容はヒーローです

非難は会社を潰し
チームワークと明快なビジョンは会社を作り上げます

非難は解雇をまねき
やる気とひらめきは雇用を生みます

非難は”失敗”を責め
悟りは何も求めません

非難は自尊心をなくし
責任をとる行為は自尊心が育ちます

非難は支払いが高くつき
真実は利益を生みます

非難は”君のせいだ”と言い
真実は”私たちの成功だ”と言います

非難は言い訳を準備し
真実は説明を必要としません

非難は病気の前触れで
愛は救世主です

非難は質問と不確かさを生み
愛は確かさと全ての質問の答があります

非難は許すという幻想を求め
真実は何も許すものは何もないと知っています

非難は責任をとることをせず
責任は非難をしない

非難は誰かに”ごめんなさい”と言わせ
愛はただ”愛しているよ”と言う

非難はあなたを沈め
智恵はあなたを助ける救命ベストです

非難はあなたを老けさせ
真実はあなたにバイタリティーを与えます

非難は雨と雲を運び
感謝は太陽の光を運んできます

非難は否定し
優しさは受け入れます

非難は反応することで
賞賛は行動です

非難は鏡を見ないこと
人生は大きな写し鏡です

非難は嵐の雲で
仲直りは希望の光です

非難は終わること
賞賛は始まり

非難はあなたを苦々しくし
感謝はあなたを甘く優しくします

非難は危機を見ること
賞賛は恩恵を見ること

非難は子供を親に対立させ、親が子供に対立します
寛容は家族を愛に戻します

非難は我々と愛する人たちの間に壁を作り
非難を超えて先を見るとその壁を壊します

非難は人生を行き止まりに導き
感謝は新しい永遠に続く人生です

非難は人を奴隷にし怒らせ
熟考は気持ちを落ち着かせ穏やかにします

非難は過去のこと
愛は将来のこと

愛はすべて
愛ではないものはすべて幻です






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いつも何度でも

2011年03月29日 | 感じること、いろいろ
 何回も聞いたことがある美しい曲なのに
 今夜初めて歌詞をきちんと読みました。

 ”繰り返す過ちのその度ひとは ただ青い空の青さを知る”

 地震の日から毎朝思ったこと。
 それは空が青いな~ということでした。

 何が起こっていようとも、空は果てしなく青くて、
 桜のつぼみはきちんとふくらんでいく。

 また同じような過ちが繰り返され、途方もない空っぽさを感じながらも
 畑の野菜は今日も大きくなっていく。

 周りにあるあたりまえのあたりまえが
 光り輝いていることだというのが、こういう時に知る。
 
 ”輝くものは いつもここに わたしの中に 見つけられたから”


アニメーション映画「千と千尋の神隠し」~主題歌 いつも何度でも



 いつも何度でも           

 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも心躍る 夢を見たい
 
 悲しみは 数えきれないけれど
 その向こうできっと あなたに会える

 繰り返すあやまちの そのたび ひとは
 ただ青い空の 青さを知る
 
 果てしなく 道は続いて見えるけれど
 この両手は 光を抱ける

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる
 
 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ

 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー 

 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも何度でも 夢を描こう
 
 かなしみの数を 言い尽くすより
 同じくちびるで そっと歌おう

 閉じていく思い出の その中にいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される

 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ
 
 海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに
 
 わたしの中に
 見つけられたから

 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー 

ウクライナ美女が"千と千尋~"主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy sings "Spirited Away"

2011年03月28日 | 感じること、いろいろ
60年前の広島、長崎の悲劇は今も終わっていません、
そして20年前のチェルノブイリの悲劇は今も終わっていません、と語る
当時6歳のチェルノブイリの原発事故を体験して被爆したナターシャさんの
しなやかで美しく温かく力強い透明なメッセージです。

私たちひとりひとりが心に正直に向き合って、
心の中で大きな声で叫んでいる自分自身を大切にする時。

いついつのときも、自分の心がきちんと知っている。
何が大切なのか、そうでないのか。

そんな基本的なことを忘れてしまっていた日本の大人達が
本当に何が大切なのかを思い出し始めているように感じます。

この世で一番力強いのは女性の愛情だと言われています。
ナターシャさんのしなやかな美しさ、大きさ、深さ、強さ、優しさ。

大きく包み込まれているように感じました。
母のような、母なる大地のような。



ウクライナ美女が"千と千尋~"主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy sings "Spirited Away"

私たちにできること

2011年03月13日 | 感じること、いろいろ
いったい私たちには何ができるのだろう。
私には何ができるのだろう。

きっとみんながそう思っている。

海外からレスキュー隊の人たちが着いた映像を見て胸があつくなった。
救助犬の目が賢そうで、おりこうさんな顔をしている。

あちこちの国のレスキュー隊員の人たちは、チリでもハイチでも
ニュージーランドでも一緒に働いたから顔見知りで、
日本のレスキューチームも含め素晴しいチームワークらしい。

自衛隊をはじめとして救助活動に命をかけている人たちも
みんなみんな素晴しいチームワークと温かい人の心と勇気で
どうか全てのいのちが救われますように。

先ほどの政府の会見を聞きながら思った。
ひとりひとりにできることを私たちはやればいいのだ。

無駄な電気を使わない生活に切り替えるいい機会。
無駄三昧だった生活を今ここで変えて行けばいい。

国民のみなさんに迷惑かけて、、、って言っているけどそうじゃない。
今私たちがひとつになって、人命救助と被災地を最優先にするのは
日本という大きな家族の一員である私たちがするあたりまえのこと。

そしてあともうひとつ大切なことを思った。
わたしたちにできる一番大切なこと、元気でいること。

だから毎日の生活でやるべきことをきちんとやって
身体を大切に、目の前のことを目の前の人を大切にする。

全エネルギーが今必要な所に行く為に。

国が起き上がろうとする時にエネルギーがいっぱい必要だから。
私たちがそのエネルギーなのだから。みんな元気でいよう。










守ってくれる存在~失敗する権利~

2010年09月13日 | 感じること、いろいろ
外資系の航空会社で働いていた時のこと。
我々のミスでお客様をかんかんに怒らせてしまった。

宗教上決して肉を口にしてはいけない人が、
間違って運ばれた肉料理を食べてしまったのだ。

客席から叫び声が聞こえて、新人の同僚がふるえながら事情を話しに戻ってきた。
責任者を呼んで来いということで、深呼吸をしてから私はその座席番号に向かった。

謝ることしかできず、いい訳する言葉すらみつからず、ただただ謝った。
文句をひたすら聴き、ただただ謝った。
その方にとっては肉を口の中に入れた、というのは一大事なのだ。

絶叫するお客様に罵倒されること15分くらいたったのだろうか。
チーフパーサーがやってきた。

お客様はチーフに向かって私達がしでかした過ちの重さを訴えた。
チーフも頭を下げて謝り、お客様の前で私を激しく叱った。

私がチーフから激しく叱られたことで、お客様の怒りは少しは治まったが、
私の至らなさを責める言葉はその後も激しく続いた。

しばらくしてからチーフがひと言。
お客様、お子様はいらっしゃいますか。

いるよ、3人居る。

お子様は間違えをおこしませんか?

そんなのしょっちゅうだよ。

お客様、この子も人間の子供です。神の子です。間違いをおかします。
確かにお客様にとってはとんでもないことをしてしまいました。
しかしこの子は先ほどから言い訳もせずに30分以上も謝り続けています。
意図してやったことではありません。人間の誰もがする間違いです。
あなたも人の親ならこの子を許してやってくださいませんか。

周りのお客様からの拍手喝采をチーフの言葉は浴び、この事態は治まった。

あとでチーフは私を激しくお客様の前で叱ったことを謝った。
ああしなければ、お客様の気が治まらなかっただろうと。

チーフは私のチームの過ちを全く責めなかった。
実際にケアレスミスをしてしまった新人の同僚は震えながら泣いていた。

目的地に着き、降りていく時に彼は私の目を見つめた。
忘れられない旅になったよ、さんざんな目にあったが結果的にはいい旅だった、
ありがとう、君には悪いことをした、と私の手を強く握った。

私はこの日に実にたくさんのことを学んだ。
この日を境に仕事ぶりが確実に変わった。

そして昨日施術中にふとこのことを思い出した。
人の身体と心とこの話がつながっているのだ。

長くなってしまったから、つづきはまた今度。


男と女

2010年09月10日 | 感じること、いろいろ
私の自然農業塾の師匠が田んぼを初めて借りて
ひとりで田んぼで米作りを始めたときのこと。

広い草ぼうぼうの水を含んだ重い土の田んぼで
ただ一人米作り作業をはじめた。かなり大変だったらしい。

ある日師匠の奥様が手伝おうかと、手を貸してくれた。
一日田んぼで作業を終えた夜に二人で飲んでいる時、
彼女が師匠に言った。

”田んぼに力と書いて男って本当ね。”

自然農をはじめてから、感動にうなることだらけなのだが、
今日のこの師匠の話を聞いて、私の身体はふるえた。

本当だ。

本当だ。

本当だ!!! 田んぼに力で男だ。

男と女は同じじゃないんだよね、と師匠。
男は家族の生命が続くのに必要なものを供給するのが仕事だな、と。

家族の為に田んぼで力を尽くして、働く。
たくましさも、力強さも、あたたかさも。

私はもともと男には男の、女には女の役割があって
違って当たり前で、違いが素晴しいと思っている。

その違いを私たちは本能で求め合い、共に生きていくのだろう。
自分をそのまま居ればいい。何かになろうとせずに、そのまんまで。

そしてそれぞれのそれぞれを尊重して、愛する。
ただそれだけなんだ。
それは男と女だけに限らず、すべてのことに言えるんだと思う。

そのままを尊重し合える夫婦は本当に素敵だと思う。

師匠の奥様は本当に素敵な方だ。
そんなひと言を言う奥様がいる師匠は本当に幸せ者だ。


********************************
呼吸統合セラピーを続けていくうちに、
身体が変わっていくとともに、本来の自分ではないものが
剥がれていく。

そしてより本来の自由な自分になればなるほど、
人の自由と存在の素晴しさを尊重し、分かち合える。

ステージ12。
ギブ アンド テイクではなく、ギブ アンド レシーブ。













話を聞く威力

2010年03月02日 | 感じること、いろいろ
今朝車を運転しているときに、ラジオから交通情報が流れた。
半蔵門線が人身事故のため、これだけあれだけ遅れていると。
聞きながら、あ~また人身事故か、と心が重くなった。

英語で話す割合が多いインターFMというラジオ番組だったので、
すぐにその情報が英語に訳された。

私は英語で聞いた瞬間に、生々しい直訳に悲しみで涙が止まらなくなった。
”半蔵門線は、自殺により遅れています”と。
人身事故という言葉は、自殺により、と言われるよりオブラートに包まれている。

去年日本に久しぶりに帰国した際に(私は海外生活が長かったの巻)
あまりにも多い人身事故に毎日毎日驚いた。

聞くたびに胸が痛んだ。昔フィリピン人の友達が言っていた事を思い出した。
フィリピンは日本よりずっと貧しい、けどみんな笑ってるよ、と。

本当にそうなんだ。お金があろうがなかろうが、あの人達って明るいし、
歌はうまいし、踊りはうまいし、人とすぐ仲良くなるし、いつも笑っている。
家族や仲間が集まって寂しくない環境が常にある。

今朝泣いたあとに驚いた。私は人身事故という言葉に、この一年の間に慣れてしまっていたのだ。 
その事に生々しい英語での自殺という言葉を聞いたショックから気付かされた。
それがまたショックだった。

人身事故に慣れてはいけない。この状態は異常だ。
日本という大きな私たちの家族の誰かが苦しんで苦しんで、命を絶っている。

今日ニュースで自殺撲滅キャンペーンについて言っていた。
ハローワークに相談窓口を設けたそうだ。

自殺しようと思ったお花屋さんが、かつての苦しさ、そして何が彼を思いとどまらせたのか話していた。
知人がじっくり彼の話を聞いてくれた。そしたら自分の苦しみを話す事ができた。
多額の借金があるんだ、と正直に初めて話す事ができた。

すると不思議と心が軽くなったと。
テレビに映る彼のお店には素敵な色鮮やかなお花がいっぱい並んでいた。
  
本当に苦しい時は理屈やアドバイスは通用しない。
その辛さを辛いんだとわかってくれたんだ、一人じゃないんだ、
という安心感が心に明かりを灯す。

誰にでも経験はあることなんだと思う。
話を聞いてもらっただけで楽になったこと。

そして笑い。
笑いは免疫力をぐぐんと上げる。

何が正しい、じゃなくて何が楽しい、で生きる時代になっていったら、
人と人のつながりがもっともっともっともっと太くなって、豊かになるんじゃないのかな。

『降りて行く生き方』という映画について皆さん知ってますか?
今話題になっている映画で、私の周りのハートが熱い人たちが企画して上演会を計画している。
この間も一人、そして今日も一人熱い魂に触れた。

私がここで書き連ねるよりも、納得できるのでホームページに行ってくださいまし。

http://www.nippon-p.org/mov.html











どうにもならないことって、きっとどうでもいい事や

2010年01月29日 | 感じること、いろいろ
墨で美しく書かれた力強いこの言葉を見て、
うぉ~~~~~~~~~~~と、夕べ私はうなった。

本当にその通りだと思う。
どれだけ頑張っても、どうにもならないことってある。
どんなに気にして悩んでも、どうにも変えられない事ってある。
どんなに後悔したり悲しんだり悔しくても、どうにもならないことはある。

そしてそれは、その時は自分の狭い頭の中では凄く大きい事なんだけど
人生からみたら、笑っちゃうくらいありがたいことだったりする。

そう、きっとどうでもいい事や。
心が笑った。心が軽くなって、うなづいた。

どうにもならなかったおかげで、新しい道を見つけられることもある。
どうにもならなかったおかげで、新しい自分を見つけられることもある。
その時は辛くても、必ず新しい何かが自分を待っていてくれる。

以前どうにもならない状況下にいた私に、友達が祈りの言葉を教えてくれた。
楽になるよ、頑張らなくていいよって。

私は祈った。答えがまったく見つからず、前が何も見えなかった。
友達に言われたまま、天に任せるしかない、とただ救いを求めて祈った。

神様
私が変える事のできないことを、受け入れる落ち着いた心を与えてください。
私が変えられる事を、変える勇気を与えてください。
そして私が変えられる事と、変えられない事の違いがわかるように、智慧をさずけてください。

この神聖な祈りは世界中で愛されている。
有名な祈りの言葉らしい。

そして同じような意味合いを持つこの言葉は、たった一行で私を笑わせた。

どうにもならないことって、きっとどうでもいい事や




食べる、祈る、愛する パート3

2010年01月25日 | 感じること、いろいろ
さてさて、今回が食べる、祈る、愛するの最終パートです。
愛する。

イタリアで悲しさと苦しさから食べに走り、太ってしまったけども
出会った人たちの温かさに触れて、どん底からは少しあがった筆者。

別れたくない彼にそっぽを向かれたことや、離婚した旦那のことや
幸せも不幸せも自分の外側にあった。

しかし、インドでの4ヶ月で彼女は生まれて初めて
本当の答え、愛は内側に自分の中にあったことを瞑想を通じてしる。

答えは自分以外のどこにもなく、すべて自分の中にある。
愛も、喜びも。それは静けさの中に、乱れの無い心の中に存在することを
筆者は知った。

すっかり悲しみも苦しみもなくなり、いよいよこの本の最後の場所、バリ島へ。
以前雑誌の編集者の仕事で出張でバリ島を取材した時に、
村で有名な占い師のおじいさんに彼女は出会った。

そのとき、彼はこう予言した。
あなたは私の所にしばらく来て勉強することになるでしょう。
すべてを教えるから、来なさい、と。

その彼のもとでゆっくり人生のなんたるを勉強するつもりで彼女は
再びバリ島を訪れた。

しかし、なんともこの占い師のおじいさんはあれだけ言ったのにも関わらず
彼女を覚えていない様子。

しかし彼女はおじいさんのところに通って、色々と教えてもらいながら
バリ島での生活を楽しみ始める。

バリの伝承医学のヒーラーにおじいさん経由で出会い、友情が芽生え
膀胱炎を薬草であっという間に直してもらったり、人生を語ったり
と、ゆったりじんわりバリのゆるやかな空気に包まれている毎日だった。

一軒家のお家を借りて、自転車でおじいさんのところに通って
ヒーラーと女同士の話で盛り上がって、甘いのんびりな毎日を送っていた。
ヒーラーのクリニックで知り合ったイギリス人のおばさんにパーティーに招待されてその晩、久しぶりに社交の場に出た。

バリ在住の西洋人達の集まりのパーティー。筆者はアメリカ人。
画家だったり、作家だったり、リタイアしたお金持ちだったり
自分の国より、のんびりなバリ島の生活を好む人たちの集まり。

おめかしするドレスなど無いけど、一応ドレスっぽい服を着て自転車で乗り付けた。 
そこで、ある男性と知り合う。バリに25年住んでいるブラジル人。
(だったと思う!?)
彼は彼女の後ろ姿を見た瞬間に、この人と結婚すると思ったそう。
彼女は苦しい離婚と悲しいボーイフレンドとの別れから立ち直ってはいたけど
男の人と関係は持たない、と決めた旅だったからガードが固かった。

そして、度重なるデートというか散歩だったり、おでかけを重ね
自分のままでいられる、素のままの自分をそのまま包んでくれる、
安心する彼に心を開いていく。

ってことで、甘く素敵なデートが重なり、嘘のように傷ついた彼女の心は
すっかり癒され、バリの海と新たな彼の存在、優しさに身も心もとろけていくのです。

二人は実際に本当に結婚して、今はアメリカに住んでいます。

というハッピーエンドなのだ。

私がこの本を読んでいるとき、私はずたずただった。
この本を読んでいる時は、何も考えずに没頭してこの本にのめり込んだ。
バリの章は私に勇気をいっぱい与えてくれた。
だから読み終わったとき、とても悲しかった。夢から覚めたようだった。

この本はちょうど同じ頃に大変な経験をした女友達に勧めた。
セラピーなんか行かなくていいから、この本読んで!と。
彼女もとても勇気がわいて来たと言って、ディナーをごちそうしてくれた。

なんか懐かしい。
そうそう、私はバリ島の占いのおじいさんにもヒーラーのおばちゃんにも会った。
この本を読み終わったちょうど1ヶ月後にバリに用事があって行ったので
友達と落ち合ったついでに、ひやかしで行ってみた。

私はとてもとても美しい心を持っていて
とてもとても愛し愛されて、とてもとても花の蜜のように
甘い幸せな人生を送るらしい。

私の友達も同じようなことを言われていた。
けど、結構彼女に言っていることがぴったり当たっていたので
私に言ってくれた甘い占いも私は信じることにしている。わっはっは。

ヒーラーのおねえちゃんにはバリの薬草を使ったマッサージやれ、
色々と身体をいじくられて面白かった。そしてもちろん薬膳料理。
最後に手相を見せろと言って、頼んでないのに占いをはじめた。

私は友達にとても恵まれている。素晴らしい信頼関係がある。
そして深い愛で結ばれている旦那様が一生あなたを守っている。
と、嬉しいことをいっぱいいっぱい言ってくれた。

けど笑ったのが彼女は離婚した旦那がとんでもない男だったから
私は男は卒業した~と笑いながらケタケタしてた。

バリ島は神々の島。何処の家に行っても、お店に言っても
神棚があって、手を合わせている。

バリ島伝承医学のクスリをいっぱい、彼女は私の為にきちんと神様に祈りを捧げてからくれた。

祈るということ。
イタリアでもカトリック教徒が殆どのあの国では人々は祈っている。
インドではきっと祈らない人がいないんじゃないのかな。
インドの美しさはどんな神様でも、みんな一緒。
人は食べて、祈って、愛して、国は変わってもしていることは同じなんだ。

今まで出会って来た人たちで私の為に祈ってくれた人は、数多い。
その度に真摯な心に私の心は愛で満たされる。

祈るということはどういうことなんだろう。
神様という大いなる存在に祈りながらも、内なる神様に自分の決意を伝えることなのかな。
幸せになるという決意。愛するという決意。

私も今夜は今ちょっと苦しんでいる友達の為に祈ります。
彼女が自分の美しさ、温かさ、素晴らしさに気づきますように。
そして彼女が安心して愛に包まれて眠れますように。








食べる、祈る、愛する パート2

2010年01月07日 | 感じること、いろいろ
新年あけましておめでとうございます。
2010年がみなさまにとりまして、幸多き良き年となりますように。
食べて、祈って、愛し愛されて、笑いの多い毎日でありますように。

さて、前回の続き。祈る。
著者はイタリアで食べて食べて太ってしまい、
その脂肪が見事に次の目的地インドで削ぎ落ちます。心の悲しみとともに。

何故インドに著者が行ったのかといえば、彼女が離婚を決意して
苦しんでいた時にニューヨークで出会ったインド人のヨガの先生から
瞑想を教わり、不安定な彼女が少しは自分を見つめることができるようになった。

そして、その先生が修行をしたアシュラムに行って、より深く自分と向き合おうと
いう目的でインド行きを決意した、ということ。

インドにはこのようなアシュラム、修行寺みたいなところがい~っぱいある。
外国から自分自身を見つめようと、いっぱいやってくる。

著者の先生のアシュラムは、きちんと経済的に自立している人、という
条件があり、自分の人生に責任を持った人しか受け付けない。

著者は離婚で財産を全て失ってしまったので、出版社と掛け合い
こういう本を書くから、と前金をもらった。

そして、インド。
毎日朝5時に起きて瞑想。
日中も瞑想やれヨガやれ、自分と向き合う為の時間。

彼女は始めは全く集中して瞑想ができなかった。
悲しみ、怒り、喪失感や絶望感などが頭の中から消えない。
毎朝の瞑想が嫌で嫌で、どうやって逃げ出すかばかり考えていた。

ここでも彼女には素晴らしい出会いがあった。
あまりにもよく食べる彼女を、"食料品"というあだ名をつけたアメリカ人のテキサス出身のおじさん。
このおじさんが本当にいい味を出している。

彼女のここでの苦しみは、離婚後につき合い始めたボーイフレンドに
距離を置こうと言われたこと。あれだけ愛し合ったのに、あれだけ求め合ったのに、何故何故何故~?と。

それもおじさんが答えを見つける術を提供してくれるのだ。
答えは外にはない、愛も自分の外には無い、すべてが自分の中にしかないのだと。

苦しみもがき、答えが見つからずいる日々が何ヶ月も続いたある日、
彼女の心に静寂と優しさ、温かさが訪れる。

彼女の一方的な離婚の申し出に怒り狂い、財産を全て要求しやっと離婚にサインをしてくれた旦那。
ある夜彼女は一人瞑想している時に、彼の魂を側に感じる。
そして、瞑想の中で二人の魂は手を取り微笑み合う。
肉体レベルでは離婚した夫婦であっても、魂はお互いを尊重しあう尊い仲間なのだ。

次の日にボーイフレンドに、自分からさよならのメールを書く。
送信ボタンを押すのをためらいながら、彼女は新しい自分の心の状態で決意をした。

ある夜に大々的な瞑想会があった。彼女はもうアシュラムに4ヶ月もいるのと、
昨今あった彼女の中の変化で、スタッフとして参加することを頼まれる。

大勢の人が宇宙との一体感を求めて瞑想に入る。
彼女はその晩はじめて全てのものとの一体感を感じた。

全てとつながる為には、まず自分とつながってなければならない。心の静寂。
なんて心地よい、なんて温かく、愛おしく優しい喜び。
恍惚感に涙を流した。瞑想している人たちの間を歩きながら、彼女は自分とつながっている全ての愛に浸った。

インドでなすべき目的は終了。
脂肪と共に、悲しみも流した涙とともに宇宙に消えていった。

そして、彼女は次の目的地、バリ島へ向かう。
自分の心とつながった静かさと優しさと共に。

~つづく~


PS 待っていてくれたきみちゃん、星ちゃん、お待たせしました。
  本当にありがと。ハグハグ、ギュ~

食べる、祈る、愛する

2009年11月02日 | 感じること、いろいろ
去年夢中になってこの私がご飯を食べることさえ忘れてしまうほど
没頭して読んだ本。食べる、祈る、愛する。

英語の本で Eat Pray Love、エリザベス ギルバート著
そのまま直訳で食べる、祈る、愛する。

著者自身の話で、本当に本当に本当に面白い。
タイムリーなこの本との出会いだった。

実際に私のその時の状況とあまりにもマッチしていて
ソファーに寝っ転がりながら、起きている時は息を吸っているか
この本を読んでいるかというくらい無我夢中で読んだ。

英語の本なのにあっという間に読んでしまいそうで
それはそれで悲しくて、終わらなければいいのに、と思いながら読み進めていた。

実際に読み終わった時は本当に悲しかった。
ハッピーエンドで私の好きな終わりかたなのに、終わってしまったのが悲しかった。

真実は力がある。そしてユーモアはどんな立派なうんちくよりも人の心を癒す。
私は本当にこの本に救われて癒された。

著者の離婚、救いを求めた新しい恋人との別れ、自分を亡くしてしまうどん底の日々の中で
ある日お風呂に入っている時に感じた、わずかな光。
それは”イタリア語を習いたい” そのどん底の時に筆者の中で
ただひとつやってみたいと思った事。
イタリア語を習おう、その気持ちが彼女の心をちょっとだけ明るくした。

イタリア、インド、バリ島の3カ所を1年かけてまわり、その事を本に書くからと
その執筆代を出版社から前借りして、旅に出た。

イタリアでは苦しさをひきずりながらもイタリア語を勉強。
そしてとにかく食べた。何も考えずに食べたい物を食べたいだけ。
EAT.

それがどんな理由であれ、ピザやれパスタやれケーキやれジェラートやれ
ポテトフライであれなんであれ
どんなに太ろうが、身体に悪かろうが
その時の食は確実に彼女の苦しみを楽にしたのだ。

そして彼女の心を温かくしたのは、温かいイタリアで友達になった
ユーモアで愛情溢れる人々。とにかくあったかい。

私も去年このイタリア章を読みながら、カウチポテトをして宅配ピザを頼み
プロセッコ(イタリアのスパークリングワイン)を飲んで、
ジェラートとはいかなかったがハーゲンダッツのアイスクリームを冷凍庫に買い込んだ。
(普段健康お宅の私の食事ではあまり無い光景であったのだ、うふふ)

心が癒えていくとき、それは人の愛にふれることで自分の愛の存在を
思い出した時なんじゃないのかな、とふと思う。
そしてどんな自分でもいいんだよ~って全てを受け入れて微笑むことができるとき。

呼吸統合セラピーの師のドナルド エプスタイン博士はいつも言う。
本当に苦しいとき、正論で人は癒されない。
馬鹿をやれ~ってよく言ってた。

その馬鹿というのが、ジャンクを食べることだったり、朝からチョコとアイスクリームを食べることだったり
普段自分がやらないことをする。もちろん、したかったらの場合ですが。。。。

人は苦しいとき、神経が緊張状態にある。ずっと、長い間。
それをゆるめることができるのがユーモアと笑い。
そしてきっと美味しいもの。優しい包容。手のぬくもり。

心が微笑みはじめたら、もう過食は終わるのだ。
自分の中が愛で満たされ始めているから。外に求めなくてもいい。

次回は著者がイタリアでつけた身体の脂肪と、心の重さがとりのぞかれたインドの章をお伝えします。
Pray. 祈り。

この章がまたいいんですぅ。



デトックス

2009年10月28日 | 感じること、いろいろ
最近は日本でもデトックスという言葉が定着してきている。
毒素排泄、いらないものを捨てる、身体に溜まっているいらないもの。

それは身体の毒素、有害金属であったり生命活動の中で必ず出てくる老廃物。
そして家の中のいらないもの、使ってないもの、などなどガラクタを処理して
人生を変えよう、という本もいっぱい目にする。

そして考え方。 自分を今までは守ってくれた考え方が、もういらなくなる時期が人には訪れる。 
それとともに、人生がかわる、自由になる。

最近ふと感じたこと。
私たちに一番必要なのは情報のデトックスではないのかな。

どこにいっても情報が溢れている。
それに惑わされているのではないかと思う。

電車の中に座っていても情報は目から入ってくる。
誰がどうした、誰はどうだ、、、という情報まで。

そして未来は暗いぞ~、こうなるぞ~、大変だぞ~
という情報。

日本はもっと明るいたくましく楽しい国じゃなかったっけ?
と帰国したての頃はよく首をかしげた。

誰かのこうだ、ああだ、という情報を信じるもいいけど、
信じる必要もない。恐怖を胸に怖がる必要もない。

この前見たNHKのクールジャパンという番組で日本に住む外人さんたちが
日本のクールなところ、変なところを言い合う面白い番組なんだけど
そこで、一人の外人さんが言っていた。

日本に住み始めの頃は、日本のテレビも新聞も雑誌も悪い情報ばっかりで
気が滅入ったと。

意識を向けたところに気は流れる。
だったら、なって欲しい方向の情報を流したほうが
より明るい楽しい日本になっていくのじゃないのかな。

誰かが犯した過ちを、国を挙げてだめだぞ~、悪いぞ~
といい続けることが、日本を良くしていくのかな。
責めのエネルギーが果たして実りをもたらすのかな。

膿み出し、が必要なのは政治の世界だけではないように感じる。

ビートルズの名曲、All we need is love。
私たちに必要なのは愛だけ。

私の大好きな言葉です。