人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

眼には眼を

2015年12月10日 | 日記

ヨーロッパのやり方って

ほんと

眼には眼を

歯には歯を

ですねー。

容赦なくやってますねー。

これで数千年の文明が

他の民族を犠牲にしつつ

栄えてきたのですねー。

という感想を

最近のテロへの対応で感じています。

またそうでなければ

持ちこたえられなかった

のでしょう。

圧殺、謀殺、殺戮、皆殺し・・・

弱い民族はたまったものじゃ

ありませんでした

もはや時代が

追いついてきました。

彼らもまた

眼には眼を

歯には歯を

のやり方で立ち向かって

います。

この容赦なき文明の闘争

が繰り広げられている

昨今

某テレビの番組で

しゃきっとした論客に混じって

いつも一人か二人

それも女性ーーが

あえておバカキャラとして

出演しています。

この人たちは呑気に

「話し合いで解決」なんて

のたまってて

視聴者の私なんか

ぽかーんと口を開けて

しまいます。

このおバカさが

逆にこの番組を面白くする

狙いなんでしょうが

すさまじい西欧文明の危機を

目の当たりにする

人たちのために

これは一種のお慰みに

なっているのでしょうか。

なんとも不可思議な番組ですが。

ともあれ

日本の人の好きな

「話し合い」という発想は

幻想だと思う一方

私らにはやはり

「眼には眼を」と

伝えられた文化はない

ことに気がつくのでした。

なにしろ

「和をもって尊しとなす」

ですから・・・

この原則

どうすりゃいいんでしょうね。

 

 


姑さんは天国に

2015年12月09日 | 日記

宅便つきましたか?

と尋ねるのもなあ・・・

とっくに着いてるはずの

いろいろ詰めた宅便に

着いたとも言ってこない

お嫁さん・・・

でもね

老婆は自制心を働かせます

「私はもう天国にいる」と

思ってみようってね。

いずれは行くところなのだもの

ちょっと早めに行ったと

思ってみれば

何もこの世に

腹をたてることはないよね

言い聞かせているので

ございますよ。

姑と嫁は所詮

赤の他人ですもの

仲良しごっこなんて

する必要はなくて

ただ「親しい知人」

として

お付き合いすればいいんです、

え、老後の世話になるの?

あちらにその気は

毛頭ないし

こちらにもその気は

毛頭なくて

ただただ親しい

知人として

お付き合いしたいものです。

冷たい?

のではありませんよ

時代はもはや

嫁が姑の世話をする

のではなく

お嫁さんは自分の

実家の親の

世話をする時代です

なので

娘を持たず

息子だけを授かった親は

捨てられてしまう

自分というものを

いさぎよく受け入れて

その上で息子たちが

優しさを見せたら

過分の幸せと考える

ことですね。

母系社会日本は

家族制度崩壊の後

本来の母系社会に

すっかり先祖返りしたので

父系の親は

孤独に耐えて

老いの森を

さまよう覚悟を

決めましよう。


夫婦別姓

2015年12月08日 | 日記

大昔のことでした

いよいよ結婚式をあげる

前の晩

私、一人下宿部屋で

号泣しました。

これまでの20数年の

人生と決別するような

悲壮感でした。

「あなたの名を名乗りたい」

などとはしゃぐ若い女性

ーー当時は私も若かったのにーー

その心理がわかりませんでした。

男は何も失うものがない

女は苗字も家も家族も

時には職も

捨て去らねばならない

なんて

不合理な日本なんだろう

って思ってましたが

それから半世紀

日本は何も変わってません。

夫婦家族の円満は

苗字が同じだからではなく

夫婦仲よければ

円満な家庭が築けるのです。

法律で決まってしまえば

世間や学校で

「あの子の家はおかしい」

なんて

言われなくてすむでしょう。

日本は世界の先進国

ではなくて

社会習俗から見れば

おそるべき後進国なのでした。

日本の男性諸君とくに

老人たちは

でん、と女性の犠牲の上に

あぐらをかいて

(好色なのが多いのも事実)

いるのが多い。

知の平野に眼を開けよ

男性たちの覚醒を

願う女性たちの声は

いつ届くのでしょうか。

 


間違い電話

2015年12月07日 | 日記

ときどき

ほんのときどき

息子から電話がかかったことが

ありました。

「もしもし」というと

「あ、間違った

と言ってすぐ切るのです。

何度かそんなことがあって

あ、と気がつきました。

間違い電話ではないのだと。

おふくろ、元気にしてるか

ちょっと気になってかけたんだ

と言うのが

照れ臭くて

元気で生きてると

わかったとたんに

「間違いだった」と

言ったのに違いないのです

やっとそのことに

気がつきました。

娘なら

「お母さん、元気にしてる?」

と平気で言えるのでしょうね

けれど息子は

恥ずかしくて

それが言えないのです。

ということが

やっとわかって

あまり使いたい言葉では

ないけれど

「ほのぼの」ってこんな時に

使うのかもしれないなと

思ったのでした。

息子のなんて優しいこと。


観光地

2015年12月06日 | 旅行

遠野には行ったことが

ありませんが

ある本で推察するに

あちこちに名所の

説明するのに

恥ずかしいほど幼稚な

看板とか人形とかが

立っているのでは

ないでしょうか。

他の観光地でも

たとえば鬼が名物なら

そこに安っぽい鬼の

人形がでかでかと立って

いたりします。

観光地の宣伝する人は

どうしてこうでかでかと

雰囲気壊してくれるのでしょうか。

その点まだしも

京都・奈良は大人ですね。

少し地方の観光地では

恥ずかしいでか「でかもの」が

これでもかとばかり

安っぽい看板、人形の

オンパレードしてしまうんでしょうか。

西洋崇拝者でないことを

最初にお断りしておきますが

観光地に関しては

西欧はちょっと大人です

プラスチックの鬼や

安っぽい看板などはまず

見当たらないはずです。

日本にも外国から

大勢の観光客がやってくる時代

もう少し「大人の観光地」にしてくださいな。