人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

立山回想

2017年10月22日 | テレビ

昨夜は「ブラタモリ」を見て

卒倒するほど驚きましたねぇ。

何がって

あの立山の変貌ぶりですよ。

半世紀前、体育の単位不足で

怠け学生ばかり30人ほどが

立山登山をしたときは

称名滝のそばを延々歩いて登り

あの弥陀ヶ原は深い霧に覆われ

道も何もない中

かすかに聞こえる小屋の鐘の音を頼りに

頬がふくれる高山病みたいになりながら

やっと辿り着いたただ一軒の山小屋。

翌日のみくりが池を通って雄山へ。

人工的なものは何もない

ただただ雷鳥と池と山が静もる立山でした

がーー

テレビで見た今の立山は

もう私から見たら

大都会でしたねぇ・・・

見たくなかった・・・

 

 

みくりが池のふちが舗装された上に

ベンチまで置いてある

温泉まである

コンクリートの建物もある

遊歩道がある

なんだこりゃ!!

山小屋の主が近くでアザミ (たぶん高山植物の)を

とってきててんぷらにしてくれて

嵐で閉じ込められた私らのために

いい声で「麦屋節」を

歌ってくれた

なんて思い出は

もう蜘蛛の巣にまみれてます・・・

 

 

 

 

 


老いに明日はあるか

2017年10月21日 | 日記

人は死ぬために

パリに来たのだろうか・・・

そんな書き出しではなかったかしら。

リルケ「マルテの手記」です。

たぶん「花のパリ」に来て

最初に見たのが

年老いたよぼよぼの老人老女が

パリの街を背中丸めて歩く姿

だったのでしょう。

そりゃ、どの街にだってこんな老人はいます

だれだってよぼよぼになるのですもの。

でもーー

よぼよぼになっても

「明」と「暗」がありますね。

よく笑う笑顔のいい老人老女

ーー老人は非常に少ないーー

笑いを忘れた顔になっちゃった人たち。

ある老女のグループを知っているのですが

みんなインテリなのです

そして

何があってもほとんど笑わないのです・・・

こわーーい

声をあげて笑う老人老女には

きっと「明日」が待っています

だって笑うことができる人の周りには

きっとだれかが

いるはずですもの。

何があっても笑わないぞ

という顔になっちゃった老齢のひとを

ときどき見かけます

っていうか

そんな顔はとても多いのです

そんな中

ふくよかな笑顔を見せてくれる高齢者に会うと

ほーーーっとします。

そういう自分はどうなんだと

鏡を見て反省する日々でございます・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


耳から脈拍が・・・

2017年10月20日 | 日記

変な症状なんです

片方の耳からとくとくとく・・・

脈拍が響くのです。

こんな症状案外多いみたいですね。

私、発見しました。

すぐにとまるツボを。

はい、目尻からまっすぐ耳へ向かって

耳にぶつかる点でストップ。

そこをしっかり押してみてください。

すぐに止まります。

って

これ、私だけに効き目あるものでしようか?

わかりません・・・

試してみる価値はありそうでしょう?

このツボーーかどうか知りませんがーー

自分で発見して悦に入ってます。

動物本能ってものでしょうか。

他にももし不快なところがあれば

動物本能に目覚めてほしいものでございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


長生き・・・

2017年10月19日 | テレビ

テレビをぼんやり見ていたら

ある有名タレント

絵も描くし今はヨガに凝っている

という方です、

名前がたしか片岡・・・?

この方の日々の暮らしをご本人が解説して

いましたが

す、すさまじい・・・

これではとても一緒にいられません。

離婚されたようですが

当然すぎますね。

食事のメニューが朝だけ

しかも何十種類を二時間かけて

なんて

聞くだけで「一緒にはやってられない」

となりますね。

そしてインタビューの終わりころ

こう発言されました

「 125歳まで生きる」・・・

ち、ちょっと

待ってくださいよ

 125歳まで生きるって不幸なことではないでしょうか。

知り合いもだれもかれも

彼岸に行っちゃって

ひとり此岸にぽつんと残されて

老残の身を生きてゆくなんて・・・

怖いですよ〜〜

そんなに生きてどうするってんですか?

まあ、そのことが目的で

こんな「すごーい」ヨガ生活をしている

わけではなく

そのこと自体が楽しくてしかたない

のでしょうね。

お願いですから

125歳なんておっしゃらずに

日々楽し、とだけで

いいのではないでしょうか。


さびしい祭り

2017年10月18日 | 日記

小さな町のお祭りの話です。

わっしょいわっしょいと

元気な掛け声でお神輿が通りを練って

いくのですが

その通り道ーー

だあれもいませんでした

しーんとした道です。

みんな家の中にいるのですね。

お祭りをやっているのは

子供たちと「子供会の親たち」と

古くからのここの住民のみで

新興住宅の増えたあたりは

地元のお祭りなんて他人事 (よそごと)

なんですね。

そして新興住宅の方が多いときてる

ので

しーん、わっしょい、しーん、わっしょい

となってるようで・・・・

まことに寂しいお祭り風景を

ちらりと見た老婆、

昔は「祭り」といえば

都会に出ていた子女もわざわざ

帰ってきたという話を聞いたことが・・・

「有名」ではない無数の地方の「祭り」が

寂しいものになっていくさまは

日本の何かが失われていくのを

垣間見る気持ちでございます。